エンゲージリング


 君は綺麗な人だ。
 美しい微笑みに、一点の曇りもない。

「おはよう」

 柔らかな朝日と共に目を開ければ、君は既に椅子に腰掛けて、穏やかに世界を見つめている。僕が声をかけると、少しだけ笑った。

「今日の調子はどう?」

 肘掛けに僕は座って、肩を抱き寄せる。静かに首を横に振る君に頑張って笑いかけてみせた。

「まぁそんなもんだよ、いきなり調子良くなったりしないって」

 困らせてごめんね、そんな表情で僕の顔を見る君の髪をそっと撫でた。手のひらに沿って、毛が抜ける。来るべきときのために覚悟をしなければならないらしい。世界は残酷だ。君と僕をやがて分かつ世界なんて、不幸以外の何物でもない。

「……綺麗だね」

 窓から見える朝焼けは新しい今日を祝福しているようだった。澄んだ空気に、水の上の油のように何かの匂いがする。

「君も綺麗だよ?嘘じゃない、嘘じゃないってば」

 君が拗ねたようにこっちを見るから、慌てて付け足すと疑わし気な視線を向けてくる。

「結婚式、したかったね」

 鳥が鳴いている。耳障りな羽音が耳元を飛ぶ。好きじゃないんだ、この音は。顔を見合わせる。笑い合って、そしてそこに形があることを確認する。

「また指輪落としたの?」

 君の左手と触れ合って、薬指に金属の冷たさがないことに気付く。君はよく指輪を落とすから、もう僕は指輪探しのスペシャリストになってしまった。この部屋限定で、だけど。

「大丈夫、見つけた。ほら、椅子の下。転がって隠れたんだね」

 椅子の下に光る赤道色を手に取り、足元に跪いて薬指へとそっと嵌める。この瞬間が幸せなのだと伝えると、君は恥ずかしげに微笑んだ。

「……もうそろそろ、なのかな」

 予感はしていた。もう、潮時だった。君の肉体は、限界を迎え始めている。お別れが、近付いている。

「もう、眠ってしまうのかい?」

 痩せこけ落ち窪んだ目に、涙が伝う。

「そう、そうか……」

 悲しかった。できることなら、ずっと共に在りたかった。美しい君と共に、そしてその最期の時まで、一緒にいたかった。

「そうだよね、家族に、会いたいよね」

 帰りたいと動いた唇に、僕は柔らかく語りかけた。

「僕が一緒だったらきっと嫌がられちゃう。だから、君を家の前に置いていく。インターホンを押して僕は走り去るよ。だから、もう、これが最後」

 君の唇にそっと口付ける。あぁ、こんなに変わってしまった。あんなに桃色に輝いていた
頬も、薄紅色の唇も、淡い光を宿した瞳も。もう、ここにはなかった。

「君を、連れて行ってあげるよ」





玄関先に遺体置き去り逃亡
 △△県△△市で昨年十月××××さんが誘拐され、行方不明となっていたが先月二十八日遺体が××さん宅の玄関先に置き去りにされていたことが判明した。××さんは職場から帰宅途中、行方不明になり、何者かに連れ去られたとして捜査中だった。
 朝四時半頃、××さんの夫、○○さんはインターホンで目を覚まし、モニターに不審物が映っているのを確認し、玄関を開けたところ××さんの遺体を発見したと証言している。遺体には暴行の痕跡があり、また左手の薬指には××さんの持ち物ではない指輪が嵌められていたという。
 また、近くの住人による、悲鳴の後自宅の前を走り去っていく男の姿を見たとの証言もあり、男を誘拐、殺人の容疑で捜査している。

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