陽だまりのような




言葉は呪いだ、といつからか思いこんでいた わたしは嫌に記憶力が良いときがあるので、棘のある言葉をずっと永遠に脳内再生させてしまう 何度も言われたわけではないのに何度も言われたような気がしたり、複数人に言われたような気になってしまう
まぁこれが自分で自分をうつ状態に追い込んでしまう原因のひとつなのだが。

同時に、言葉はひとを救うものでも、ある



大学の卒業時、4年間共にしていた友人たちと手紙を書きあった 誰かがそうしようと言ったわけでもなく、各々が自発的に、しかもわたしたちは9人グループの大所帯。いまでもすごいことだったなぁと思う

友人がその手紙にあることを書いてくれた
「〇〇ちゃん(わたし)は自分のすきなものに真っ直ぐで、芯があって愛のある人だと、それが素敵だと思う」と
そのことばを見た瞬間、わたしは堪らず咽び泣いた

自分の想いが誰にも認められないものだと、他人にとっては邪魔なものだと気づいてしまったとき、わたしはできるだけ自分の想いを口にしないように決めていた 他人に迷惑をかけることが心底嫌で(それは今もだが)、誰かの負担になるようなこともしたくなくて 自分の思っていることを閉じ込めてただわたしが我慢すればいいのだと、家庭環境がずっと悪かったせいもあってそう思わざるを得なかった

だけどその子には気づかれていたみたい それからその言葉は、わたしのこころのお守りになっていた この言葉のおかげで、わたしは好きな人には好きと言えたし、自分の好きなものを公言でき、絵を描くことやメイドをする一歩を踏み出せたという経緯があった わたしにとっての恩人と言える

だが、社会人になるにつれなかなかみんなで集まる機会がなくなってしまっていたのだった


程なくして、わたしの恩人である彼女の結婚式があった

挙式を終え披露宴会場の指定された席に自分の名前が書かれた紙やプレートが置いてあると思うのだが、よくその裏には新郎新婦が招待客個々に手紙を書いてくれていることが多い(わたしには絶対に無理だ…と毎回思う)

そこに、あのときの言葉と同じ意味のことばが書いてあった そういうところをすごく尊敬している、という文字も付け加えてあった

彼女は陽だまりのような子だ やさしくてあかるくて努力家で、笑顔が本当に素敵な子 彼女が笑顔になると周りまでぱぁっと明るくなる やさしすぎるあまりいろいろと我慢してしまうせいでこちらがヤキモキしてしまうときがたまにあったりもするが、そんな彼女は本当に愛くるしくて、彼女を嫌いだという人はひとりもいないくらいだった

当時の彼女のまま変わらない笑顔とやさしさがそこにはあって、そんな彼女に似た雰囲気の旦那さんが横にいて、スピーチをする人たちもみんなお互いを想い合っていて あたたかい人の周りにはあたたかい人たちが集まるんだなぁと心底思った



わたしは学生時代から、ずっと彼女に憧れていた
同時に彼女に対するコンプレックスも抱いていた

まだまだわたしも子どもだったのでそんなコンプレックス、今はどうでもいいと思えるくらいだし、ただ彼女を羨ましく思っていたんだろう

そんなひとに、尊敬している、だなんて言葉をもらって わたしはそんな大それた人じゃないのに、と真に受けて受け止めてしまっていいのか少し不安だったけど、彼女の笑顔を見たらそんな気持ちは微塵もなくなった 

わたしも、みんなじゃなくていい、誰かにとっての彼女のようになりたい なんなら太陽じゃなくて、月明かり そっと上を見たときに何気なくいる星でもいい

そして自分のすきなことを、想いを、これからも大切にしていこう、と思った




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