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22:30から本を読む

6月の記録、続き。
東京でずっと行きたかった「本の読める店 fuzkue」。

仕事が終わったのは21時すぎで、予定ではどっぷり3時間ほど読書に浸ろうと思っていたのに今から初台に向かうと本が読めるのは1時間ぐらいしかない・・・と悲しくて迷う気持ちがあったのだけれど、どうしても行きたくて足を運んだ。自分のこういう衝動を大切にするところが好きだ。

22:30
初台駅のすぐそば、ぼうっと照らされる看板に嬉しくなる。
あまり詳しい仕組みは知らなかったのだけれど、案内書きにお店側の思いがたくさん詰まっていて読むのに夢中になった。私は、本が好きで、カフェが好きだからよく1人で行くのだけれど、そのときのお店の空間によって本の世界に入り込めるかは左右される。周りの声を気にしてしまったり、もう出ないといけないかなと度々スマホで時間を確認してしまったり。しかし、fuzkueには気兼ねなく自分が本を読んで過ごすための仕組みがたくさんある。例えば今回みたいに閉店に近いとき、普通は時間を気にして過ごさなくてはいけないけれど、時間がきたら声をかけてくださるようにお願いできる。今までもカフェで本を読むときにこの焦りみたいな気持ちをどうにかできないのかなと考えることがあったけれど、アラームをかけるわけにもいかないし、店員さんも大変だろうし、と思っていた。でも、fuzkueは最初からオッケーですよと提示してくれるから気を使わずにお願いできる。他にもこれって大丈夫なのかなと思っていたことが全て書いてあって驚いた。同じように本を外の空間で読むことが好きで、私のようなもどかしい思いを持っていた方が作ってくださったのだろうな、と伝わる。
何より嬉しいのは「本を読むため」とお店側がしっかり伝えてくれていること。そして、その読書の時間を「守る」、本を読むあなたを「歓迎する」という気持ちでいてくれること。こちらが後ろめたさや不安を思う必要がないって難しいことだけれど、それを実現してくれている。
案内書きに書いてあることばはどれも優しくて、あたたかくて、仕組みを理解しても何度も大切に読みたいと思う。特に表紙をめくった先のことばに心がじんわりとなった。何度も丁寧に読み返し、帰る前にもう一度読んだ。写真撮影は禁止だから(一部だけ切り取って違った形で伝わってほしくないからという思い)、その場でしか見ることができない。また次に開くときを楽しみに。

お腹がぺこぺこで、ベイクドチーズケーキとオムレツサンドイッチとカフェオレを注文。夜の静かな店内に、オムレツを作る卵のジューッという音がこれまた素晴らしくて、最高で、たまらなかった。そして、チーズケーキがほんとうにほんとうに美味しくて、衝撃だった。きっと、行くたびに食べます。今までのチーズケーキで1番好きかもしれない。もちろんサンドイッチも美味しすぎたので、毎回たくさん食べてしまうでしょう。定食も気になる。(笑)待っている間、案内書きに挟んであったくどうれいんさんのエッセイを読む。ここだけの特別、嬉しい。

今回、ずっと読めていなかった長編小説を読もうと前から決めていた。新しく長編を読み始めるとき、最初はどうしても入りにくいからよし、読むぞと準備をして時間に余裕があるとき、と決めている。この夜、fuzkueの空間に安心して自分のペースで読み進められた。時間を気にしなくてよいこともあって、流れる速さや満足感も全く違った。

店内にも本はたくさんあるのだけれど、お店の方の私物だから好みが表れていて、この作家さんの本が多いな、好きなんだろうなと思いを巡らせる時間は本屋にあるカフェとは違った良さだ。それに、誰かの本棚を見るのが好きだから楽しい。
帰るときに、お店の方と少しお話をして、おすすめの本を教えていただいた。私が本を読むようになったのはまだ最近なのだけれど、自分が選ぶものはどうしても偏りがあってもっと幅を広げたいと感じていたから。あとは単純に「本の読める店」で働く方の好きな本が気になった。選べないほどある中で、悩んで、勧めてくださって嬉しい。

1時間ほどで、すごく満たされた、読書がさらに好きになった。いつか東京に住むことがあるのなら、fuzkueの店舗のある街に住みたいと思うほどに。私の住む街にもできて欲しいな・・・。個々の時間ではあるけれどfuzkueにいるみんな本が好きで、なんらかの思いがあって足を運んで本を読む。言葉は交わしていないけれどこの秘密基地を知っている私たちは無敵なのではないだろうか。それだけでなんだかひとつになれそうな気がする。こんなにも素敵で、あたたかくて、光のような場所がずっと続きますように。次は、下北沢店に行こう。

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