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five realities 〜執着〜 (6)

昨夜の旦那様との時間を思い出すと
胸が締め付けられた

 花魁
今日のお座敷はよろしいでしょうか

 大丈夫よ

 このところ立て続けに
お座敷に
上がっていただいておりますが
 そろそろ月の障りがと

その言葉に身体が硬直した

 今日は大丈夫よ
 支度をしますね

部屋に戻り頭を巡らす
もう二度ほどきていない
乳の張りも
最近の眠気も

間違いない

柘榴の花が咲く初夏
血と肉を共有する生命を宿した

全てを決断し
女将の部屋の前で佇んだ
大きく息を吸いこみ声を掛ける

 お母さん宜しいでしょうか

 月影かいお入り 

障子を開けると帳面に目を向けたまま

今日は朝から暑いねえ
あとで氷を買いに行かせようかね
部屋は窓が開け放たれ
青空に鮮やかな赤い風鈴が
夏を醸し出していた

 お母さんお話があります

女将が目を向けた

 先日の旦那様からのお話を
お受けしたいと思います

 そうかい
決めたんだね

 はい

 それじゃ早速
 旦那様の元に使いをやろう
 
 筆を置いた女将は立ち上がろうとした

 お母さん 
見受けに際して
 いくつか条件を出させて頂きたいのです

 わたしは今 
子を宿しております

 なんだって 
旦那様のお子かい

 違います

 じゃあ
子を流す手筈をしなきゃ

 この子は産みます
慈しみを込めお腹に手をあてた

 そんなこと
あの優しい旦那様だって
 お許しになるはずがないだろう

女将に目線を戻し
 旦那様にはお伝えいたしません

呆れ顔の女将は
 あんたは何を考えているんだい
 
 旦那様には見受け話は来年の春まで
 待っていただけたらとお願いいたします
 丁度 さやの花魁襲名の年です

女将は一気に算段に入った

 あんたが直ぐに見受けされちゃ
 うちの看板もなくなってしまう
なるほどね 

それはいい

旦那様が条件を聞き受けてくだされば
わたしは旦那様のお抱えとして
客をとることもなく 
この子を産むことができます

お腹の子を産みたいのはわかった
でも産んだ子はどうするんだい

政に託します

 政に 
あんたは正気かい
 あの子は遊郭で産まれて
 遊郭の中で生きてきたんだ
 外の世界じゃ生きられないよ

 まして乳飲み子を抱えて
どうやって生きていくんだい

政でなければ駄目です

まさか
その子は政の子かい

いいえ違います 
誓って申し上げます

じゃあなぜ

わたしがこの世で
一番信頼している方だからです

 ここに来た時から唯一の安らぎでした
 一緒に暮らしてきて
 彼をずっと見てきました
 心から尊敬しております

 政には話したのかい

 まだです
 身受けのことも
身ごもったことも
 伝えてはおりません

 まずは旦那様が承諾してくださらなければ
 ただの絵空事に終わってしまいますから

女将は鳴らない風鈴を眺めながら
 今日は暑くなりそうだね
 朝のうちに旦那様の元へ
 使いをやらすよ

 よろしくお願いいたします

すぐさま文をしたため使者を遣わせた

廓の賑わいが始まる前に使者は戻ってきた

 旦那様から返事が届いたよ
緊張した面持ちで封を切り内容を確認すると
 こちらの条件を飲んでくださるとよ
そう言うと女将は微笑んだ
 今夜のご来訪も賜ったよ
 支度をして出迎えておくれ

 はい 

部屋を後にしようとする背に

 本当にこれでいいんだね
女将が言った

 はい 
これが皆の幸せです
最上の笑顔をつくり部屋をでた

いつもより遅れて来訪した旦那様は
先に開帳場に赴き女将と話をすませ
宴に向かった
 
 お待ちしておりました
会釈し隣にくる旦那様の足元を見つめていた

 待たせたね
 いま女将と正式に約束を交わしてきた

 ありがとうございます

旦那様の笑顔が心からの喜びを表していた

心が痛まないとは言えないが
これしかないのだと自分に言い聞かせ
笑顔に応えた

 準備をしてくれていたのに申し訳ないが
 今宵は月影とふたりにしてもらえるかな
そう言うと幇間に金子を渡した

 いつもありがとうございます
挨拶をすませ皆が部屋をあとにすると

 よく受けてくれたね 
手を握りながら礼を言う
 来る前に娘夫婦にも話をしてきた

 驚いてはいたがわたしの決めたことだと
 余生を楽しんでくださいと言ってくれたよ

 無理を申した上
これほど早く事を進めていただいて
 なんと礼を申したらいいのか
 
 月影の心が変わっては困るんでな
安心させるように笑顔を見せた
 ほかの客はとらなくていい
 わたしが来た時だけ酒の相手をしておくれ

 ありがとうございます
  
涙ぐむリンを抱きしめ
 わたしも郷里に準備を進めていくよ
 
 よろしくお願いいたします

一睡も出来ず旦那様をお見送りした足で
港へ向かった

早朝から賑わう港には
食事にありつこうと
かもめや猫が間隔をあけて待っている

ここに連れてこられ
十八年の月日が過ぎていた

おっ母の幸せになれと
いう言葉を支えに生きてきた

当初考えていた
煌びやかに誰からも崇める幸せ

愛する人から捧げられる幸せ

リンが答えを出した幸せは
当初考えていたものとは

全く違うものだった

これから手に入れる
自由という幸せも
母になる幸せも
全く違う種類の幸せだと思う

幸せとは
その人が心から求め手に入れたもの
それが幸せの正体だと気づいた

そして今
親になる幸せを経験しようとしている

授かった生命が
誰よりも幸せになってほしい
親になる幸せを経験しようとしている

政だからこの子を幸せにできる
政にも幸せになってもらいたい

政なら分かってくれる

願いが届くことを祈るしかなかった

廓に戻り女将の部屋に通された
 昨夜は旦那様に礼を言ったかい

 はい 
心より感謝を申し上げました

 そうかい 
それはよかった

 旦那様から前金だと昨夜預かったよ
 本当にいい方に見初めらせたもんだ
 お前みたいに幸せな女郎はいないよ

 はい 
わたしもそう思っております

 ところで政には話したのかい

 いえ 
まだです

 皆にもお前の見受けを伝えなきゃいけない

 今夜 
政と話をする時間を頂戴します

 わかった 
明日には皆に喜んでもらおう

 はい 
明朝改めてこちらに伺います

いつものように廓が寝静まった頃
部屋の前で声がかかる

 花魁 
お呼びでしょうか

 入っておくれ

部屋に入り障子を閉めた
政の背を抱きしめた

 どうしたのですか
驚き振り返る政に唇を重ねた

政の瞳
政の肌
政の匂い
全てが愛おしい

離れたくない
全身から溢れだす気持ちが止まらない
子供のように泣きじゃくっていた
 あなたを愛しています
優しく
背を摩る掌の心地よさに

少しずつ気持ちが落ち着いていった

身体を支えられその場に座る
政の顔が見られない

 どうしたの
話してごらん

 来春 
身受け話が決まりました
 上総の旦那様から
ご寵愛をお受けいたします

驚きと今にも泣きそうな顔で
 よかった
そう言う政に

 もう一つお話があります
お腹に子が出来ました

 旦那様のお子が… 

 いいえ 
旦那様と契りはございません
 そしてあなたのお子でもない

政に目を向ける

政もリンを見つめていた

胎動を感じるはずもない腹に手をあて
 お願いがございます
 この子をあなたに託したいのです

 無茶は重々承知しております
 でも 
この子が産みたい

 旦那様はとても優しいお方です
 今までお通いいただいても
 身体は求めたことはありませんでした
 身受けをされた後も
 これからも二人で
穏やかな時を過ごしていくことでしょう

 きっと子を授かるのは
 これが最初で最後だと思うのです

 いくらお優しいお方でも
 旦那様の元へは連れてはいけない

 ここに残すことは
 政や私のように自由もなく
 一生を過ごさなければならない

 この子には
 男でも女でもなく
 人として幸せになってほしいのです

 私がふたりに自由を与えます
 だから
政はこの子に愛を教えてください

人は自由で愛されて生きている
それが幸せだと教えてやってください

どうか 
お願いいたします

長い沈黙のあと
 リンの気持ちはわかった
 命をかけて守りぬく

政の青みがかった瞳に
美しい炎が灯った

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