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【百合ミステリ】糸とビーカー、それから猛毒──02混迷編


この作品は『KADOKAWA×pixiv ノベル大賞2024』の
「中毒部門」お題イラストから着想し、創作したものです。



 ――金城雫が殺された。
 衝撃的なニュースは、あっという間に学校中を駆け巡った。

 金城が殺されたのは、六時間目の最中だったらしい。授業中だったため学校関係者はすべて校舎におり、犯行時の目撃者はゼロ。放課後にプリントを届けに行った取り巻きたちが遺体を発見したという。

 うちのクラスの生徒たちは警察の取り調べを受けた。あたしや糸羽は特に厳しい追求を受けるかと思ったのに、いじめの事実を口にしたのが誰もいなかったらしい。あたしたちの取り調べは、実にあっさりしたものだった。

 その中で、色々と情報を聞いた。

 凶器はよくある事務用のカッターナイフで、金城のものではなかったこと。部屋の家具や壁に金城以外の指紋は残っていなかったこと。犯人はあらかじめカッターを入手しておき、ビニール袋ごしに刃物を使うことで、返り血を予防、さらに指紋を残さず犯行に及んだらしい。明らかに計画的犯行だった。

 金城の部屋は一階で、遺体発見時は窓が開いていた。寮のドアにカギはないので、窓であろうとドアであろうと、誰でも出入りできたことになる。警察の人は「女子校だというのに、寮の部屋にカギがないなんて信じられない」とぼやいていた。

 だが、仕方ない。うちの学校は姥捨山ならぬ子捨て学校みたいなところなのだ。親も教師もいじめを黙認していることからわかるように、学内の安全なんか誰も気にしていない。

 そして、それ以来――あたしと糸羽を見る目は変わった。明らかに。

 金城というボスを失ったからだろう、あたしたちに対するいじめは明らかに頻度を減らしていった。いじめの内容も、暴力的なものから、ただ陰湿なだけの行為へと変わっていった。

 ただ、いじめが減った理由は、きっとそれだけではない。

 学校中の誰もが思っていた。金城雫を殺したのは糸羽なのかもしれない、と。毒女どもも、そして、あたしも、そう思っていた。

 いざとなれば刃物を持って殺しに来るかもしれない相手を、露骨にいじめることなどできない。だからあいつらは大人しくなったのだ。あたしへのいじめが減ったのは、糸羽のおこぼれみたいなものだろう。

 そして、変わったことがもう一つ。

「……あんた、それ重くないの?」
「ん~? ぜんぜん平気だよぉ」

 ふにゃり、と糸羽が笑った。その頭には、大きなクマのぬいぐるみが、リボンと一緒に付けられている。

 制服の襟にもまた、ウサギやネコのぬいぐるみが縫い付けられている。袖口には小さなイヌが、スカートの裾には小鳥のぬいぐるみが、ぶらぶらと揺れていた。

「別にあんたの趣味に口出すつもりはないけどさ。ちょっと度が過ぎてるんじゃない?」
「そう? かわいいじゃん」
「かわいいは、かわいいけど……」

 だからといって、何事にも限度というものはある。

 金城が死んだあの日から、糸羽は一日にひとつ、ぬいぐるみを縫うようになった。被服室に据え付けられた裁縫部のミシンで、ドレス制作に入る前に、必ず一つぬいぐるみを仕上げるのだ。

「ドレスで忙しいんじゃなかったの?」
「ミシンのウォーミングアップだから。いきなりドレスに針立てて、失敗したくないし」
「でも、コンテストまでもうそんなにないでしょ」
「だから小さいぬいぐるみばっかりにしてるんだよ」
「いや、あれだけパーツが多くて複雑な作りのやつ、いくら小さくても手間すごいじゃん。そんなことしてるヒマあるの?」
「むう……チカちゃんのいじわる」

 糸羽がくちびるを尖らせてむくれる。

「でもさ、ホントに、それ付け過ぎでしょ」

 糸羽は作ったぬいぐるみを、制服や持ち物にピン留めして常に身につけているのだ。一日ひとつのペースで増えていくそれらは、糸羽の姿をどんどんゴテゴテにしていく。

「だって、かわいいから……」
「いくらかわいくても、普通お風呂やトイレにまで持ってく? 少しはどっかに置いてくるとか――」

 そう言って、ぬいぐるみに手を伸ばした瞬間。

「――触らないでッ‼」

 ぱしっ、と手を弾かれた。

 あまりの勢いに、ぽかん、と目を見開く。払いのけられた手の甲がひりひりして、あたしは思わず手をさすった。

 糸羽が、慌てたように両手を振る。

「大丈夫。あと三日で作り終わるから」
「作り終わるって、なにが……?」
「……」

 糸羽は答えなかった。
 ただビー玉みたいな目に静かな光をともして、ふにゃっ、と下手くそな笑顔を浮かべるだけだった。

 ぞくっ、と背筋が寒くなる。あたしは急に怖くなって、それ以上追及することをやめた。

        ※

 翌日の昼休み。
 購買に昼食を買いに行って返ってくると、教室に糸羽はいなかった。それだけじゃない、いつも金城に付き従っていた毒女どもも、いない。

 嫌な予感がした。あたしは教室を飛び出した。
 心当たりの場所はいくつかあった。近い順にそこを回って、最後にたどり着いた実習棟の屋上前に、糸羽たちはいた。

 毒女どもに囲まれて、糸羽が床に這いつくばっている。その身体を、いくつもの上履きが蹴り飛ばしていた。

「ふざけんじゃねえよ!」
「テメェがやったんだろ⁉」
「この人殺し!」
「雫を返してよ!」

 倒れ伏した糸羽は、手を固く握りしめて震えている。ぐしゃぐしゃになったツインテールが、床に力なく散らばっていた。

「――あんたら、何してんの⁉」

 気が付けば、反射的に飛び出していた。
 糸羽の上に覆いかぶさり、きっと毒女どもを睨みつける。毒女どもは、チッ、と舌打ちして吐き捨てた。

「共犯者のお出ましかよ」
「は? なんの話」
「皆わかってんだよ。雫を殺したのは、糸羽だって」
「っ……で、でも、証拠なんかないでしょ⁉」

 あたしが叫んでも、毒女どもは鼻で笑うだけだ。

「あの日、家庭科の授業中、糸羽は被服室を出ていった。あの時間があれば、雫を殺して戻って来ることだってできた」
「糸羽には雫を殺す理由がある。殺すための時間もある。他に誰がやったっていうのさ」
「それは……」

 毒女どもの言うことには一理ある。でも、でも――。

(……あっ、そうだ……!)
 あたしはばっと顔を上げると、毒女どもを睨みつけた。

「違う。糸羽じゃない」
「はぁ? それこそ、証拠なんかないでしょ」
「――ある」

 きっぱりと言うと、毒女どもはかすかにひるんだ。あたしは立ち上がり、胸糞悪い面々をぐるりと見渡した。

「あの日糸羽は、オーロラ銀の糸を忘れたから、寮まで取りに行ってたの。覚えてるでしょ? あの目立つ糸」
「……」

 返事はない。それでも、心当たりはあるのだろう。全員が、なにか言いたげに視線を交わしている。

「あの日の朝、オーロラ銀の糸は間違いなく、第二寮のあたしたちの寮室にあった。絶対にあった。警察でも裁判でも、あたしは間違いなくそれを証言できる」
「……だから、それがなんだっつうんだよ」
「金城の寮は第一寮なんだよ。あたしたちの部屋は第二寮。二つの寮はどういう位置関係にある?」
「校舎を挟んで、反対側に……あっ」
「そういうこと」

 あたしはきっと毒女どもを睨みつけた。

「糸羽が被服室にいなかったのは約十分。校舎から往復五分の距離にある第一寮に行って、金城を殺して返ってくることだけならできたかもしれない。でも、そんなことをしていたら、オーロラ銀の糸を取ってくる時間は絶対にない。
 なにしろ、第一寮と第二寮は校舎を挟んで正反対にあるの。往復五分かかる第一寮と、十分かかる第二寮。両方に寄っていたら、十五分以上かかってしまう。金城を殺すための時間を足したら、最低でも二十分は必要。糸羽に時間的余裕はまったくない」
「っ……」
「あんたらも見てたよね? 被服室に戻ってきた糸羽が、オーロラ銀の糸をちゃんと持ってたのを」
「で、でも、それが本当に朝の段階であんたらの部屋にあったかどうかは――」
「そもそも、糸羽は昼休みの段階ですでに『糸を忘れた』って大騒ぎしてたよね。六時間目に金城が第一寮にいたのは、たまたま五時間目の体育で怪我をしたからでしょ? 昼休みの段階で、糸羽にそんなことを予知できたはずがない。もし糸羽が本当に糸を持っていて、わざと忘れたふりをしたのだとして、なんの意味がある? 金城が寮に戻ったのは偶然なんだよ? オーロラ銀の糸は、本当に忘れられていたの」
「くっ……」
「……で、まだ反論ある?」

 低い声で言い放つと、毒女どもは気圧されたようにくちびるを噛み締めた。悔しそうな表情。

「……雫がいないからって、調子乗るんじゃねえよ」

 それだけを捨て台詞に、毒女どもはぞろぞろと去っていった。
 ふーっ、と息をつく。あたしは床に膝をつくと、倒れ伏していた糸羽を助け起こした。

「大丈夫?」
「……うん、へーき……」

 よろり、と糸羽が立ち上がる。ジャンパースカートの裾を払って、糸羽はそっとあたしを見つめた。どこか怯えるような、伺うような視線だった。
 あたしはどんな顔をしたらいいかわからず、ただ静かに尋ねた。

「あんたじゃないんでしょ?」
「……うん。糸羽じゃない」

 そう言うと、固く握られた糸羽の手が、あたしの前に差し出される。ゆっくりと手を開くと、そこには、見覚えのあるピンクのアイシャドウがあった。あたしのものだ。

「あ、これ……なんで糸羽が?」
「さっきね、あいつらが金城さんの遺品を分け合ってて。その中に、チカちゃんのアイシャドウが混ざってたの」
「え……」

 目をしばたたかせる。そういえば、金城が死んだ日の放課後から、寮室に見当たらないなとは思っていた。でも、それどころじゃないから忘れていたのだ。

 糸羽は眉を下げて、情けない顔で笑った。

「絶対にチカちゃんのだ、って思ったから。それはチカちゃんのもの、返してよ、って言ったの。そしたら、……こんな感じに」

 苦笑して肩をすくめる糸羽。制服は大量の靴跡でぼろぼろだ。

 ――遺品に紛れていたアイシャドウ。第一寮と第二寮の位置関係。それがもたらしたアリバイ。

(ああ――)
 ぼろぼろになって笑う糸羽が、ひどく無垢な笑顔で、嬉しそうにアイシャドウを差し出している。

 じくり、と胸の底がしみるような痛みがあった。ゆっくりと、毒が回っていく感覚。

 あたしは重苦しいため息をつくと、黙って糸羽の制服を掌で擦った。何度も、何度も。むごたらしい白い靴跡が、少しでも消えるように。

 糸羽は嬉しそうに笑って、あたしの両手をぎゅっとつかまえた。

「いいよ、そんなの。それより見た? あいつらの顔! ざまぁ見ろじゃん! さすがチカちゃん、あったまいい、名探偵!」
「別に、あたしは気付いたことを言っただけで……」
「それがかっこいいんだよ~。ね、今度このアイシャドウ使って、おそろいピンクメイクしようよ!」
「……いい、けど」
「やった~!」

 糸羽が楽しげにバンザイする。ぴょんぴょんと飛び跳ねるツインテール。きらきらした笑顔。

 あまりにも嬉しそうな糸羽に、胸の奥が痛くなる。それを押し殺して、あたしはただ、笑った。

「……ほら、行こ」と手を取ると、糸羽は「うんっ!」とあたしの手を握り返した。

        ※

 その日からも、糸羽はぬいぐるみを作り続けた。

 作られたぬいぐるみは、誰にも、あたしにも、絶対に触らせなかった。風呂だろうとトイレだろうと、糸羽はぬいぐるみを決して手放さなかった。そう、まさに今も。

 第二寮、夜の自室。糸羽はシャワーを浴びている。

 大浴場に行けば湯船に浸かれるのだけど、毒女どもがたむろする中に裸で突入なんてしたら、お湯を使ったいじめに遭うのが関の山だ。あいつらは加減を知らない。うっかりすれば溺死なんてこともありうる。だからあたしと糸羽は、ずっと寮室のシャワーで風呂を済ませていた。

 くぐもって聞こえてくる水音に耳を澄ませ、ぼんやりと物思いにふける。
 明日は、糸羽の言う〝三日目〟になる。その日になれば、何かが変わるのだろうか。作り終わるとは、一体どういう意味なのだろう。

 ――正直なところ。あたしはまだ糸羽を疑っていた。

 糸羽にはアリバイがある。あのときあたしは、毒女たちにそう言った。でも、実はこのアリバイは、ある方法●●●●を使えばすぐに崩れてしまうのだ。それに気付いたのは、毒女どもが去った後だった。

 この学校で、もっとも動機があるのはあたしと糸羽だ。あたしがやっていないなら、糸羽がやった可能性は十分にある。実際、金城が殺された六時間目、糸羽は一度席を外している。あの十分間、糸羽は誰にも姿を見られていないのだ。

 ただ――証拠がない。

 アリバイは崩せる。糸羽には殺害が可能だった。動機も十分すぎるほどあった。でも、証拠がない。だから、やったとは限らない。

「……糸羽じゃない……糸羽じゃない……」

 ぽそりとつぶやく。言い聞かせるような台詞は、ドアを隔てて聞こえてくるシャワーの音にあっけなくかき消された。

 とくとくと、心臓が不穏な鼓動を鳴らしている。
 不安だった。どうしようもなく。

 糸羽じゃないと信じたい。でも、糸羽かもしれない。あの子にはできた。でも、証拠はまだ、どこにもない。
 ぐらぐらと心が揺れる。なにか、なんでもいいから、確かなものがほしかった。

(……証拠が、あれば――)

 絶対に見つかってほしくないけど。一つでもいい、なにか証拠があれば、このどっちつかずの感情は楽になるはずだ。

 証拠。糸羽が金城を殺した、確実な証拠になりそうなもの。

「……そうだ、あのぬいぐるみ……」

 金城が死んだ日から、糸羽はぬいぐるみを作り始めた。パーツの多くて複雑な、手間も時間もかかるぬいぐるみ。もしも糸羽が金城殺しの犯人なら、絶対に事件となにか関係がある。

「考えられるのは……ぬいぐるみの中に、証拠を隠してる」

 あれだけ肌身放さず持ち歩いて、あたしにさえ触らせようとしないのだ。そこにはきっと意味がある。

 ぬいぐるみは立体だ。綿と一緒に何かを詰め込んでしまえば、外からは見えない。糸羽が殺人現場にいた証拠、たとえば金城の持ち物とか、現場にあったもの、そういった物品を詰め込んでいるのかも知れない。

(そういえば、凶器はカッターナイフだった……)

 カッターナイフは、先端を折ることができる。
 たとえば、糸羽は金城を殺そうとするときに、カッターで指先を切ってしまったのではないだろうか。刃の先端に自分の血がついてしまった。

 糸羽はとっさに、カッターの血がついた部分を折り取り、残った部分で金城を殺害。カッターの切れ端は回収して持ち帰った。指先の傷は、絆創膏を巻いてごまかした。

 その後、血がついた刃先を処分することができず、安全に持ち歩くために、綿で包んでぬいぐるみに詰めて身につけている――とか。

 あるいは、ビニール袋という可能性もある。
 金城を殺害したカッターナイフに、指紋は残っていなかった。犯人はビニール袋ごしにカッターナイフを握ることで、指紋の付着と返り血を防いだという。もし血痕の付着したビニール袋が、ぬいぐるみのどれかに詰め込まれているとしたら。

 ありえそうな可能性に、ぞわりと嫌な気分になる。あたしは軽く首を振ると、小さく呟いた。

「……確かめなきゃいけない、のかな……」

 そろりと浴室のほうを見る。シャワーの水音はまだ続いていた。

 あたしはのろのろと立ち上がると、糸羽の作業机から裁ちばさみを取った。すり足で進み、音を立てずに脱衣所のドアを開ける。

 ぬいぐるみは、果たして、そこにあった。
 脱衣籠の上、ざっくりと畳まれた服の上に、大量のぬいぐるみが並んでいる。小さいけれど、いくつものパーツでできた、とても精巧なぬいぐるみ。それがびっちりと並んでいる。

 ちらり、とすりガラスの向こうに目をやった。ぼんやりしたシルエットが、心地よさそうにシャワーを浴びている。糸羽は気付いていない。やるなら――今だ。

 あたしはすうっ、と息を吸うと、クマのぬいぐるみを手に取った。

 きっちりと詰まった縫い目に、無理やり裁ちばさみをこじ入れる。びりっ、と音がして、縫い目が裂けた。

 裂けた縫い目にはさみの先端をねじ込んで、ばつん、ばつん、と糸を切っていく。縫い合わされた布はいともたやすくばらばらになって、中の綿や切れた糸が、きらきらと輝きながらこぼれ落ちた。脱衣所の淡い明かりで、こぼれた残骸が照らされている。

(中身、中身は――)
 もしカッターが入っていたら、怪我をするかもしれない。それでも、あたしは構うことなく、床に座り込んでぬいぐるみの残骸をかき分けた。

 中身は――ただの綿だった。

 二体目も、三体目も、四体目も同じだった。どれだけぬいぐるみをばらばらにしても、出てくるのは綿と糸だけ。証拠なんてどこにもない。
 そうして、全部のぬいぐるみを解体し終わったとき。

「――チカちゃん⁉」

 浴室のドアが開いた。ぽたぽたと、全身からしずくを滴らせ、糸羽が目を丸くしている。

「糸羽……」

 あたしは呆然と、立ち尽くす糸羽を見た。

「な、なにしてるの……?」
「……糸羽、ごめん、あたし……」

 ふらり、と立ち上がる。あたしは手が濡れるのも構わず、糸羽の肩に手を置いた。そのまま、二の腕を撫で、髪をかきあげ、じっとその瞳を見る。

 糸羽は、ちらりとあたしの背後に視線をやった。ばらばらのぬいぐるみを見つけたのだろう、糸羽は眉を下げて困ったように笑う。

「……チカちゃん。糸羽のこと、疑ってた?」
「……ごめん」
「いいよ。糸羽がチカちゃんでも、そうする」
「……っ」

 ぺたぺたと、頬や髪に触れるあたしに、糸羽はふにゃりと微笑んだ。呆然としたまま、あたしはゆるゆると、糸羽の肩に額を押し付ける。震える、小さな声が漏れた。

「ごめん……でも、よかった……」
「……えへへ」

 びしょ濡れの裸のまま、糸羽があたしを抱きしめる。あたしは抱き返しはしなかった。ただ、生ぬるい安堵のような、泣き出してしまいたいような、力の抜ける感覚が身体から消えなかった。

 耳元で、糸羽のささやき声がする。

「ねえ、チカちゃん。糸羽のこと、好き?」
「……好きだよ。たぶんね」

 擦れた声で答えると、糸羽はすん、と小さく鼻を鳴らして、

「そっかぁ」とだけ、小さく答えた。


        ※


 放課後。あたしは化学室で部活動に勤しんでいた。
 といっても、実験のたぐいをしているわけではない。ただ一人で論文を読んでいるだけ。金城に入部届を破られたせいで、新入部員が獲得できなかったのだ。

 ぱら、と科学誌をめくる。そのとき、ふるっ、とポケットでスマホが震えた。糸羽からのLINEだ。

『チカちゃん! もうすぐ完成だよ!』

 その言葉とともに、一枚の写真が添えられている。完成間近のドレスの写真だった。

『できあがったら、真っ先にチカちゃんに着せてあげるね! ぜったい似合うよ!』

 浮かれまくった文言が、続いて飛んでくる。それから、別角度のドレスの写真も。

「……きれい」

 頬杖をついて、ぽつりと呟いた。口元に、ふわりと淡い笑みが浮かぶ。

 ドレスは本当にきれいだった。たっぷりのドレープが優雅で、シルエットの曲線が美しくて、ふんだんに施された刺繍はオーロラ色にきらきらと輝いている。

 糸羽のことだから、きっとあたしのサイズにぴったりに違いない。これはあの子が、あたしを助けるために作ったドレスなのだ。そのことを考えると、なんだかうまく表現できない気持ちになった。

(ああ、ほんとにキレイだな……)

 科学誌を閉じて、スマホを両手で高く掲げる。複数のドレスの写真を見比べていると、きらきらした刺繍のきらめきが鮮やかに目に突き刺さった。

 オーロラの光。きらきらと、まるで砕け散った星みたいにきらめく、独特の輝き方。

(……あれ……?)
 なんだろう、どこかで――同じ輝きを見たことがある、気がする。

 あたしは眉を寄せて、必死に記憶を手繰り寄せた。どこで見たんだろう。そんなに前のことではないはずだ。むしろ、すごく最近の――、

(あっ……)
 ――あのときだ。

 ほの明るい脱衣所。震える裁ちばさみ。大量のパーツに分解され、ばらばらにされたぬいぐるみ。散らばった綿と糸の切れ端。

 あのとき、たしかにあたしは、淡い光の中で、オーロラのきらめきを見た。このドレスの刺繍と、まったく同じ輝きを。

 そうだ。
 あの大量のぬいぐるみは●●●●●●●●●●●全てオーロラ銀の糸で縫われている●●●●●●●●●●●●●●●●

 そのことに気付いた瞬間、あたしは、すべてを悟って――、
 そして、愕然とした。

 


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