目下、作戦実行中(引っ越しとこれから先の話)
こちら、ぽつぽつ悩みながら書くので、もしかしたら数日間、思い出した時に書き連ねるかもしれない。(と思ったら、書き終わって無事決意も固まり完結したので、本日をもって完!)
引越しすると決めて四日。【本当に、引っ越すのか?】という、感情とも似た、ただ無垢なものみたいな単純な質問が、私の中に何度か現れている。本当に?という問いより厄介なことはないと個人的には思っている。とてもシンプルかつ嘘や誤魔化しの効かない問いだからだ。空を仰いで"オー マイ ゴッド"というのは、こういう時に使うのだろうか。
今回引越しで"成し遂げたい"と思っていることは、生活の一新なのである。方向性はあり、そちらの方へ向かっている。がしかし、本当に上手くいくようなものなのか。
何の保証も貯え(それこそ何の貯え?という話なのだが)もないまま、「やってみたい!」という単純な喜び一つに動いていいようなものなのか?!別にいいとは思うのだけど(明確なこれを止めるための理由は、たぶんどこにもない。)、何となく何かをつついたり心配して?みたりしている。これは優しさなのだろうか?ただ漠然と心配なだけなので、為になるかと言われたら正直"何の貯え"にもなっていないので、たぶん意味は無い。
別にそこまで気構えなくてもいいようなものかもしれないが、結構考えている。何を?と言われると、「座禅しています。」としか言いようがない無為な時間で、書くと頭をぽりぽりとしたくなるような、恥ずかしくなってくる。
と、ここまで書いていたら、今の住まいのお友達(今シェアハウスに住んでいます。)に「こっちゃん引越しするの?」と聞かれた。
人に聞かれるとつらつら答えが出るものである。さっきまでのは何だったのか。やはり無為だったのか。
「つくりたいと、思ってしまったんだよね。」この前の合宿で、そう思った、という話をした。その後何をどう話したのか、あんまり記憶にない。特に何も聞かず、その友達は、「そういうのって、思ってしまったらそうせざるを得ないみたいなとこあるよね。」と言った。そうだな、と思わずその言葉に強く頷いた気がする。
話しながら、先の自問自答は、【これは確かな思いなのか?】というものだと気付いた。
点と点でその友達に話したことを書く。
要するに、『つくるために、環境を変える。』という2つの文節を確かめたかったのだ。
今の自分の気持ちを疑っても仕方がないことなのだな、ということも友達とのやり取りからすごく思った。やりたい気持ちに『なぜ?』は、蟻地獄だ。
冒頭で、「今回引越しで"成し遂げたい"と思っていることは、生活の一新なのである。」と書いた。計画的変更である。人生、何があるかわからない。
次いで追伸をここに書くならば、私は「先はどうなるかわからないよ。」と言って暮らしている方である、と自分では思っている。高校をジリジリと椅子に座って何とか卒業してから、上京して自由を得、その順風満帆自由の風が強まった気がしている。何が起きたかなんて書いたらキリがないしとても面白いので聞いてくれたら喜んで人生のいきさつを話し始めると思うのだが、実際こんなにわからないよと言って生きている私でさえこんなにもわからないだらけが起きるのだから、きっと人生、相当ここにあるものは未知数なのだろう。
書いてみて、生活の変更、引っ越しへの決意が無事決まりました!
そして、決めると、途端に猛烈な不安と吐き気が襲ってきております。この苦しみも、今は肥やしなんだろうなと思う。なぜそう思うのかは、次のnoteに書きます。
抱きしめてみようと思います。