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福井・越前百万石に行く旅〜①金沢・福井市内〜

※2024年5月の内容になります

御手杵くんとお出かけしてきました

そんなわけで、石田正宗さんに会いに福井市立郷土歴史博物館に行ってきました


市内には福井松平家ゆかりの福井城・養浩館庭園のほか、柴田勝家・お市の方の最期の場所・北の庄城跡、古代から続くパワースポットの毛谷黒龍神社・足羽山など見どころたくさん
福井に行く前に、金沢にも寄って大典太さん、前田くん、富田さん、白山くんにも会ってきました

長いので3つに分けております
① 〈金沢市内〉
・石川県立美術館
(大典田光世・前田藤四郎・富田江・剣銘吉光)
〈福井市内〉
・福井城址
・郷土歴史博物館
・養浩館庭園
・北ノ庄城址
・足羽山
・毛谷黒龍神社
②〈福井市内一乗谷〉
・一乗谷朝倉氏遺跡
〈永平寺町〉
・永平寺
〈勝山市〉
・恐竜博物館
〈坂井市丸岡町〉
・丸岡城
③〈越前市〉
・紫式部公園
・ちひろの生まれた家記念館



金沢から福井市内(福井城・郷土歴史博物館・養浩館庭園)までは、min.tのほうに上げております
↓↓

〈金沢市内〉


石川県立美術館

(展示刀剣:大典田光世・前田藤四郎・富田江・剣銘吉光)

〈福井市内〉


福井城址

郷土歴史博物館

(展示刀剣:石田正宗)

↓↓リンク先はこちら


●結城秀康の子供たちと刀剣乱舞実装刀

結城秀康から続く松平家5家
刀剣乱舞に実装されている刀を主にみていくと… 今回展示されていた石田正宗・稲葉江・童子切安綱は長男・忠直の津山松平家に受け継がれ、
御手杵は結城家の名跡を継いだ五男・直基の前橋松平家に受け継がれ、
明石国行は、六男・直良の明石松平家に受け継がれていきます

●松平家五家のお引越しの変遷

●福井まちなか史跡ガイドコース

ちなみに福井駅前の観光案内所「福井市まちなか案内所」では、地元の方がガイドをしてくれる「てくてく福めぐりん」があります
福井城や北の庄城など城跡をめぐるコースや、足羽山のさくら名所100選めぐりのコースなど、福井駅周辺を解説してもらいながらまわることができます


↓↓それではmintの続きから始めていきます

養浩館庭園

博物館の後は、お隣の養浩館庭園へ お天気が良くて成人式の前撮り撮影してるご家族が何組かいました きれいなお庭だから、そりゃ人気のロケーションだろうな〜

水に浮かぶようなお屋敷の様子が、不思議な光景
米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」にて和風庭園10選に選ばれたところです

引用:http://fukuisan.jp/ja/yokokan/garden/building.html


今の養浩館という庭園の名前は、孟子の言葉「浩然の木を養う」に由来するそうで、幕末のお殿様・松平春嶽が明治になってから名付けたそう
それまでは「御泉水屋敷」と呼ばれていたそうで、お殿様の別邸だったようです

「養浩館(ようこうかん)」の名は明治17年(1884)、松平春嶽(しゅんがく)によってつけられました。「人に元来そなわる活力の源となる気」、転じて「大らかな心持ち」を育てることを意味するようになった孟子の言葉「浩然(こうぜん)の気を養う」に由来すると言われています。

http://fukuisan.jp/ja/yokokan/garden/outline.html

1993年に8年の歳月をかけた復元作業が完了したそうですが、遺構の上に直接建物を再建したため、お庭を眺める目線の高さが当時と同じ高さになっているのだそう
そのため、当時のお殿様が見たお庭の光景を眺めることができます
なるほど、こんな感じで当時のお殿様たちもお庭を眺めていたのか~

櫛形ノ御間

入ってすぐに見えるのがこの池に張り出した「櫛形ノ御間」
天井に水面の光が写ってとてもきれいです

櫛形の間から北側の御湯殿側をみると
池の水に浮いているような光景が見えます

御湯殿の方向と御上がり場の縁側
御座ノ間

お屋敷の中心である御座ノ間
縁側には土縁(どえん)があり、池がすぐ足元に広がっています
本当に水に溶け込むようなお屋敷です

御月見ノ間

東側の離れはお月見のお部屋だそう
大きな出書院の雲窓から、空と池に映る月を眺められるとか贅沢な遊びですね

雲形窓 ここから池にうつる月を眺めたそう

床の間の袋戸は青貝入の螺鈿細工で華やか
下の地袋も可愛いお花のような模様で珍しいです

御座ノ間につながる飛び石も、青みのある笏谷石のほか、紫色の雄島の流紋岩(安島石)、淡いピンク色の敦賀の黒雲母花崗岩など、様々な石が使われていてカラフルです
なんかかわいい

庭に続く鑓水には、大きな石の橋が架けられています
鑓水のお水は、福井城下の飲み水を担っていた芝原上水から引いているのだそう
九頭竜川からはるばる飲み水として引いていたようです
郷土歴史博物館にも水路跡がありますが、今はまだ水路の全容がわかっていないとのこと…
大きな水路だったんだろうなぁ

鑓水にかかる大きな石橋

いまは東南側が11mほど道路になっているため、ちょっと敷地が小さくなっているようです
確かに建物の入り口、鑓水のあるところ、なんか狭いなと思ったんですよ
南側にある臼ノ御茶屋跡
お茶屋があった場所が、半分塀の外になってるようなので、もうちょっと庭も鑓水の流れも大きかったんでしょうね
それこそ池と鑓水に囲まれた、中洲に浮かぶお屋敷のようなデザインだったんでしょう

もうちょっと外側に広がっていたであろう鑓水
この塀の向こうにお茶屋の半分が続いてたようです

臼ノ御茶屋跡の方向から、水に浮かぶお屋敷が見えます
福井の名勝・東尋坊のような石組の先に、素朴なお屋敷が浮かんでいます
真ん中に中島を配しないお庭のため、水面に周りの景色や空の風景が映りこんできれいな光景
この池に移った月を見るお月見は、本当に風情があったでしょうな


さてここからは、福井城の南側~足羽川~足羽山へ向かいます

引用:extension://elhekieabhbkpmcefcoobjddigjcaadp/https://fuku-iro.jp/lsc/upfile/pamphlet/0000/0010/10_1_file.pdf

2024年4月にオープンしたばかりの新しいランドマーク・
FUKUMACH BLOCKを通り過ぎ…

歴史ある元町商店街「ガレリア・モトマチ」を通って北の庄城へ向かいます
新旧の商業施設を通るのも、今と昔の違いがわかって楽しいですね

ガレリア・モトマチ

北ノ庄城址・柴田公園

柴田勝家やお市の方が祭られている柴田神社
柴田勝家が築造した北ノ庄城跡に建っており、堀や石垣の遺構が残っています

柴田神社 拝殿
三姉妹神社

北ノ庄城は柴田勝家・お市の方や、茶々・初・江の浅井三姉妹がいたお城で、豊臣秀吉~徳川家康の時代の大河ドラマでもよく登場する有名なお城ですが…実際の範囲はよくわかっておらず、また結城秀康が福井に入ってから福井城やその城下町をその上に作ったため、全体像がまだまだ分からないお城のようです。意外だなあ

文献によると足羽川と吉野川(のちの百間堀)の交差する地点にあったとされ、9層の天守閣があったとのこと
1575年に城や城下町の整備が始まりましたが、1583年に落城
その後、結城秀康によって新しい北ノ庄城(のちの福井城)と城下町が整備され、百間掘などが作られていきます

柴田勝家公像
お市の方の像
浅井三姉妹の像
お市の方にあやかった「モテ祈願」ができるようです

神社の由来は、勝家が自害した4月24日には悲痛な声でホトトギスが鳴くといわれるようになり、江戸時代のころには祠が建てられお祀りされていたようです
明治になってから社殿を立てて神社となったとのこと
なので神社としては、比較的新しい神社なんですね
境内には石垣や堀の跡があり、自由に見学できます

笏谷石でできた北ノ庄城の石垣の一部
北ノ庄城の石垣跡
北ノ庄城の堀跡
北ノ庄城想像図 南のほうに天守閣、東に吉野川があったようです

また、境内には半石半木の橋・九十九橋の模型が
木の部分と石の部分のつなぎ目はこうなっているんですね
明治の世の1909年まで330年間かけられていた橋です
なぜそんな構造なのか、万が一の時には木造部分を落として敵の侵入を防ぐから、橋桁を広くして船が通れる幅を確保するためとか、いろんな説があるようです
どれもなるほどと思える説ですな

木と石の部分の境目

北ノ庄城からいったん駅前に戻り、バスで足羽山に向かいます
今度は実際の九十九橋をバスでとおります

九十九橋

足羽川には、このほかにも桜橋と幸橋の2つがかかっています
幸橋と九十九橋の間が足羽川桜並木となっており、「日本さくら名所100選」にも選ばれています

桜橋
幸橋

毎年3月4月には福井桜まつりが開催され、たくさんの人でにぎわっているそうです

https://fuku-iro.jp/spot/detail_10156.html

また、幸橋の足羽山側には由利公正の邸宅跡や坂本竜馬の歌碑があり、幕末の歴史を知ることができます


左内公園

幕末に関連する場所は、こちらにも
桜橋の近くにある左内公園
こちらには、橋本左内の像とお墓があります
藩校「明道館」の学校改革に取り組み、当時最先端の西洋の天文学・物理学・測量学・地学などを学べるようにしたのち、藩主・松平春嶽の相談役に
京都で政治活動をしていたことにより26歳で安政の大獄にて処刑されたあと、こちらに移葬されたようです
そんな若くして亡くなってしまったのか…幕末の偉人は短い一生の間に怒涛の勢いで、人生でやるべきこと全部やり遂げていってしまう人が多いですが、それでも早すぎるよなぁ
故郷に戻ってこれたのが、せめてもの救いかもしれませんね

橋本左内像

また、芭蕉の「おくの細道」の旅にて立ち寄ったところでもあり、
句碑と宿泊地・洞哉(とうざい)宅跡があります
この洞哉という人、どういう人かちょっとわかっていないようなのですが、どうも芭蕉と意気投合したようで。敦賀まで一緒に旅をすることになります
その時のことをよんだ歌「月の美しい場所を教えてくれ、そこに行く旅を一緒にしよう」という内容の歌碑が建っています

芭蕉の句碑「名月の 見所問わん 旅寝せん」

さて、足羽山のほうに向かっていきます
足羽山の歴史は古く、6世紀以前には古墳が作られていたそう
主なものから小さな古墳群まで10基本以上あるようです
また福井城の石垣や鬼瓦などに使われている笏谷石が採掘されていた山でもあります
戦国時代には、北ノ庄の戦いにて豊臣秀吉がここの天魔ケ池に本陣を構えました
現在はカピバラなどがいる公園遊園地や自然史博物館、橘曙覧記念文学館に愛宕茶道美術館と、家族連れで楽しめる公園や施設があり、
また、桜や紅葉のほかにも市の花であるアジサイも多く、自然豊かな山です


毛谷黒龍神社

麓のバス停から登ってすぐのところにあるのが、毛谷黒龍神社(けやくろたつじんじゃ)
古代の天皇・継体天皇がまだこちらの土地を治めていたころ、九頭竜川の守護と国家安穏・万民守護のため創建された神社で、パワースポットとしても有名です

毛谷黒龍神社は日本を四方から守る四大明神の1つとされ、茨城の鹿島神宮や和歌山の熊野三山、広島の厳島神社と並び由緒ある神社です
今年は辰年でもあるため、お参りできたのはとても縁起がいいなあ

天地の初めから国土を守護されてきた四方位を象徴する御四柱の神の一社にて、往古より北国の鎮護神として著われ、「国土護治の神として、四國に四神座しき、東に常陸鹿島大明神、南に紀伊熊野大明神、西に安芸厳島大明神、北に越前黒龍大明神四隅を司どらしめ守護し給ふ」(絵図記)と記され日本古来の四大明神の一つとされている。

毛谷黒龍神社とは | パワースポットでご祈願を [福井]毛谷黒龍神社 | 厄除け・子授け・七五三・安産祈願 九頭竜川の守護神 (kurotatu-jinja.jp)

藤島神社

さらに上に上っていくと、藤島神社があります
「太平記」などにも出てくる新田義貞とその子弟を御祭神として祀っている神社です
摂社の野上神社には、夫人・匂當内侍を御祭神に祀っています

南北朝の動乱の1338年、義貞は敦賀の金ケ崎城が落城してから越前国藤島(福井市)へ向かい、最後「藤島の戦い」にて戦死しました
その約320年後の1655年に義貞の兜が発見されたため、当時の福井藩のお殿様・松平光通がその場所に石碑をたて、現在の「史蹟灯明寺畷」(新田塚)となったとのこと
藤島神社自体は明治にはいってからできた神社ですが、発見された義貞着用の兜のほか、越前松平家や福井に関連する文化財を所蔵しています

社宝
越前松平家・徳川公寄進の太刀をはじめとする古文書など60点
文化財指定(重要文化財)
古兜、太刀(銘・則重)、太刀(銘・吉次)、結城宗広公書状

由緒 沿革  (神社の歴史) | 藤島神社 公式ページ (nitta.or.jp)
伝新田義貞公着用兜(重要文化財・戦前は国宝)
引用:https://nitta.or.jp/houbutu/

足羽山山頂古墳付近

さらに上ると、自然史博物館が見えてきます
その建物付近には、豊臣秀吉が本陣を構えた「天魔ケ池」があります
北ノ庄城を攻めた際には、ここに本陣を構えたんですね…
さっき見てきた北ノ庄城と足羽川を挟んで向かい側ぐらいの位置です
ここから9層の天守閣はよく見えたんだろうな~

そしてまたここにも芭蕉の句碑があります
「中秋の名月を楽しみにしていたのに、あいにくの雨になってしまった。北国の天気は変わりやすいものだなあ」という内容の句になります
実際には先の洞哉さんと一緒にいった敦賀で読まれた句のようで、パワースポットの気比神社で中秋の名月を見ようと楽しみに行ってみたのに当日は雨模様で残念だったというエピソードがあるようです

芭蕉の句碑「名月や 北国日和 定なき」

継体天皇像

足羽山から福井市内をまっすぐ見つめるこの像
450~500年頃の古墳時代の天皇・継体天皇です
男大迹王(をほどのおおきみ)と呼ばれ、越の国(または近江の国)の王様だったそうで、在位中から九頭竜川・日野川・足羽川の大掛かりな治水工事を行い越前平野を開拓し、笏谷石を発見しその活用方法を民に教えたなど様々な伝説がある王様です
十七条の憲法や冠位十二階が制定された時代の推古天皇は孫、聖徳太子はひ孫にあたるようです
この石像も笏谷石で作られており、きれいな青みがかかっています

元々は皇位継承権からは遠い立場だったようですが、後継者がいないまま武烈天皇が崩御したことによって、507年天皇に即位
日本書紀や古事記など書物によって違いはあるようですが、当時としては57歳と結構年配になってから即位し、その上在位期間も長く一説には82歳で崩御ととても長生きした方のよう
古墳時代やぞ?平均寿命が20~25歳ぐらいの時代に、50代から天皇のお仕事して80歳まで生きるって…元気すぎないか??

450年ごろ 
近江国(現在の滋賀県)で彦主人王の子として生まれる。この年の前後に、母・振媛のふるさと、越の国(福井県)に移り住んだと言われる。
507年
57歳で樟葉宮(大阪府枚方市)に上り、第26代の天皇として即位。3度都を遷す。
531年
病により磐余玉穂宮(奈良県)で82歳の生涯を閉じる。

●育ちは越の国(福井県)
近江(おうみ)の国(現在の滋賀県高島市)で、彦主人王(ひこうしおう)と振媛(ふりひめ)の間の子として生まれますが、早くに父親を亡くし母の故郷である越(こし)の国へ母と共に移り住みました。
そこで王にふさわしい教育を受けながら、越前漆器(えちぜんしっき)の奨励(しょうれい)や福井平野の治水、笏谷石(しゃくだにいし)採掘に貢献するなど数々の伝説を残しました。
50年余りを越の国で過ごした後、57歳で都に上り第26代目の天皇として即位しました。

rekishi.dogaclip.com/2015/07/post-f00f.html
足羽山から眺めた福井の町並

足羽神社

その継体天皇がまだ越の国を治めていた頃のこと、越前平野の大がかりな治水工事を行った際に勧請したのがこの足羽神社です
継体天皇像から少し山を下ったところにあります

その頃の越前の国は沼地同然で、人が住むには限られた土地しかない国でしたので、男大迹王は大変心を痛められ、足羽山に土地をト(ぼく)して御社殿(現足羽神社)を建て、宮中守護の大宮地之霊(おおみやどころのみたま)を祀って神前に安全を祈願して治水を始めます。

 地の理を調べて現在の九頭竜・足羽・日野の三大川を整備せられ、三国に水門(みなと)を開き諸水を海に流されて越前平野が出来ました。これが福井の大治水伝説になっています。

 これにより、農業が盛んになったばかりでなく川を利用して舟で荷を運べるようになりました。また、道を作り人々の住居を定め、耕種、養蚕、採石、製紙、その他諸産業興隆の道を教えられ、田畑が開け、五穀も良く実り、海川交易も栄えて、人家繁栄の土地となり、天皇は昔より越前開闢(えちぜんかいびゃく)の御祖神(みおやがみ)と称え崇め尊ばれてきました。

時同じ頃、第25代武烈天皇(ぶれつてんのう)が崩御(ほうぎょ)され、皇統を継ぐ御方が居られなかったので、諸大臣が相談し大連大伴金村等が鳳駕(天皇の乗り物)を備えて、幾度となく男大迹王を高向郷に御迎えに参りました。
 時に御年58歳、遂にその願いを受け入れられ、河内国樟葉宮(くすはのみや)にて第26代天皇に御即位されました。

 この時、男大迹王は越の国を離れるに当たり、長年過ごしたこの地を慕い、また後に残す人々のことを思うあまりに、「末永く此の国の守神に成らん」と、自らの御生霊(みいきみたま)を此の宮に鎮め、御子・馬來田皇女(うまくだのひめみこ)を斎主として後を託されました。

 皇女は天皇の御霊を中央に祀り、大宮地之霊を左右に配祀し、阿須波(あすは)の神名により、足羽宮(あすわのみや)と称え奉ることになさいました。
 現在の福井、足羽等の地名も御神名により名付けられる事になります。

越前祖神 足羽神社 (福井県福井市) (asuwajinja.jp)

境内には天然記念物の枝垂桜やタカオモミジが
どちらも大きくて立派な木です
タカオモミジに至っては、鳥居に向かう階段のど真ん中に陣取っています。すごいな
桜と紅葉なので、春と秋、それぞれの季節にもきてみたいですね

天然記念物のシダレザクラ
階段のど真ん中に生えている天然記念物のタカオモミジ

それでは足羽神社から、愛宕坂を下って山を下りていきます

こちらの道路にも笏谷石が使われております
本当に今日何回見ただろう?福井の町のあちこちに使われている石なんだなあ

愛宕坂を下る途中に、「福井の繊維産業の母」・細井順子の碑が立っていました
明治時代に京都で織り機の勉強し、さらに地元の女性たちに教えてと、織物産業に貢献した方のようですが
これは主婦になってからの活躍だそう
この時代のことなので、ご本人の相当な努力とご家族の理解があったんでしょうね

また、橘曙覧(たちばなのあけみ)記念文学館や愛宕坂茶道美術館も愛宕坂の途中にあります
すでに営業時間を過ぎていたので、閉館しておりました
またの機会だなあ~



特産品とお土産

福井駅前に戻った時には、もう夕飯時
5月とはいえ天気がよく暑かったので、福井名物の越前おろしそばセットにしました
福井のそばは「おいしいそば産地大賞2020」で全国グランプリを受賞しているそうで、そば店舗数も全国3位と上位層になるようです
おいしいわけだ

駅前のパリピン内にある「熟成かつ天膳」のおろし蕎麦セット
村中甘泉堂の羽二重餅

お土産には羽二重餅
羽二重とは、福井の特産品・絹織物のこと
福井は絹織物産業が盛んで、20世紀初頭には全国輸出額の60%を占めていたそうです
その羽二重をイメージしたやわらか~なお餅
あちこちのお菓子屋さんでさまざまなタイプの羽二重餅が売られており、目移りします
スタンダードな羽二重餅から、あんこ入りのもの、チョコやきなこ、抹茶、イチゴ大福みたいなかわいい羽二重餅まで…いろいろあるな…

こちらは個包装で食べやすいのですが、永平寺のところにあるマエダセイカさんの生羽二重餅は、「食べにくい」のが特徴だそう…
ホテルでテレビつけてたら、「食べにくい!!!羽二重餅!!!!!」と急にでっかい声でCMが流れてきてびっくりしました
「食べにくい新食感」ってなんやねん??
…と思ったら、箱いっぱいにたっぷり生羽二重餅が詰まってる…
へらですくって食べるのだそうですが…やわらかいお餅をこうやって食べるのは…確かに食べにくそう
「羽二重餅の古里」では工場見学もできるそうなので、また今度行ってみようかな…?


無事、重ね押し御城印も完成!
刀剣乱舞コラボのカードももらえました
旅の記念の御朱印と御城印もたくさん。これらを見ても、本当に古代から歴史の長い街なんだなと思います
7月には県立歴史博物館のほうで、明石国行の展示が始まるそうなので楽しみです(※現在終了しています)

福井県・福井県立歴史博物館「天下人の子 結城秀康と一族・家臣」 「明石国行・御手杵」刀剣展示コラボ | イベント | 「刀剣乱舞ONLINE(とうらぶ)」公式サイト (toukenranbu.jp)


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