結ばれないから「推し」なのだ
今日も推しのことが相変わらず好きで、毎日毎日推しへの想いは大きくなっていく。
「もうやだモチベない」「オタク辞めたい」「同担無理」「降りたい」なんて言葉を息をするように吐き出しているくせに、暇さえあれば声を聴いて自撮りを眺めているし、ツイートの通知が来ないかソワソワしているし、今何してるんだろうって推しの生活を想像したりしている。
推しとファンの関係というのは、上手に付き合えばwin-winでとても良い関係なのだろうが、私のような拗らせ限界オタクにはかなり厳しい関係だ。
もはや何かの罰のような、人生の枷と言っても過言ではない。
オタクは毎日推しに感情という感情全てを揺さぶられて、心の中は24時間365日停まらないジェットコースターに乗っているような感覚なのに、それはあくまで私の一方通行でしかない。
頭を悩ませ時には涙を流している私のようなオタクのことを、推しは知る由もないだろう。
でもそれは、本来純粋に活動を応援すべきなのに、要らない感情まで持ち合わせてしまった私が100%悪い。
そうわかっているのに、終わりのないこの一方通行がしんどくなる。
私の周りには、私と同じようなクソデカ感情を持ち合わせている限界オタクもたくさんいるが、逆に尊敬に値するほどド健全なオタクもいる。
そういう人に
「なんで3次元推してて病まないの?」
と聞いてみるが、決まって
「逆になんで病むの?」と返ってくる。
「推しに女いたら…とか同担へのレスとか繋がりとかしんどくない?」
と聞き返すと
「推しは推し。私たちとは違う立場で違う世界の人だしむしろ存在しないとさえ思ってる。推しはそれが仕事だし、そう割り切るしかなくない?女関係は推しが幸せならそれでいい。変な女には引っかからないでって思うくらいかな。」
と120点満点の答えが返ってきた。
私の兄弟もとあるアーティストを推しているド健全オタクで、推しが出るフェスやライブには毎回足を運んで、その上で少人数限定ライブが当たったりツーショ会が当たったり直筆サイン入りチェキが当たったりSNSを推しに見られていたりするらしいが、それでも推しに恋をしたり繋がりたいと思ったりすることは絶対にないらしい。
同じ血が流れているのに、こうも推しに向ける感情が違うのかと絶望した。
もちろん推し活の仕方や推しに向ける感情は十人十色だが、こういう人達はやっぱり純粋に推しの活動が好きで、何も言わずお金を落として、静かに推しのことを見守り続けて、推しに一切害を与えない素敵なオタクだなと素直に思った。
と同時に、私もできることならそんな無害なオタクになりたいがまあ無理な話だろうと確信した。
推し活において、いくら舞い上がるような出来事があったとしても "私だけ" なんてことは絶対にあり得ない。
私にしているようなことは他のファンにも同じようにやっている。
推しからのファンサに特別な意味や感情なんてない。
特別扱いなんてない。
この世の中には推しと結ばれた人ももちろんいるだろうが、そんなのは奇跡の中の奇跡であって普通に生きている分にはそうそう叶えられない夢物語だ。
いくら拗らせている私でも、好きでい続ければいつか結ばれるなんて思っていないから、つらいやめたいと言いながらもファンとして推しのことを好きでい続けるか、嫌いになるか冷めるかして降りる以外の選択肢しか私にはない。
これ以外、この恋を終わらせる方法を私は知らない。
だが、それが「推し活」なのだと思う。
推しとは結ばれないから「推し」なのだ。