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『虎に翼』が残り12回なので

あと…12回…!
わかっていても信じられないというか、信じたくないというかずっと見ていたいというかずっとやってくれというか。
そんなかんじです、日々。

ヒロインが決まるたび関心は持っていたものの、今回初めて見る習慣ができた朝ドラ。
きっとそういう人は今回すごく多いと思う。

リアルタイムで感想実況しながら見るのは、8:16~の一日をみんなと感想を喋りながら過ごせるところまで含めてとても楽しいのだけれど、平日朝8:00~8:15というのは、毎日のリアルタイム視聴がなんとも難しい時間。

そこで発揮するよくない癖。
すぐに金で解決しようとする…!
録画するとかあるだろと自分でも思うのだけど、録画容量たしか4年前くらいからいっぱいだし、それら惰性で録ってたやつだから精査するのもだるいし、生活スタイル的にタブレットなら見られるという時間が多いし、、、

などなどの言い訳をして、お世話になっておりますNHKオンデマンド!

てかこの半年、絶対めっちゃ登録者増えてるよね。
NHKオンデマンドはとらつばに感謝だよね、という誰だよ目線のことも思ったり。


で、今のところわたしは次作の朝ドラを見る確証はないので(今回みたいに口コミ次第で後追いの可能性は十分あるけど)、おそらく9月いっぱいでNHKオンデマンドとも、さよーならまたいつか!になるわけよ。

そこで、ここぞとばかりに“気になってはいたけど今まで見られなかった”作品たちを、NHKオンデマンドで一気見し始める、がめつい女。

代理母出産をテーマにした桐野夏生さん原作の『燕は戻ってこない』、とらつばの吉田恵里香さん(脚本)×尾崎裕和さん(制作)コンビによるアロマンティック・アセクシャルの人々を描いた『恋せぬふたり』を見終えて、今は『カーネーション』を見ている。
(燕は戻ってこないと恋せぬふたりの話もいつかどっかでしたい)

タイトルロゴかわいい

『カーネーション』は2011年10月から放送されていた尾野真千子さん主演の朝ドラ。
脚本は『エルピス』の渡辺あやさん。
(エルピスもずっと見たくて見られていない。見なければ)

今の時点で3週目にあたる12話までしか見られていなくて、おもしろくなるのはまだまだこれからというのは重々わかっているのだけど、とりあえず今刺さったところを残しておきたい。

ちなみに、あまたあるNHKオンデマンド作品の中から『カーネーション』を選んだのは、元々とらつばで朝ドラの新規視聴者が増えたときに過去の良作として5~6月頃からよく名前を聞いていて気になっていたというのと、岡室美奈子さんの『テレビドラマは時代を映す』が後押しになって、見るしかないなと思わされたので。

アトロクで知った岡室さん。話もおもしろい!


『カーネーション』は細かな展開は省いてとてもざっくり言えば、着物の時代に“洋服”に出会って惚れ込み、その後に知ったミシンを自らの“だんじり”としてミシンでの洋服作りに生涯を捧げた女性・小原糸子の話。

コシノヒロコ・ジュンコ・ミチコのコシノ三姉妹の母であり、デザイナーの小篠綾子さんがモデル。

大阪・岸和田の生まれで、幼い頃からだんじり祭りが大好き。いつか自分も大工方になってあの屋根に乗るのだと信じて疑わなかった糸子に、周囲の人間は「お前は女だから無理だ」「女が何を言ってるんだ」と言い、次第に糸子自身も自分の意思や実力とは関係のないところで現実的に無理なのだということを悟る。

時代背景は大正から昭和に移る頃なので、学校の授業でも家庭内の会話でも「女は男の一歩後ろを」「女に商売は無理」「女はいいところに嫁げるようにいい嫁になるための努力を」などなどの言葉が繰り返される。
このあたりはとらつば序盤にも通ずるところ。

それらの言葉を受けた糸子は「なんで女ばっかりそんな退屈なん」「そんなんつまらんやん」と言う。

なんだかんだあってパッチ屋(大工さんの衣服などを作る商売らしい。糸子はそこでミシンに惹かれた)を手伝い始めた糸子は、それはもう全身で“楽しい!!!”を表現する。

それまで手縫いで洋服を作っていた(糸子の家は呉服屋なのでこれも反対される)糸子にとって、ミシンの勢いのある縫製はだんじりの勢いに通ずるものがあり惹かれた、というのはもちろんだけれど、
「いい嫁になる」という女として生まれた時点で決められていたルート以外に夢中になれるものを見つけて、それをやれるという喜びが大きいように思う。

そんな糸子を見ていて、とらつば小橋の圧倒的No.1名シーンを思い出した。
裁判所見学に来た男子学生が、「女は働かなくても生きていけるのに、なんで働こうとするのか。そのせいで自分たちはただでさえ男の中で闘っているのに、女とも余計に闘うことになる」という旨のことを言うシーン。(記憶だけで書いてる)

この学生は「なんで働こうとするのか」というが、働かないことを「つまらん」と、いい嫁以外の選択肢がないことを「退屈」と思う人もいるのだ。

わたしは働く働かない以前に、物心ついたときからやりたいことがとめどなく生まれるタイプの人間なので、必然的に稼ぐ以外の意味でも働きたい人間だけれど、今のこの時代にも専業主婦を望む女性がいることも理解できるし、それはまったく悪いことではないと思う。

同様に、男性であっても働きたくない、というとニュアンスが少し変わってしまうけれど、稼ぎ頭になることを前提とされていることを重荷に感じる人もいるであろうことは想像に容易い。

そしてそういった人たちにとっては、専業主婦という道が選べる(というかそれが多数派)の女がうらやましく見えるし、そのような「楽な道」があるのにあえて男社会で働こうとする少数派の女が目障りなのは、まあそうよね、とも思う。

とらつばやカーネーションの頃から年号が2つも変わった今でもなお、働きたい女性に比べて、働かない男性への理解や配慮(っていう言葉もなんか変だが)は広まっていないように思う。
※「働きたい女性」という女性の主体的な意思であるはずの言葉に、労働力不足などの社会問題を溶け込ませて、支援してますよヅラするのはやめてほしいが。

つまるところ、社会に出て働きたい・家庭など社会以外の場に尽くしたいというのは性別によらない話で、その根本の願望が違う者同士で咎めあっても仕方ないよねという話。
専業主婦とワーママの対立もそう。

(成人してもなお、社会でも働きたくないし誰のケアもしたくないと言われたらそれはもう、それこそPERFECT DAYSの平山さんみたいに最小限の労働と消費でミニマムに生きる以外の案がちょっと浮かばないけれど。)


そして先に少し触れた、呉服屋の糸子がミシンを扱う店を手伝うことを反対されるというくだり。
糸子のお父さん・善作はなんと小林薫さんなのよ。
穂高せんせぇ…!

穂高先生とは打って変わって、絵に描いたような昭和の親父である善作。
すべてのものを蹴散らし、気に入らないことがあったら殴る水かける物投げる。

そんな振る舞いが許される理由には全然ならないのだけれど、
でも善作は時代の流れもあって呉服屋の先行きが明るくなかったり、妻の実家では駆け落ち同然の結婚を未だによく思われていなかったり(当たり前だけどね)と、
“大黒柱”としてその役割を果たせていない自負があり、周囲からも指摘をされる。
まあそりゃあつらいよね、とも思う。

でも、それでも、男性が自分より立場が強い者によって与えられた負を、自分より立場が弱い者への攻撃性として転嫁するのは、典型的なトキシック・マスキュリニティ(有害な男性性)である。

糸子の父・善作が、社会に出て働いて稼ぎ頭となることを本当は重荷に思う人間だったのかどうかは、少なくとも今の段階ではわからない。

けれど、とらつばのあの学生の彼が、あの気持ちを持ったまま大人になって、社会の中で働くようになって、家庭を持ったら、彼の行く末は善作になるよなあと思わずにはいられなかった。

自分が嫌なことがあったからといって、人に嫌なことをしていい理由にはもちろんならないのだけれど、最初の嫌なことをなくしていこうよ、という話で、それって結局フェミニズムに通ずるんだよねえ。

日本ではとくに「フェミニズム」という言葉が女性優遇・男性嫌悪・意識高い系というイメージをもたれがちだけれど、フェミニズムって本来、性差別をなくし、性差別による不当な扱いや不利益を解消しようとする思想や運動のことなので、当たり前だけど実現によって生きやすくなる(もっと簡単に言えば得をする)のは女性だけではないのだ。

社会に出て働きたい女性にとっても、専業主婦をいいなあと思う男性にとっても、今までの社会構造は性差別による不当な扱いや不利益なのだから、それをなくしたいと思うのなら立派なフェミニストであって、寅子と糸子とわたしと、とらつばの学生のあの彼は連帯できる。


実生活でもフィクションでも誰かを「悪役」とするのは容易くて、とくにフィクションはわかりやすい「悪役」がいたほうが簡単におもしろい風にしやすいということもあるけれど、
それでもそうやって悪とみなすことで自分にとっての攻撃対象を増やしていくよりかは、連帯できるのではないかという可能性を捨てずに対象を見続けて、より大きな本当の敵と共闘したい。


読み聞きした話によると、まだまだおもしろさが残っているらしい『カーネーション』、続きも見るのがたのしみ!

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