
『 君が生きた証 』 明日を生きるために
早く映画館に行ってポップコーンの匂いに包まれたいtabeです。
緑葉もすっかり増え、暖かい風が心地良い天気になってきました。
早く外に出て、不自由なく暮らしたいですね…
明日を生きるために、何が必要なんだろうか。
私は、よく考えます。
正直、夢がなくても生きていける。
趣味がなくても、友達がいなくても。
ただ、「明日への期待」がなくなった時
人は、脆くも壊れていくんじゃないだろうか。
最近はこう考えています。
明日への期待がなくても惰性で生きていけるかもしれませんが、
それって「生きてる」って胸張って言えるのかなぁと。
そんなこと考えてたら観たくなって映画があったので今日は紹介します。
『 君が生きた証 』(洋題:RUDDERLESS)です。
あらすじ
やり手広告マンのサムは大きな契約をまとめ順風満帆の人生を送っていた。ある日、祝杯をあげようと大学生の息子ジョシュを強引にバーへ呼び出す。
しかし、テレビに映し出されたのはジョシュが通う大学で起きた銃乱射事件の速報ニュース。サムはその事件のせいで大学生の息子ジョシュを突然亡くしてしまう。
それから2年後、失意のどん底に落ち、荒んだボート暮らしを送るサムは、離婚して再出発を果たそうとする妻から、「あの子の音楽好きはあなた譲りだから」と生前にジョシュが書きとめていた自作曲の歌詞とデモCDが詰まった箱を受け取る。
曲を聴いたサムは、ジョシュが何を思い、何を感じて暮らしていたのかをまったく知らなかった自分に気づく。サムは、息子に近づきたい、彼のことをもっと知りたいという一心で、遺品のギターを弾き始めます。
ジョシュが遺したギターでジョシュの曲を弾き語り、場末のライブバーの飛び入りステージに参加する。そんな中、サムの演奏に魅了されたのはロック青年のクエンティン。彼の情熱に押し切られ、“ラダーレス”というバンドを組むことになります。
次第に、クエンティンに亡きジョシュを重ねていくサム。
売れていく中で、事件の核心に近づいていくクエンティン。
音楽を生きる糧とした二人が、紡ぎ出す至高のヒューマンストーリーです。
この作品は、単なる感動的なストーリーではないんです。
物語のラストに捻りが加えられていて、それがまた驚愕する味付けになっている。
これは単なる父親と息子の映画ではなく、
音楽を通じて、残された父親が苦しみ、もがく何とも悲しい映画です。
「明日への期待」を無くし、虚無感に包まれていた日常を漂うだけの日常だったサムへ、音楽という活力が与えられる。
この話には、バッドエンドもハッピーエンドもありません。
何よりも大切な息子が亡くなってしまうのだから。
そんな絶望の中、少しずつ立ち直ろうとする父親サムの姿は
私たちの目頭を熱くするものがあります。
ずっと続いた暗闇に1つずつ、灯りが燈されていく様な温かいラスト。
ラストシーンのサムの瞳が忘れられない。
愛に包まれた最高の映画でした。
是非、大切なひととご覧ください。