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天日干しの記憶の断片

取引先はほとんど一週間ほど休業しているというのに、お盆休みというものにロクに恵まれずに、一日有給休暇を取得した上で三連休を過ごしている。

引きこもる以外に予定がないのだと友人に話すと「よくないよ」と言われ、よくないのか、と思うところまでは良かったものの、結局近所の本屋まで出掛けたきりである。(ちなみにその本屋はショッピングセンターに入っている小さな本屋なので出版社別でなく著者五十音順で並んでいる。私はこの陳列がとても苦手で積む本を買うことさえできなかった。)

それでも普段は日光に当たる時間など一日に数分しかないので、本屋までの往復でしっかり太陽に当たって帰宅すると、太陽に刺されてぱりぱりとした目や天日干しにされた皮膚から夏休みの香りがするような気がした。

夏休み。
私は過去の記憶が断片的にしかなく、ここ数年の記憶も継続して抜け落ちているので、当然幼少の夏休みの記憶などほとんどない。勉強した記憶も、遊びに行った記憶も。少なくとも町内では毎年地蔵盆が開かれていたはずであるが、記憶にあるのは大容量のウォータージャグから出てきたお茶の頭が痛くなる程の冷たさと、床に放置されていたゴムチューブを伸ばして遊んだことのみで、開かれていたであろうイベントについてはよく思い出せない。

医者は解離(離人症)によるところもあるだろうと言っていたけれど、支障が出ることは(支障が出たことを覚えているのは)あまりないので積極的な相談はしていない。きっと、過去の私が忘れたいから忘れているのだ。

まあしかし、せっかくnoteというものをはじめたのだから、今年の夏の記憶で残したいものをnoteに任せようと思う。

・はじめて行く県の乗換がスムーズにできたこと
・やっとしっくりくる夏の香水を見つけたこと
・数年ぶりに美術館に行けたこと
・7月は11冊の本を読んだこと
・久々に単行本を買ったら装丁に興味が湧いたこと
・真珠についての勉強をはじめたこと

ああ、もう忘れてしまっていることがきっとある。忘れたことが、忘れたいことでありますように。

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