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独断偏見音楽談義・ヰ世界情緒 / 【物語りのワルツ(ライブ・『Anima』披露版)】について語るよ!

*画像は「シリウスの心臓」です(まぎらわしくてすみません………)

最近はVtuberというものが私たちの日常に浸透し、2次元と3次元の境界が曖昧になりつつあると感じます。それでも彼らはどこか自分の生きる世界からは遠い場所にいて、私たちの生きる世界とは決して交わることのない存在だと感じていました。
そんな私にとって、先日10月23日に行われたヰ世界情緒ちゃん(以下・情緒ちゃん)のライブ・ 『Anima』は驚きと感動の連続。
本来であれば画面の向こうにしか認められない存在の彼女をこちらの世界に連れてくる技術はもちろんのこと、そんな彼女の歌声と生のオーケストラとの融合。歌と楽器の組み合わせの、思いを届ける力の強さにスマホの画面を見つめながら文字通り涙が零れそうになりました。

今回はそんな『Anima』で1曲目に披露された「物語りのワルツ」について感想を綴っていきます。YouTubeで公開されたライブ映像の同曲に興奮が蘇る~………

「物語りのワルツ」って?

ライブ・『Anima』で披露された情緒ちゃんのデビュー曲「物語りのワルツ」は、2020年2月23日にYouTubeに公開された曲で、作詞・作曲・編曲はsamayuzameさんが手がけています。
samayuzameさんのことは情緒ちゃんの歌ってみたで知ったのですが(「夜顔の告白」、「電脳歌姫ユメミスティック」、「V」)、仄暗い甘さと狂気の中に秘められた美しさが魅力的な曲を作られる方だと思っています。

先ほどはライブで歌われた「物語りのワルツ」のリンクを貼りましたが、こちらではその2020年に公開された当初の「物語りのワルツ」を貼っておきます。

「曖昧な手足でもここに立っている」歌詞について

Vtuber、バーチャルシンガー。情緒ちゃんの肩書きは?彼女を知らない人に彼女を紹介するとしたら、私はそう説明するような気がしています。
彼女の肉体を私たちと同じ3次元にぜんぶ捉えることはできません。
だけど、この楽曲はそういう2次元と3次元の境目を飛び越えるという意思を宣言した曲だなと聴く度に思うのです。

アーティストたちの楽曲はときに、彼ら彼女らのスタンスを表明するために発表される場合があると個人的に思っているのですが、彼女にとってこの「物語りのワルツ」はそのポジションに位置する曲じゃないでしょうか。
たとえばこの部分。

名前もない この実験体 呪いの魔法を唱えて、開いて、縫い合わせて、この声 この顔 どなたのものでしょう

3次元に「はじめまして」と言ったはいいものの、この身体と声はいったい誰のものなのか。メタいことを言うようだけれど、”ヰ世界情緒”というハコはあってもそれを動かす人はいるわけで、それは私たち視聴者もわかっています。”ヰ世界情緒”というカワで何ができるだろうか。
バーチャルという存在の難しさと葛藤をなかなか直球に吐露した部分なように聞こえます。
ほかにも、

ただ君に出逢うため 化けたこの身体 曖昧な手足でも ここに立っている

この部分。彼女は仮想の空間に生きていて、実体があるとは言い難いのかもしれません。
ですが、彼女の歌とパフォーマンスを通じて得た感動は否定のしようも無くここにあって、ニセモノなんかじゃない。
画面の向こうから届けられる音楽に心を動かされた私や多くの視聴者がいます。

以上、「仮想の空間に生きる」彼女がこの曲で何を伝え、何を表明したいのか。サビに答えを求めてみます。

ありふれた現実的思考(リアリティー)はここにはないんだよ ただ君に出逢うため 化けたこの身体 新しい世界を君と視ていたいよ 誰かの願(のろ)い届け 独り闇に歌う

「ありふれた現実的思考(リアリティー)」とは、”リアルに肉体が存在することが疑うことのない要素で当たり前とする思考”と解釈してみました。
そういった思考に当てはめて考えないでほしい。リアルに身体がなくたって音楽に乗せて思いを届けてみせるから、どうか私の拓く世界を見てくれ。そんな熱量が感じられるサビになっています。

引用したこれはラスサビにあたる部分なのですが、他のサビ部分も「ありふれた悲劇的思考(トラジディー)で染め上げないでよ」「ありもしない一般的仮説(セオリー)を当てはめないでよ」「ありふれてる! 悲劇的思考で染め上げないでよ」と、”リアルに肉体が存在することが疑うことのない要素で当たり前とする思考”で彼女自身を評価されることへの抵抗が見て取れます。
“抵抗”という言葉を選ぶのは少し強すぎるかな………と書いていて思いましたが、「遥かなる未知数を穿つこの花」という歌詞が存在することから、まだ見ぬ彼女の音楽の可能性を掴みに行く決意は充分だと感じました。

「誰かの願(のろ)い届け」という歌詞も、本来の”呪い”という字を使うのではなく、”願”という字を当てはめていることにこだわりを感じます。
そんな強い呪いにも似た願いを込めた歌詞。
「仮想の空間から願いと音楽を届ける」という彼女の強い意思が「物語りのワルツ」の歌詞には込められているのです。

音について

まず彼女の歌い方ですが、普段の5割増しくらいで熱が籠もっている歌い方となっています。
もともと彼女の歌い方は感情を歌詞にのせるタイプだなあと思って聴いてきたのですが、今回はライブで歌うという条件も加わって、より情熱的に歌い上げています。
画面の向こうで聴いてくれているあなたに届け。そんな思いを感じました。

全体を通して感情をしっかりと込めた歌い方ですが、サビ前までの三拍子部分まではしっとりと。情緒ちゃんの子音が儚く散っていくような歌い方が好みなので、ライブでもそれが聴けてとっても嬉しかったです。
サビ以降はぐっと語尾にも力がこもります。
特に「遥かなる未知数を穿つこの花」という部分の「穿つ」の「が」音は鼻濁音ではない強く強調する歌い方をしており、あえて棘のあるように聞かせる工夫なのではないかと思いました。
「あざむくノイズ掛けて」の「か」の音もくぁ、のように少し掠れた音を含ませることで熱感を曲に与えています。

最後の「歌う」は直前までスピードにのって歌っていたものを一転させ、やわらかい少女の声に戻して歌い終えています。
これにより、曲名通りワルツである印象を変えることなく聞けるのです。

また今回はライブということで、オーケストラの演奏と彼女の歌との融合も見所の一つです。
個人的にイントロ部分のコントラバスの弦を弾く音はイヤホンで聴くのをおすすめしたい。臨場感がすごいので。
コントラバス以外にもキーボードやバイオリン、ドラムやギターと、ライブならではのバンドサウンドで「物語りのワルツ」をより贅沢に味わえます。

さいごに

冒頭で述べたように、私はバーチャルな存在がどんなに3次元に近づいても、彼女らの存在はどこか遠いものであると思ってきました。
なぜなら私たちと同じ世界に彼女らの身体をこの瞳で認知することも触れることも基本的には難しいからです。
ですが今回のライブを見て、それは些細なことであると気づかされました。

情緒ちゃんではないのですが、別のバーチャルシンガーの方が仰っていた言葉に「今あなたと私が画面を通じて共有している時間は本物だ」という主旨のものがあります。
それを見たときはっとさせられたのに、忘れていました。

情緒ちゃんの歌を聴いて、ライブを見て私は文字通り感動しました。
その事実に仮想だとかリアルだとかはきっと必要ありません。
そのパフォーマンスで心が震えた。これだけで充分であると思います。

情緒ちゃんがこの「物語りのワルツ」を通して伝えたかったメッセージはきちんと届いているよ。
彼女が魅せる世界に置いて行かれないようにきちんとついていきたい。
そう思った時間でした。


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