独断偏見音楽談義・NOMELON NOLEMON /【INAZMA】について語るよ!
待ってください、今めっちゃ走り出したいし、ああ絶対生きてやるって思ってる。
聴いたんですよ~~~、NOMELON NOLEMONのINAZMAを!
タイトルのごとく、電撃に打ち抜かれたような興奮が冷めないまま……というかループで聴いてるせいで衝撃がぐるぐるとしている中で感想を書いていきます!!!!!!
INAZMAとは?
まず、NOMELON NOLEMONはツミキさんとみきまりあさんがタッグを組んで生まれたユニットだ。
これまでツミキさんはボカロ曲を中心に、みきまりあさんはぷらそにかのメンバーとして活動してきている。
そんなユニットNOMELON NOLEMONのデビュー曲がこのINAZMA。
8月11日に公式アカウントが始動、13日には各種配信サービスで同曲の配信が開始された。
INAZMAはそんな次の音楽活動のフェーズへ一歩を踏み出した二人が放つ渾身のデビュー曲なのだ。
歌詞について
歌詞はツミキさんならではの視点と叫びがそのまま表現されている。
ただし、ツミキさんのこれまでの楽曲を聴いたことがある人だとわかるかもしれないが、今回のINAZMAはこれまでのツミキさん楽曲の歌詞と比べるとトリッキーな言葉遣いや表現がかなり少ないことに注目したい。
アノニマスファンフアレの「僕は二十三、時計と愛」とか、レゾンデイトル・カレイドスコウプの「鮮やかにDANCE DANCE 描く未来が繰る繰る廻った煇の中」とか、あっそういう表現する!?とか、そういう漢字もこの世のには存在するのか~……という、一筋縄でいかない表現の数々。
それらと比較するとINAZMAの歌詞はあまりにもストレートだ。
サビの「びかびかどくどくちくたくしくしくめらめらぐしゃぐしゃ、胸の奥が騒ぐ。」なんて、これまでもツミキさんの曲にだったら滅多に出てこない表現ではないだろうか。正直、あのツミキさんがそんな感覚的な言葉選びを……!?とかなり驚いた。
これまでのツミキさん楽曲の歌詞からツミキという人物は、感覚とか感情とか、ぼんやり過ごしていたらちょっとおざなりにしてしまいそうな一瞬の揺らめきに対してどこまでもストイックに言葉に落とし込む人、という印象を受けていた。
だから「自分は何者か?」を(たぶん)テーマに描いてきたトウキョウダイバアフェイクショウからレゾンデイトル・カレイドスコウプ、フォニイの歌詞は文学的というか哲学的というかそんな雰囲気があったし、そんな曲たちがきっとこれからも続いていくのだろうという漫然とした期待があった。
あったのだけど、このINAZMAはそんな私の怠慢を気持ちいいくらいばっさりと裏切ってくれた。
胸の奥にたぎる炎のような感情の渦をそのままぶつけた感覚と感情に忠実な歌詞。
「今日もプラスチックで~応えてくれ。」「今日もランキングで~電撃で。」では音楽の世界に蔓延る停滞に疑問と訴えを投げかけ、「「稲妻は~こんな期待はずれの音楽だった。」「「稲妻は~こんな期待はずれの音楽だって。」でその停滞を打ち破るのはありのままでぶつかる音楽だと主張し、ありのままの胸の内を曝け出した言葉が並ぶサビへと続く構成になっている。
特に「こんな期待はずれの音楽だった。(だって。)」という部分は着飾った・計算された音楽ではなく、このINAZMAのような良い意味で泥臭い誰の息もかかっていない音楽が音楽の停滞を打ち破るのだと「静寂」や「悔い闇」を切り裂く「稲妻」に言い換えられているようではないか。
無機質な指標だけで音楽を測るな、人の心を動かすことで勝負しろ、胸の高鳴りのままに自分を生きろ。
そんなメッセージと最後の「誰にも鳴れない、凡そ三十六度と少しのあたし、鳴らせINAZMAを。」にたしかなツミキさんの色を感じながら、このINAZMAという曲を、ひいてはNOMELON NOLEMONの音楽(稲妻)を聴く人全てに轟かせてやる、そんな決意表明を見ることができるのだ。
音について
確定演出、爆音!!!疾走感!!!
大正解である。だって稲妻だもん。INAZMAだもん。
ツミキさんの作る曲は鼓膜が破れるんじゃないか?という爆音で聴くと気持ちが良いものが多くあるが、例に漏れずこのINAZMAもその系統である。
ギターとドラムとベースを中心に、まるで豪雨の日に鳴り響く稲妻を体現したようなサウンドを聴かせてくれる。
特にサビ直前などに用いられるドラムの激しい連打や2番サビ後の間奏のギターソロがきりきりと鳴る様は必聴。
そこへみきまりあさんの叫ぶような歌声がマッチしていて聴いていて非常に気持ちが良い。
その歌声もただ叫ぶだけじゃなくて、「「稲妻は哀しい雨の日~」」の部分などの静かな部分はまるで潜めるような歌い方になっていて、そうすることでサビに来て爆発したように感じられるのだ。
みきまりあさんの歌声はこのINAZMAで初めて拝聴したのだが、ややハスキーな声質がすごく好きだ。
ハスキーなのだが、それでいてどこか甘みも感じられる声が尖りすぎることもなく、安心して聴くことができる。ロック初心者の筆者の耳にはありがたい。
歌詞の「稲妻」感もさることながら、音の「稲妻」感もすさまじい。
筆者は最初、歌詞は見ずに音だけでこのINAZMAを聴いたのだが、すごく語彙力を下げた感想が「ア~~~これは稲妻だ~~~……」という感じだった。
その「稲妻」感は、そういった要素が複数の絡まり作り上げている。
感覚に訴えかけるような、熱量で頭を鼓動を揺さぶるこの音はまさしく稲妻であり音楽というものの原点を体現しているのではないだろうか。
さいごに
この曲をフルで聴き終えたときの間奏が「生きなきゃ、自分にしか生きられない人生を」という感じだった。
この記事の冒頭に書いた「今めっちゃ走り出したいし、ああ絶対生きてやるって思ってる。」はそういうことなのだ。
ほかの誰でもない自分にしか見られない世界を生きていきたい。自分の人生の主役は自分で張っていい。
ツミキさんはこのNOMELON NOLEMONを始動させるにあたり8月11日に行ったインスタへの投稿で「これからは誰かのための音楽を演りたいと考えた」と書いている。
ボカロを使った曲作りから次は生の人を借りる曲作りへ。
これを寂しいと感じるか、楽しみと感じるかは人それぞれだろうが、私はどうせならわくわくしたい。期待がしたい。
次のシーンへ駒を進めるツミキさんの奏でる音楽を見てみたい。
いつだって言葉に音楽に真摯だから辿りつける境地があるんじゃないか?
それはユニットを組んでも変わらないはず。
いちツミキファンとしてそう感じた。
NOMELON NOLEMONは始まったばかり。