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【百合ミステリ】糸とビーカー、それから猛毒──03解決編


この作品は『KADOKAWA×pixiv ノベル大賞2024』の
「中毒部門」お題イラストから着想し、創作したものです。




 からり、と被服室のドアを引き開ける。途端、こもっていたミシンの音が大きくなった。

「……糸羽」

 ひどく小さな声だったのに、きちんと耳に届いたらしい。糸羽はミシンを踏む足を止めて、ぱっと顔を上げた。

「チカちゃん! 迎えに来てくれたの?」

 嬉しそうな笑顔。きらめくようなそれを見つめ返して、あたしは表情が歪みそうになるのを必死に堪えた。

「ねえ、糸羽」
「なあに?」
「金城雫が殺された事件について、話したいことがあるの」
「――っ」

 ぴくっ、と糸羽の笑みが不自然に動いた。
 あたしはできるだけ呼吸が乱れないように、胸の底が揺れてしまわないように、そうっとポケットからあるものを取り出した。

 ゆっくりと手を広げる。そこには、ピンク色のアイシャドウがあった。

「糸羽、これ、取り戻してくれたよね」
「……チカちゃんのアイシャドウ? うん」
「あんたが言うには、毒女どもが金城の遺品を分け合っていて、その中に、このアイシャドウが混ざってた、ってことだよね」
「うん」
「なぜ、金城の遺品の中にあたしのアイシャドウが混ざっていたんだと思う?」
「え?」

 糸羽が目を丸くする。不思議そうに小首を傾げる糸羽に、あたしは静かに言った。

「このアイシャドウがなくなったのは、金城が死んだ日。それまでは、アイシャドウは第二寮の、あたしたちの部屋にあった。
 つまり、金城が死亡したその日に、アイシャドウはあたしたちの部屋から、金城の部屋へと移動したことになるの。ここまではいい?」
「……うん」
「アイシャドウがいつ移動したかはわかった。じゃあ次に考えるべきは『アイシャドウはどうやって移動したか?』だね」
「……」

 糸羽の表情が、かすかに硬くなる。それに気付かないふりをして、あたしは続けた。

「もちろん、アイシャドウに足が生えて勝手に動き出すはずはない。誰かが移動させたんだ」

 糸羽は答えない。ただ黙って、ビー玉みたいな目でじっとあたしを見つめている。

「事件当日、金城の部屋に入ったのは、まずは金城本人。それから金城を殺した犯人。他にも死体を発見した取り巻きどもに、警察の人たち。この中の誰かが、あたしの部屋からアイシャドウを持ち出して、金城の部屋に移動させた」

 一本ずつ指を立てて、あたしは可能性を上げていく。

「まず当然のこととして、警察の人たちはありえない。次に、取り巻きの毒女どもも、あれを持ち出したとは考えられない」
「……どうして? あいつらが盗んだかもしれないじゃん」
「あいつらはあのアイシャドウを、本気で金城のものだと思ってた。じゃなきゃ形見分けになんかしない。ということは、持ち出したのはあいつらじゃない」
「……」
「残ったのは犯人か、金城本人だけど――十中八九、持ち出したのは金城だと思う」

 あたしの言葉に、糸羽はかすかに眉を寄せた。

「犯人かもしれないよ? チカちゃんに罪を着せるために、アイシャドウを現場に残して――」
「もしそうなら、あのアイシャドウはとっくに警察に発見、押収されてるはず。形見分けの対象になったってことは、あのアイシャドウは、すぐには見つからない場所に、きちんと片付けられてたんだよ。あたしに罪を着せるために持ち込んだなら、わざわざそんなことしない。もっと目立つ場所にわざとらしく放置して、警察に発見させてるはず」
「……っ」

 糸羽がぐっと言葉をつぐむ。
 あたしは小さく息をついて、話を次のステージに進めた。

「これで、金城があたしのアイシャドウを盗んだと判明した。
 さて、ここで思い出して欲しいのが――あのアイシャドウがなくなったのは、金城が死んだ当日なんだよ」
「……それが、どうしたの」
「金城は、いつアイシャドウを盗んだんだと思う?」
「……っ」

 糸羽は表情をこわばらせて、かすかに肩を跳ねさせた。不自然に歪んだ笑みがあたしを見て、開きかけたくちびるがわななく。なにか言おうとしたのだろう、糸羽のくちびるから、けれど言葉はこぼれなかった。
 あたしは口元を引き結ぶと、静かに言った。

「朝のあたしたちは遅刻寸前で、ぎりぎりまで自室にいた。朝のホームルーム開始までに自室に侵入した人がいないことは確認している。そして、放課後を待たずに金城は死んだ。
 ということは、金城は昼間、授業があるうちにあたしたちの自室に忍び込み、アイシャドウを盗んだということになるね」

 あいつなら、それくらいやりかねない。なんの不思議もないだろう。

「チャンスはいくらでもあった。なにしろ、金城は早退して、六時間目はずっと自由の身だったんだから。授業時間中は学校関係者はすべて校舎に集中している。目撃なんてされるはずもない。あいつは堂々とあたしたちの部屋に入って、盗みを働いた」

 そこまで言うと、あたしはふっと言葉を切った。
 糸羽を見る。ビー玉みたいに大きな目が、どこか悲壮な色を灯して、じっとあたしを見つめていた。

「……でもね。あいつが盗んだのは、アイシャドウだけじゃなかったんだよ」
「なにを、盗んだの」
「――オーロラ銀の糸」
「ッ……!」

 糸羽が絶句する。
 あたしはかすかに眉を寄せ、波を立てようとする感情を堪えた。

「むしろ、目当てはアイシャドウよりそっちだったんだろうね。なにしろ、あんたがどれだけあの糸を大事にしてたかは、クラス中が知ってたんだから」

 やっと手に入れた特別製の糸。どんないじめに遭っても、どれだけひどいことをされても、たとえ命にかえたって、糸羽はあの糸を手放さなかった。

「昼休みの段階で、あんたは『糸を忘れた』と大騒ぎした。それを聞いた金城は、この計画を思いついたの。怪我したフリで早退して、あんたの大事な糸を盗んでやろうって」

 思えば妙な話だったのだ。運動神経のいい金城が、バレーのボールを受けるくらいで足を痛めるなんて。

「目論見にしたがって、金城は六時間目に早退した。そして、第二寮のあたしたちの部屋から、オーロラ銀の糸と、ついでにあたしのアイシャドウを盗み出して、自室に戻った」

 言葉を区切り、あたしはふーっ、と細い息を吐く。
 そっと視線を持ち上げて、青ざめた顔でじっと座っている糸羽を静かに見つめた。小声でささやく。

「ねえ糸羽。あたしが何を言いたいか、わかるよね」
「……わかんない」
「糸羽」
「――わかんないよ!! 言うならはっきり言えば!?」
「……じゃあはっきり言うけど。
 金城を殺したのは、糸羽、あんただよね」
「ッ――!!」

 さっ、と糸羽の顔色が白くなる。
 いっそ顕著なくらいの反応に、あたしは心臓がずきずきと痛みを訴えるのを必死に耐えた。

「あたしがあんたを無実だと思った理由は、アリバイがあったから。
 いくら六時間目に十分間席を外したとしても、第一寮で金城を殺して、第二寮で糸を取ってくるには、時間が足りなさすぎる。だからあんたは無実――そういう理屈だった」

 第一寮と第二寮は、校舎を挟んで正反対の位置にある。寄り道はできない。両方に行くなら十五分は必要。だから犯行は成立しない――はずだった。本来なら。

「でも、金城がオーロラ銀の糸を盗んで持ち帰っていたなら、話は変わってくる」

 話しながら、ずっと胸が痛い。じくじくと毒が回る感覚。どうしてこんなことになったんだろう。

「糸は金城の部屋にあった。あんたはただ、第一寮で金城を殺して、そこにあった糸を持ってくるだけでよかった。第一寮までは往復五分。金城を殺す時間を足しても、十分もあればじゅうぶん足りる。あんたのアリバイは崩れたの」

 糸羽は答えない。ただ青ざめた顔で黙っている。

「今考えると、あんたが糸を忘れたのも、昼休みに大騒ぎしたのも、わざとだったんだね。そうやって糸を盗ませて、被害者である金城自身に、アリバイの片棒を担がせた。
 そんなことも知らず、あたしはまんまとあんたの目論見通りの証言をして、あんたのアリバイを証明してしまったってわけ」

 黙り込む糸羽。長い沈黙。窓の外、部活動の掛け声がかすかに聞こえてくる。
 そうして、永遠とも思える静けさのあと、糸羽はぽつりとささやいた。

「……それで?」

 あたしは無言で眉をひそめる。
 糸羽は蒼白な顔をそろそろと上げて、シンとした声で言った。

「たった今、チカちゃんは長い〝物語〟を語った。でも、それがホントだったって証拠はどこにあるの?」
「……」

 ため息をつく。ああ、本当に――なんて嫌な役回りだ。

「……そう。最後まで、あたしにやらせようって言うんだね」

 あたしは、背中に隠していたビーカーを取り出した。ガラス容器の中に、透明な液体がゆらゆらと揺れている。

「ひとつ、気になることがあったの。もちろん、あのぬいぐるみだよ」

 一日ひとつずつ増えてゆく、糸羽の身体を彩り続けたぬいぐるみたち。

「金城が死んだ日から、あんたはぬいぐるみを作り始めたよね。コンテストが近くて時間もないのに、パーツが多くて複雑な作りのものばかり、毎日毎日」

 糸羽はそれらのぬいぐるみを肌身離さず持ち歩き、絶対に誰にも触れさせなかった。他でもないあたしにさえも。

「最初、あたしはその中に証拠を隠してるんだと思った。でも、ぬいぐるみの中からは綿しか出てこなかった。だからあたしは〝ぬいぐるみは事件と関係ない〟と思い込んでしまった」

 蘇るのは脱衣所での光景。ねじこんだハサミの抵抗、糸が切れる感触、ばらばらになったぬいぐるみ。なにも出てこなかった残骸を見て、泣きたいような気持ちになった、あの脱力の感覚。ああ、あれが全部、的外れな安堵だったなんて。
 じくじくと感情が痛みを訴える。目を閉じて、眉を寄せて、けれど痛みはいつまでも去っていかなかった。
 顔を上げて、言う。

「でもね、証拠はあったの。ぬいぐるみの綿でも、布でもなく――〝糸〟に」

 そう。ばらばらにされたぬいぐるみのかけらは、きらきらと光っていた。オーロラの色に。

「あのぬいぐるみは全部、オーロラ銀の糸で縫われていた。やっと入手した特別製、すごく貴重なはずの、大事な大事な糸で」

 あたしは痛みをこらえたまま、ふっ、とひとつ息をついた。

「ここで思い出してほしいのが、事件の瞬間、あの糸はどこにあったのか、ってこと」

 糸羽はなにも言わない。さっきからずっと黙り込んで、なにかを待つような目で、じっと座っている。それがひどく苦しくて、つらい。

「オーロラ銀の糸は、金城が盗んで自室に持ち帰っていた。そして金城は殺されて、あんたは現場から糸を持って被服室に戻ってきた。つまり、金城が死んだ瞬間、糸は殺人現場にあった」

 ひとつ論理を積み重ねるごとに、ひとつ息が詰まっていく。それなのに、糸羽はなんの反論もすることなく、ただ静かにあたしの糾弾を聞いている。

 あたしは痛みをこらえたまま、必死に言葉を続けた。

「金城は刺殺された。当然、傷口から血が出たはず。もしその血が――糸についてしまったとしたら?」

 糸は繊維でできている。染み込んだ血はそう簡単に落とせはしない。

「だからあんたは、取ってきた糸を見せるだけ見せて、すぐに片付けたの。見せたときは手で隠していた、血のついた部分を見られないようにね。
 もちろん、血の付いた糸は殺人の証拠になる。あんたはすぐにでも、糸を処分する必要があった。それも、できるだけ目立たない方法で」

 あたしはミシンに視線を投げかける。縫いかけの、おそらくはぬいぐるみになるのであろう布が、そこにはセットされていた。隣には綿もまとめて置いてある。

「それであんたは考えたの。その糸で、ぬいぐるみを縫ってしまえばいい、って」

 ぱちん、と布押さえを上げて、布を引っ張り出す。縫い目に目を凝らすと、オーロラのきらめきがかすかに輝いた。

「服やカバンと違って、ぬいぐるみは縫い目を内側に隠した上で、綿を詰めて作るもの。裏返して閉じてしまえば、どんな糸で縫ったかはわからない。
 思えばあのぬいぐるみ、どれもパーツが多かったよね。それは縫い合わせる箇所を増やして、少しでも多くの糸を使うためだった。
 あんたが『あと三日で作り終わる』って言ったのは、糸の血がついた部分を全部使い終わるまで三日かかる、って意味だったんだよ」

 ミシンの上部を見る。上糸には、オーロラ銀の糸巻きがセットされていた。あたしはするり、と糸巻きを指先で撫でる。

「上糸は、ミシン上部にセットして、常に人目に触れている。血痕を隠すには向いてない。でも――」

 ぱかり、とミシン底部の蓋を開く。内釜に仕舞われたボビンが、きらりとまたたいた。指先でひっかけるようにして、ボビンを取り出す。

 銀色の小さな糸巻きには、同じくオーロラ銀の糸が巻かれていた。よく見ると、美しい糸はうっすら茶色く汚れていた。

「下糸は、ミシンの内部に入れて使うもの。いくら汚れていても、外からは見えない」

 ぱちん、と被服室の電気を消す。ふっ、と夕暮れの薄暗さが部屋を満たした。
 茜色から紫に変わっていくグラデーション。窓の外のそれをちらと眺めてから、あたしは小さく息を吸って、ビーカーの中にボビンを落とした。

 からん、と小さな音。そして――

 ビーカーの中の液体が、ぶわり、と青白く輝いた。

(ああ、やっぱり――)

 わかっていたとしても、実際に現実を目の前に突きつけられると、心臓の奥がぎゅうっと痛くなる。

「……ルミノール反応。警察で、血液検出に使用される。これが証拠」

 ぼそりと低く呟くと、ずっと押し黙っていた糸羽が、ようやく口を開いた。

「――さすがチカちゃん。魔法使いみたいだね」
「魔法じゃなくて、化学だよ」
「糸羽にとっては、どっちでも一緒だよ?」

 にこり、と糸羽が笑う。その笑顔が苦しくて、あたしはぐしゃりと顔を歪めた。
 ずきずきと痛む感情をこらえて、掠れた声でささやく。

「……ねえ、なんで?」

 問い詰める声が震えるのを、どうしてもこらえきれなかった。
 糸羽は返事をしない。ただじっと押し黙って、静かな瞳であたしを見つめている。
 なぜ、どうして、という言葉ばかりが、ぐるぐると頭をめぐった。

 どう考えても、糸羽が金城を殺したのはあたしのためだ。
 思えば、コンテストに出る、と宣言したときからもう、糸羽は金城の殺害計画を立てていたのだろう。でなければ、わざわざあんな勝算のないコンテストに挑むはずがない。

(でも――)

 糸羽の殺人計画にはひとつ、どうしても不可解な点がある。オーロラ銀の糸をアリバイに使ったことだ。

 あの計画のキーポイントは、あたしの証言だった。糸羽がオーロラ銀の糸を忘れていると気付いていながら、あたしがそれを無視して登校すること。この計画には、それがどうしても必要だった。

 つまり――あたしが内心で糸羽を疎ましく感じていて、糸羽が困っても知ったこっちゃないと思っている、そのことを糸羽自身が知っていなければ、この殺人計画は成立しないのだ。

(それなのに……どうして?)
 ずっとあたしに鬱陶しがられてるって知ってたのに、なんでこんなことしたの……?

 糸羽はやっぱり答えない。ただ黙って、ビー玉みたいな目で、静かにあたしのことを見つめている。

 その瞳の奥に、諦念や覚悟や、痛ましいほどの受容を見てとって、どうしようもなくやるせない気持ちになった。身も世もなく、泣いてしまいそうになる。

 ――糸羽はあたしじゃなくてもいい。

 同じようにいじめられてる相手だから、勝手に親近感を持っていただけ。一緒にいる相手は誰でもよかったけど、たまたまそこにいたってだけ。糸羽なんて、有象無象の毒どもと、なんにも変わらない。

 ずっとそう思っていた。でも――違った。

 本当は全部あたしだ。糸羽に勝手な親近感を持ってたのも、誰でもいいのにとりあえずで一緒にいたのも、周りに溢れる毒に染まっていたのも、全部あたし。なにもかも、あたしだった。

 世界はクソで、毒まみれで、あたしだけがマトモだと思っていた。あたし以外の存在は毒なんだと。でも、そうじゃなかった。

 糸羽にとっては、あたしこそが猛毒だった。あたしが、他の誰でもないあたしが、糸羽に毒を回らせて、その人生をめちゃくちゃにしたんだ。他の誰でもない、あたしのせいで、糸羽は。

 泣きそうな顔で立ち尽くしているあたしに、糸羽がとても静かに微笑んだ。消え入りそうな声が、がらんとした被服室に響く。

「――チカちゃん。糸羽のこと、好き?」

「ッ……」

 ――好きだよ。たぶんね。

 この言葉のウソを、糸羽はとっくに知っていたんだ。知っていて、それでも糸羽はあたしを選んだ。あたしという毒にやられて、手遅れの中毒になって、死んでしまってもいいって、そう思ったから、糸羽は。

 どうしようもなく、泣きわめいてしまいたい。それでも『どのツラ下げて』という感情が、あたしをかろうじて泣かせずに押し留めていた。
 震える声が、喉の奥から絞り出される。

「……好きに、なりたかったよ……ずっと……」

 本当の心。ひねて拗ねて斜めから物事を見て、いつまでも口にしてこなかった、あたしの寂しい本音の声。

 糸羽のことを、好きになりたかった。
 もっと心を寄せ合って、どうしようもなく中毒になって、共依存にでもなれたらよかった。でも、なれなかった。

 糸羽のことを、嫌いになりたかった。
 もっとはっきり跳ね除けて、どうしようもなく嫌悪して、二度と関わらずにいたかった。でも、なれなかった。

 中途半端なあたしは、どっちにもなれなかった。ずるずると居心地のいい関係を続けて、糸羽を駄目にしていった。だからこんなことになったんだ。

 歯を食いしばって嗚咽をこらえる。そんなあたしを見て、糸羽はどこか困ったように眉を下げると、

「……えへへ〜」

 ふにゃりと、いつもの不自然で下手くそな笑顔を浮かべて――ぽろっ、と一粒だけ涙をこぼした。


糸とビーカー、それから猛毒 ── 完 ──

 


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