私がコロナという存在を知ってから約一年が経った。 集団でいることを避けるためにほとんどの学校が休みになり、仕事もテレワークという形に移行し、家で過ごすことが増えた人が多いと思う。 私は大学に行くことができなくなり、家でやることも限りがあったため非常に多くの暇な時間が存在した。しかし、その暇な時間のほとんどを何もしないことに費やした。今更何を思っても時間は返ってこないし、そんなことを考えることで今現在も時間を浪費してしまっている。 そんな何もしない時間を過ごしたためか、この
最近巷で話題のアプリclubhouseで量子力学について語っている人がいるらしい。内容はスピリチュアルなものだそうだ。 量子力学とは物理の理論の一つであるが、そうではなくスピリチュアルなものとして捉えてしまう人は今どのくらいいるのだろうか。 量子力学コーチとかいう意味のわからないものを名乗っている人がいるくらいだし、量子力学を夢や生き方と関連づけた本まで出ているようだ。ただの理論をそんなものと関連付けた発想力には目を見張るものがある。 嘘の情報だということに気付けず、本当
私にはいわゆる「行動力」というものがない。 何をするにしても面倒くさいが勝ってしまう。これが生活にも現れてしまい、食事ですら面倒くさくなってしまうことがある。そんなやれない自分が嫌いである。 対策を考えようとしてもそれすらも面倒くさくなってしまう。そこで、うだうだ考えるのはやめてとりあえずやってみることにした。とりあえず動く。 人は何かをやり始めたらある程度継続したくなる性質を持っているらしい。それもあってか、とりあえずやってみると面倒くさかったことが少しずつ進めていけ
前に『最高の人生の見つけ方』という映画を観ていて思ったことがある。なぜ人は映画や小説、音楽、アニメなどで泣くのだろうか。 私はこの映画に限らず、人が作品中で死んだり、いわゆる感動作品を観ると泣いてしまうことが多い。 自分の好きな、応援していた有名人が亡くなって泣いてしまう人もいるのではないだろうか。これは、家族や親しい人が亡くなったときと同じで、自分にとって大切な存在であるために、悲しみを感じ泣くのであろうと予想ができる。 しかし、映画や小説の登場人物はその作品を観るま
noteを始めてみた。特に書きたいことがあったわけではないが、とりあえず始めるきっかけでも書いておく。 私は何事も言葉にすることが苦手である。 ある日友人と映画を観に行った。映画の後、友人は私に感想を求めた。人と映画を観たのだ。感想を共有しようとするのは当然である。しかし私はうまく答えることができなかった。 普段から口数が多い方ではなく、最近は人と話す機会自体が少ない。そのためか久しぶりに人と話すと言葉に詰まってしまうことが多い。特に自分の考えや感想を話すことが苦手であ