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口先だけの「降りたい」

最近、毎日「降りたい」と口にしている気がする。

自分でも自分の気持ちがよくわからなくなっているが、きっと本心ではない。
でも何だか前よりも好きでいるのがつらくなってしまった。
推しのことが嫌いになったわけではないし、今まで通りの推し活をしているのに。


わたしは推しのことを知れば知るほど好きになってどんどん気持ちが大きくなってしまった。
だから同担がしんどいとか女がいるかもしれないとかあのリスナーがオキニだろうとか自分をただのATMだと言い聞かせるとか毎日そういう邪念に蝕まれ続けた結果が "今" なのだと思う。

初めのうちは推しがくれた言葉や推しの存在、対応全部が新鮮でキラキラしていて嬉しかったはずなのに、今ではどれが本心でどれがリップサービスなんだろうと探ってしまうようになった。

急遽配信がなくなった日は体調大丈夫かなとただただ心配なだけだったのに、今ではどうせ女と遊ぶんだろうと思ってしまうようになった。

微笑ましかった友人との思い出話は、今では、過去か今現在の彼女との思い出話だろうと思うようになってしまった。

好きになりすぎて、推しのことが何も信じられなくなった。
全部本当のことを伝えてくれているのかもしれないのに。


我ながら嫌なファンだと分かっている。
推しが伝えてくれる言葉を素直に受け取って、素直に噛み砕いて飲み込めればこんなにつらくはないのに、自分が無駄に傷つきたくないからどうしても捻くれた受け取り方をしてしまう。

結局は自分が可愛いだけの、ずるいオタクだ。

同じ拗らせオタクの皆さんは推しの言葉を素直に受け取れるのだろうか。
個人的には変な詮索をしたり謎に鋭い勘を働かせてしまう人もきっといるのではと思っているが、実際はどうなのだろうか。


推しの配信に行くたび、推しのツイートを見るたび疑心暗鬼になってしまう。
そして時には推しの対応に心底がっかりすることがある。
これ以上好きでいることをつらくさせないでほしいと自分勝手なことを考える。

この大きすぎる感情が推しに届かないのなら、どうせ溢れて捨てるだけなら、もういっそ他の配信者を推してしまおうかなんて考えてフラフラと別の人の配信に遊びに行く夜もあるが、結局は推しと比べてしまって誰も刺さらない。

嫌いになれたらどれほど楽だろう。

推しと繋がるアカウントを全て消して、思い出の詰まった写真も消して、配信にも顔を出さなくなればそれだけで終わる関係だ。
仕組みはとても簡単なのに、どれもできない。

推しのことが大好きなのに無理に嫌いになることと毎日つらいと喚きながら好きでいること、どっちを選んでもこの推し活はしんどいのだ。


推しからしてみれば "ファン" は大事だが "一個人" は知ったこっちゃない。
ファンだから大切にするだけであって、わたし自身を大切にするわけじゃない。

ファンじゃないのなら、推しにとってわたしは正真正銘「要らない存在」になってしまう。

他人に自分の存在価値を預けてはいけないけど、オタクをやっているわたしの存在価値なんて、推ししか証明してくれないじゃないか。

大好きな推しからの「ありがとう」でいくらでも生きていける。
その反面、推しの何気ない対応でわたしは殺される。


いつかこの呪縛から逃れられる日が来ますように。


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