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心理学を学ぶと人の気持ちが分かるようになるんだって!!!!!!!

↑の冒頭部分に書いてあることをもっかい書くだけ。


小学校に入学する前の検診みたいなので面接官的な役割だったのが、僕がこれから嫌いになる上田先生(本名)だった。その時のことを振り返って、「上田先生、大学で心理学勉強してたんですってね〜、アタシあの人と話してて心読まれてると思っちゃったもん〜」と話していたママ友がいたらしい。実際、僕の上田先生への印象は、ある時点までは「心理学の人」だった。それくらい豪語してたんだろうと思う。この時点でちょっとお察しな気もする。

小3の頃、いつもと違うクラスで上田先生の授業を受ける機会があって、「どこに座るかは自由ですよ」って言われたから後ろの方座ったら、意図せず一番後ろの列になっちゃって、「一番後ろに座ってるのはやる気がないからだよね?(僕)君?」って言われた。そりゃないだろ、お前が自由って言ったんだから。お前が知らないだけでこっちは忘れ物に気づいて一回教室戻ったんだからな!なんならそれまでは結構早かったらな?教室着くの。、とは言えずに、言葉に詰まって泣きそうになりながら耐えてた。名指しで言われたからこっちを向く教室中の皆の視線も嫌だった。そんな風に叱られたことなんてなかったから反論のしようもないし、反論できたとしてもお得意の「心理学パワー」でねじ伏せられると思った。


ん?心理学パワーって何??本来、心理学ってそういうものじゃないだろ、と気づいたのは小学校なんかとっくに卒業した後で、もう上田先生の下の名前も覚えていない頃だった。(別に温情で苗字だけ記載した訳じゃなくて本当に覚えてなかった)

そう、奴の言う心理学とは世間一般で言う心理学とは訳が違くて、奴はある種のステータスというか、自身の存在価値を高めるための武器として心理学のネームバリューを利用してた。心理学なんて教わったことないから分かんないけど、ママ友の言うように「心を読む」ことが仮に心理学だとするならば、あの時名指しで注意されて傷ついた俺の心を、お前のその心理学とやらで治してもらおうか、と言いたくなる。

(実際は親御さん間での印象も良くはなかったらしい。結構出世出世、という感じの人だったみたい。)

それ以来心理学と聞くとちょっと嫌な気分になる。心理学なんも悪くないのに。本当にごめんだけど。




話は変わる。僕にはガチの夢があって、精神科医になりたい。僕が今こうやって文章を書いているのも、結局は自分の心の動きを記録しておきたいからだし、自分が色々と精神的に不安定になったこともあって、そういうことで悩んでる人の苦しみを少しでも楽にしてあげたいし、それが他者のため、ひいては苦しんでいた頃の自分のためになるのかな、と思ってる。

そんなわけで精神科医について調べてると、サジェストに「話聞くだけ」とか「5分診療」とか出てくる。どうやら精神科外来では患者数の増加や制度的な問題?もあって、再診では1人の患者さんにそんなに多くの時間かけられないらしい。


「感受性が豊かだね〜」「人の気持ちが分かるね〜」と言われながら育ってきたけれど、僕に本当に他人の苦しみ、人の気持ちなんか分かるんだろうか?いや、絶対分かんない。今日初めて会った大人に「あなたの気持ち、すごく良く分かりますよ」とか言われたとして、本当に辛い時だったら「このおっさんに俺の気持ちなんか分かってたまるか」となる。僕だってそうなる。大体さ、お前、「精神的に不安定になったこともある」とかさっき書いてたけど、どうせ「しんどい〜」程度で済むものだろ??大袈裟だな、相対的にもっと苦しんでる奴だっているよ。いや、でもその時はめちゃくちゃ辛かったんだもん、しょうがないじゃん、、分かった気になるんじゃねえよ人の苦しみなんてさ。どうせ分かんないんだから。じゃあどうすんの?気持ちに「分かる」と「分からない」以外に何があるの?え?「寄り添う」?分かることもできない奴が????何それwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwウケるんだけどwwwwwwwwwwwwwwwwwwww




僕は人に感情移入しすぎるから、本当に精神科医になれたとして、マジでメンタルを病む気がする。他人の気持ちなんて本当には分からなくて、人の気持ちを分かりたい、楽にしてあげたいと思う時にそこにあるのは、自分が持ってる自分のものさししかない。

上田先生に詰められて言葉が出なかったあの時の僕の苦しみは22センチくらい。僕の筆箱にはその時、15センチ定規しか入っていなかった。今でこそ22センチを測れるけど、この先もこういうことをずっとやっていくのだと思うと怖くなる。この気持ちは、今何センチなのだろうか??自分で測りきれるのだろうか???

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