9年間大学生をやった男の物語
3月30日、0時を回って、学生の身分じゃなくなったらしい。
思えば長かった。人生の実に三分の一を大学生として過ごした。
1年目-ザ・ビギニング
東京大学に落ちた私は慶應義塾大学に入学し、サークルに五個入った。
休学しており、大学には通っていなかった。秋まで勉強はしなかった。
2年目-絶望編
東大にまた落ちた。サークルは全部やめた。大学に通うようになった。冬に父親と大喧嘩をして住むところがなくなった。ネカフェと友人の家で寝た。
3年目-ザ・ビギニング2
京都大学理学部に進学する。懲りずに七つくらいサークルに入るも最終的には手品サークル一本になっていく。
はじめての一人暮らしで、親の束縛から解放されて浮かれていた。
4年目-破
中弛み、人生の意味を見失っていく。とりあえず勉強頑張った。
天文同好会に入った。エスペラント語研究会に入った。手品サークルを辞めた。向いてなかったので。
それと、立て看板闘争。くだらない掲示物を百万遍の石垣に貼って遊んでいた。結局、新自由主義の浄化作戦には勝てなかった。
京大多浪交流会設立。
5年目-急
同い年がみんな社会に出た。中学時代から仲良くしていて浪人を続けていた友人と険悪になり、縁が切れた。それ以来、彼の動向はわからない。
宇宙物理の道に進むことになった。
サークルで無難に過ごした。ソウル一人旅をした。
そういえば、時計台前、クスノキ前でテーブル広げて飲み会をやったり、甘酒を売り捌いたり、移動コタツ麻雀をやったのもこの年だ。
京都市に撤去された自転車の引き取りを本人の代わりに請け負うビジネスをやったのもこの年か。
6年目-全部やる編
コロナ禍。
京大魑魅魍魎なるコミュニティが覇権をとった歳で、BBQなどに参加した思い出がある。写真はバックアップに失敗して全部消えて残っていないが楽しい一年だった。
記憶力競技のサークルを立ち上げた。立ち上げて一年ちゃんとやったはいいものの引き継ぎは後輩に丸投げしてしまった。立ち上げ者ではあるものの貢献度は後輩の方が大きい。
院試。全然勉強しなかったが温情でギリギリ東大に合格。
NFという学園祭が中止になり、ニセNFなる祭りが執り行われた。
7年目-東京適応編
大学院で東京に移った私は
シェアハウス→祖母の家→シェアハウス→実家→一人暮らし
という引越しをした。東京は地価が高く、納得のいく住居がなかったのだ。
大学院はコロナでほぼリモートであり、友人はなかなかできなかった。そんな中、東大藝大交流会というサークルに入った。メンバーは二十歳以上が多く、院生でも馴染めた。
株で200万円損した。
兄が二十代後半にしてスタートアップ企業のCFOになり、家を買った。
人生振り返ってみて、何も成し遂げていないことに絶望した。翌年の前期は休学することにした。
8年目-全部やるしかない編
中学校の頃から片想いしていた女性にアポ取って会って振られた。
スマホを東京芸術大学から上野動物園方向に伸びる防空壕内部で紛失した。
父親が演劇をやっていたこともあり、芸能事務所のオーディションを受けてみた。いいところは受からなかったけど、受かったところもあった。結局芸能には行かなかった。
NFTを作って売るプロジェクトに入れてもらった。当時は時流を読むという発想に欠けており、うまくいかなかった。
工場の勤怠管理ソフトを作る仕事を超格安で請け負った。コミュニケーション上の問題からあまり良い結果にはならなかった。
毎週末、東京藝大のひとたちのシェアハウスで飲んだ。
インターネットでヤンチャしてるタイプのイベントバーに足を運ぶようになった。一日店長イベントをたくさん打った。経営とか社交とかについて学ぶことは多かった一方でメンタル的な不調をきたすようになってしまったという面もあった。
なんでも屋をはじめた。うまくいかなかった。
9年目-100平米神話体系
大学院を卒業することにした。
女性と付き合って別れた。
個人事業で「勉強コンサル」なる画期的な仕事をはじめた。とてもうまくいっている自認がある。
1月になって慌てて就活をはじめた。同い年が新卒5年目、もはやセカンドキャリアになりつつある今、これ以上学生を続けるわけにいかなかった。戦略コンサルはどの会社も締め切られていたが、総合コンサルに入った。
シェアハウスかすみ荘が京都に発足した。いい物件とメンバーがいるのに初期費用のお金がないという状況があり、これはチャンスと思い12ヶ月分の家賃相当のお金を投じて100平米の家一軒を借りた。コミュニティとして大成功を収めている自認がある。5月からかすみ荘2ができる予定だ。
株で勝って、シェアハウスかすみ荘の初期費用全額を回収した。
学会を言い訳に北大の寮に遊びに行った。
修士論文を書いた。
卒業した。
振り返って
人の十倍くらい行動した大学生活だった。なにもしないよりは全然よかった。
しかし、大きなことは何一つ成し遂げられなかった。
こんなんでよかったんだろうか。
もし、運命の道筋が少しでも違ったらもっといい現在があったのではないか。責任者はどこか。
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