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November


※この記事は、2019/11/6に別のアカウントにて記載していたものをタイトルを変え、再投稿したものです。


先日、故人の誕生日だった。wowaka氏のことだ。
彼がこの世を去ってから、既に半年以上が経った。季節はもうじき冬になる。11月だ。寒さが薄氷のような鋭さを持ちはじめ、優しくて柔らかな光が降り注ぐ、今はそんな秋だ。


私はヒトリエというバンドが好きで、ライブも地元に来た時は行くような、熱心ではないファンだったけど、彼らのことが大好きだった。いつも予想を裏切るような彼らの軽やかでテクニックな音楽は、いつでも私の心を踊らせ、希望を見せていた。

様々な音楽を聞いて「やっぱりいいね!」と帰って来るような場所であった彼らが、私の中で気付かぬ間に掛け替えのない存在になっていたと気付いたのは、ボーカルのwowakaが死去してからのことだった。

彼が息を止めたのは、まだ寒さの残る4月だった。突然ライブが中止の報告がされ、ソニーのサイトで訃報が発表された。彼がいなくなったと告げる文章はあまりに淡々としていた。呆気なく知らせられた彼の死を私は「ああ、死んでしまったんだ」ということを額面通りに受け止めた。大事な人の死は2度目だった。いつでも死を受け止める時は呆然としている。帰り道で彼の歌を聴いて、なぜだか涙が出た。ひとりで、ただ泣いていた。この声がもう聞けないんだと、その時ようやっと理解した気がする。なぜ彼じゃなきゃいけないんだろう、と思った。

多くのことが変わった。1番変わったのは心の持ち方だ。1番変わらなかったのは、生活だ。
彼が死んでも変わらず時は流れていて、突然世界が終わることも無い。彼が生きていた痕跡はまだ色鮮やかに輝いている。今もまだ、YouTubeを開けば、生きて歌う彼に会える。個体として見た人の死などそんなものなのだと思う。
でも心は違った。私は価値観が大きく変わってしまった。私はそれまで、死ぬのが怖かった。でも"あちら"に彼がいるならと考えると、死ぬのは少しだけ怖くなくなって、甘美な響きとなった。誘惑に近いものだった。それは果てしない永遠の暗闇かもしれないのに。
彼が死んだその時は、死ぬことも薄ぼんやりと考えた。でも、死ぬ意味なんてないとすぐに気付いた。死んだところで、彼は帰ってこない。前も後ろも暗闇で生きていくしかなかった。今はようやく、暗闇が晴れつつある。

彼が死んでから、数日だけ曲を聞いて、それから1度Twitterの公式アカウントのフォローを外したりして、しばらく彼の音楽を聞かなくなった。彼のことが少しでも目に入れば、引力のように悲しみに引き摺られるからだ。思いもよらぬところで悲しみは連鎖する。彼の友人が彼の死に対してのブログを更新した時、糸が切れたように絶望し、一日寝込み、仮病として休み、共通のファンである友人と会った。友人とはその数日後、また別のバンドのライブに行く予定だったが、その矢先でこんなことがあったから、1度どこかで会っておかないときっと他のバンドのライブで号泣したりと意味不明な行動をしてしまうことはなんとなく察していた。友達と私はストレスが極端に胃腸に現れるタイプで、ふたりして饂飩を食べた。人が死んでも食事は美味しかった。思いもよらぬところで泣きそうになった。私はその当時最新のアルバムをじきに買おうと思っていたような、言うなれば熱心なファンではなくて、友人は本当にヒトリエにとてもハマりライブのために初めて遠征に行ったようなタイプだった。私は悲しいかな、彼が死んでから狼の唸り声を聞いた。だからその話は、ほんの少しだけした。どの曲が好き?と聞いて、私は間髪入れずに答えた。
「Novemberかな」
私たちはエスカレーターの上下の段に立っていた。私は友人を見下ろしいて、「ああ人は泣く時こんな顔をするんだ」と思った。「やめてよ」と笑いながら言われて、ごめんねと返してそれで終わった会話の後、友人は「ウィンドミルの最後を聞いて、そういうことなんだなと思った」と呟いた。私もそう思うと返し、それでHOWLSの話は終わった。続きの話はそのうちしようと思う。そのうち笑って話し合える時でいいと思っている。それと同時に、「今もし私が死んでしまったらこの友人はどうなるんだろう」と考えた。それでもう、自分の生死のことを考えるのをやめた。

彼が死んでから聴く他の人の音楽に、彼の面影を求めていることに気がついたのは、彼が死んでからしばらく経ってからのことだった。何を聞いても「ヒトリエには適わないな」と思うようになっていた。私はそれが1番良くないことのような気がした。それまで私の中で「好きなバンド」だった彼らが、死によって「特別」に美化されてしまったのだ。もちろん彼らの音楽は大好きだ。けれど、どれか一つだけ特別になるのが音楽ではない。私の中で大切な音楽はいくつもある。ただ死んだというそれだけで、音楽の価値が変動してしまっているのだ。それはとても良くないことだと思ったから、意識を変えるようにした。今は時々、好きな音楽としてヒトリエを聞いている。wowaka氏が亡くなったから、慰めや感化のために音楽を聴いているのではない。



もう半年が経ったのかと思う。後悔することだけは絶対に嫌だから、無くなると分かっているものに対しアクションを起こすことを躊躇わなくなった。それ以上に好きなものに好きと言うようになった。大事なものを大事にするようになった。新しく好きになったバンドができた。悲しみを歌う歌が時々ひどく薄っぺらく聞こえるようになった。


半年以上前に感じていた感情は感覚として覚えているけど、ふらふらと彷徨うような絶望感は忘れた。彼が死んでから気付いたのは、人間は忘れることができる生き物だということだ。忘れて、前を向ける。笑える。悲しみを伴ったままかもしれないけれど、生きていける。言い換えれば、死ぬまで悲しみを伴ったまま、生きていかなければならないのだ。


諦めがついたのだと思う。彼は死んでもう二度と戻らない。でも彼の残したものはあまりに大きく、偉大だ。彼の歌やその声は私たちの血肉となって、未だ強く鼓動している。それを自らの命ごと抛つほど、私は馬鹿じゃない。私はまだ、死ぬのが怖い。彼の居たこの世界を私は愛している。
せめてこの命が終わるまで、笑っていようと思う。生を謳歌しようと思う。どうせ人生は悲しみの連鎖なんだろうが、残ったものは悲しみばかりではない。悲しみだけしかないような人生にしてたまるか。人生の本質は別れかもしれないが、それならその別れが来るまで、悔いのないように生きたい。人は愚かで単純で、美しい。11月の風に吹かれながら、笑いながら、そんなことを思っている。



追記

さらにまた、ひとつ歳を重ねた。彼が亡くなってから2度目の誕生日が過ぎ去った。今年の秋はなんだか不可思議で、暑くなったり寒くなったりの繰り返しだが、今日は寒い。もう12月が手前に近付いているのだから当然だ。

あれから、ヒトリエの曲は時々聞けるようになった。私は随分元気になった。思い返すように彼の曲を聞いては、感傷に浸っているのだと思う。

彼が亡くなった年のライブで友人と最前席に構え、思い切り彼らの音楽を浴び、(W)HEREとカラノワレモノで号泣し、やっぱりすごいなあ、そしてきっと大丈夫だと思い、彼の生前と同じような感じでヒトリエの行方を見つめている。まさかコロナウイルスが流行するとは思ってはいなかったが。いつかまたライブに行けたらいいなあ。その時に聞く新曲のことをとても心待ちにしている。

あの時私が得た考えは、今も変わっていない。酒も煙草もやるようになった今からすれば、あの時まだ未成年でよかったな、と心から思う。あの時もし成人していたなら、きっとどちらかに溺れるしかなかったからだ。

彼が今、歌を歌うならどんな歌だったのだろうか、ということは考えたりはする。でも彼は私たちの想像のつかない彼らしさをずっと描いてきたから、きっと予想なんてつかないのだろうなあ。

「SLEEPWALK」の「あなたの思うままにさせはしないよ」という歌詞が、今となってはwowaka氏がこちらを向いて、笑っているような気さえする。うん、もうお手上げ。敵いません。だから、あちらに行った時、新曲を山ほど聞けたらいいな。


私は彼らの歌を聞くたびに、「wowakaさんは歌になったのだ」と思うようになった。

音楽に溶け込んだ彼の歌声や生きた証拠は、生や死を超える。そう思えて仕方がないのだ。

だからきっと、もう寂しくないのだと思う。

11月が終わろうとしていく。彼がいない日々はこれからも永遠に続いていく。だけど、なんとか、歩いて、あたしはまだ、踊れそうだ。


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