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やっぱり俺は魅力的で承認されるべき人間だったらしい 〜いまさら社会が擦り寄ってきてももう遅い。おれは一生こじらせ続けてひたすら死を願うマシーンになってしまった〜

 この文章は、サークルクラッシュ研究所(https://twitter.com/circlecrush)のアドベントカレンダーのために書いた文章です。いつも思うんですよ、万が一おれが「成功者」になることがあれば、それはなろう系主人公としてなのだろうと。

 この文章は今年のサークラアドベントカレンダーのテーマ通り自分語りだし、キモいのであらかじめ言っておく。ドン引きしてもう俺のこと嫌いになるかもしれない。ま、サークルクラッシュ研究所のアドベントカレンダーなら許してくれるか?

これまでのあらすじ

幼稚園時代編

 俺が「たつや」を名乗るずっとずっと前の話だ。1996年に生まれた俺は、サッカーをやっている同い年の子供たちからハブられていた。お遊戯として鬼ごっこをやるときは怖くてガチで逃げていたので、おそらく先生が慮ってくれて捕まらなかった。そして小学校受験によって競争に晒され、常に劣等感を感じていた。良い子であることが義務付けられていた。

 これはこの時代から今までずっとそうだが、常に兄はおれの上に立っていた。4歳差で知性でも暴力でも勝てなかった。劣等感だった。あいつは小学校の頃、一緒にプールに行ったときにおれを沈めて遊ぶやつだったし、ポケモンのルビーorサファイアどちらを買ってもらうかなどの選択権をおれに与えなかったり、スマブラは操作をおれに教えずにボコボコにしてあそんでいたりした。(無論いまはちゃんと真人間であり、いまさらこのことを責める意欲はおれにはない)

小学校時代編

 友達はたぶんいた。でも、私立小学校だから近所ではなかった。近所の公園でゲームボーイアドバンス持って遊ぶみたいなのはなかった。

 休み時間は結構一人で遊んでいた。そのことは特に何も思っていなかった。困らないから。

 高学年になると、スクールカーストができてきてそれから一人でいると不利な事態が多く困ってしまった。クラスのいじめられっ子の味方をしがちだったり、嫌われている担任の先生の肩を持つことが多く、別に嫌われているわけではないけれどもクラスでキラキラしている人たちの中には入れなかった。

 5年生くらいになって好きな女の子ができた。でも、この頃は恋愛は揶揄される年齢だから恥ずかしくて隠しまくった。結局中学校卒業までその人は好きで、最後まで隠していた。今年(2022年)、会ってフラれた。本当にしょうもない感情だったのでやっと区切りがついたという感じだ。

中学校時代編

 人と恥ずかしくて喋れなかった。特に女子とは喋れなかった。校則を律儀に守り、買い食いをしなかった。友達はいたのかもしれない。いなかったのかもしれない。お昼ご飯を一緒に食べて、移動教室を一緒に移動するだけのグループだ。それだけ。学校を出たら他人。

 当時、なぜか携帯をもたないという選択をした。これは中2くらいまで携帯をもたなかった兄への謎配慮だ。これゆえにmixiに招待されているスクールカースト上位者へのジェラシーは結構大きかった。

 何者かになりたくて高校受験をした。開成高校に受かった。しかし、こじらせ的にもう遅く、なぜか慶應に進むという決意をした。

高校時代編

 男子校であるがゆえ、女子とはそもそも接点はなかった。何者かになる手っ取り早い方法は有名人になることだ。かっこよくテレビに映りたかったのでクイズ研究会に入って高校生クイズに出ることにした。2年生になり、実力がついて今年は出られるかとおもったところ、その年から黒ひげ危機一髪で勝者が決まるような回になった。偶然この年、1つ下のクイ研の後輩が高校生クイズに全国優勝した。

 結構メンタルを崩した。友達に鬱LINEとか送りまくってたら縁切られた。友人グループで俺抜きで富士急ハイランド行ってたのを知ったときのことは忘れない。

画像サイズ小さいね。例の黒ひげ危機一髪。

浪人時代

 詳しい話は本当に長いので別記事(https://note.com/__tatsuya__/n/nf5eaceae1072)を読んでほしいが、とにかくあのときは誰も助けてくれなかった。

 おれはただ「大丈夫か?今暇なら酒でも飲みに行かないか?」の一言だけがほしかった。当時は、なにかが怖くて一人で酒を飲みに行くということができなかったから。

 二浪目に実家を追い出されたとき、泊めてくれた友人がいて、そのことには感謝しているし、何らかの形で今後ともいい感じに恩を返していきたいと思ってはいるのだが、当時あまりその事態を深刻に考えてくれていた感じはせず、定期的にネカフェ生活をすることになった。

最近は承認度60点まで回復してきた

 なぜ承認度60点まで回復してきたかというとヒントは手数である。二十歳になり、東京の実家を離れ京都で一人暮らしをするようになった。抑圧された感情は爆発し、さまざまなコミュニティをふらふらするようになる。総コミュニティ数、たぶん100くらい行くと思う。

 もちろん、コミュニケーションは下手くそだし今まで承認されてこなかったがために経験も浅い。

 しかしだ、さすがに慣れてきた。人との正しい接し方みたいなものがわかってきた。徐々に徐々に、だいたい23歳ごろから人間関係の正常化が行われた。このころから「たつや」を名乗り始めた。人生ではじめてちゃんとつけてもらったあだ名だと思う。

 あまりいいことだとは思わないがコミュニティ厳選ができた。自分に合うコミュニティだけにいればいいのだ。高校までは「クラス」という勝手に押し込められたコミュニティにいなければいけなかったがもうそんなことはない。

 あと、ぼっちだったりとか劣等感ゆえにいろんな一人遊びや勉強の蓄積があったのが最近活きてきている。話のネタになるのだ。

 おれたちはどこにいても自由だ。京都大学に来たのはなおよかった。人間が元来自由であることを教えてくれた。

 学部を卒業して東京に移り、いったん多くの人間関係がリセットされてしまった。しかし、ノウハウはおれのなかにある程度できはじめ、東京生活2年目のいま、完全ではないがまあまあ承認を得られている。みんなからかけてもらう言葉にその実感がある。ありがたい。

60点止まりの理由

 承認してくれる空間と承認してくれない空間がまだある。承認してくれる空間も、完全には承認してくれない。サークルLINEの中にイツメンLINEがあるみたいな入れ子構造があることはよくあるだろう。そのイツメンLINEまではどこにも入り込めていない。

 「あっ、たつやさんじゃん!ちぃーす」みたいにいろいろなところで認知されている。それだけでも、昔よりはだいぶマシなのだが、「遊びにいくならとりあえずあいつ誘うか」枠、募集中です。

急な承認への困惑

 0点から急に60点になったわけだ。いまさら承認されてどうするんだ。失った青春は帰ってこない。いままでの人生こんなに苦しむ必要なかっただろう。みんなは「苦しみをバネに成長するんだ!」というが、正常生バイアスに決まってんだろそんなの。楽しい思い出がないことが悲しい。

 最近いろいろ褒められることが多い。「文章が好きです」とか、「知識量すごいですね」とか、「写真写りいいですね」とか。いまさらそれ言う?前からですよ。口調からして最近言われるのは本心から誉めてくれている感じはあるが、今まで貶され続けた人生だったぶん、リップサービスなのではないかと素直に受け取れない。

 承認されるということは贈与経済において搾取側に回れるということだ。被搾取側にいた人間としては、搾取が怖い。誰とでも平等でありたい。でも、「ビッグに」なるには搾取しなければいけない。おれはどうすればいい?

 もし、あと数年早く搾取側に回れていたらおれはビッグになっていたかもしれない。おれが伊沢拓司になっていた可能性(https://youtu.be/3hGTPw7oez0)とかおれがわっきゃいになっていた可能性が脳裏にチラつく。

 いまさらまあまあ女性にモテるようになった。どうすればいい?恋愛には高校生らしい恋愛とか、大学生らしい恋愛とか、社会人らしい恋愛とか段階があって、普通は徐々に成長していくはずだ。急にモテるようになった26歳大学院生の正しい恋愛ってなんだ?

いまのお気持ち。この漫画読んだことないけど。

おれはどうなりたい?

私はマズローを信じてないので5段階ではなく3つの目標がある。

1つ、衣食住の保証。要はカネだ。働かなければいけない。一応、実家が太いつもりなのだが、親の遺書次第では生きていけない。親、マジで何をしでかすかよくわからない。働くぞ。

2つ、女。おれは最悪な人間なのでただ寂しさを埋めたい一心で女性と付き合いたい。ただ、家に帰ったらそこにいてほしいだけなのだが、そのtakeを得るためには一生幸せにするというかなりでかいgiveをしなければいけないので、あまり積極的に恋愛をする気になれない。

3つ、みんなにおれの生き様を見てもらうこと。承認欲求+自己実現欲求といったところだ。生まれたからにはでかいことを成し遂げたい。承認度100点になったらおれはやっと「生まれてよかった」と言えるだろう。

ビッグになりたい。


こんなしょうもない人間ですが、生きてたら今後ともよろしくお願いします。


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