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本日は、「Curved edge」発売日。

それを聴きながら、このnoteを書いている。

以前、好きなアーティストのライブに行った時に、たまたま近くにいた人たちが「ヒトリエが好き」と言っているのが聞こえたのを思い出した。コロナ禍の前だ。

当たり障りもない会話だった。けれど、その話の一部分がとても印象に残っている。

「今のヒトリエはwowakaさんを使って商売をしているようだ」という声だった。

腹の底から沸き上がるような怒りを今でも覚えている。どうして、そんなに冷たいことが言えるのだ。

あなたたちは、ボーカルが死んだあの春の日を、メンバーの辛さが滲む紙面の上での言葉を、詰まらせながら絞り出した歌声を知っているはずだろう。一番近くで見てきたはずだろう。そのはずなのにどうして、どうして、そんな残酷なことが言えてしまえるんだろう。

今はもう、なんとか古傷になった。でもまだ疼く。ただのリスナーだった私がこうなのに、どうして「死人を売り物にしている」だなんてことを簡単に、平然と抜かすことができたのだろうか?

別現場だったというのに、腑が煮え繰り返りそうな思いで、耳を塞いだのを、今もまだ覚えている。

「絶対にそんなわけがないだろう」と私は確信していた。

そして今、その確信は間違いじゃなかったと感じている。

前進か後退か、そんなことはわからない。決められない。けど、彼らはどこかへと進み出したのだと思う。

確かに、wowakaさんの曲ではない。

だけど、紛い物などではない。

誰が何と言おうと、ヒトリエの曲だ。

ハッキリ言って、これはヒトリエだ、ヒトリエじゃないという正解探しはめちゃくちゃナンセンスだと思う。だから、定義付けなんてしたくない。

なぞらえる必要もない、でも生まれ変わる必要もない。失われたと嘆くのは、どこかお門違いだ。

大阪の小さなライブハウスでシノダさんが語った、「wowakaは俺たちを引き合わせてくれた」という言葉の意味が、今になってようやくわかった。

私はこの新曲がとても好きだ。

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