2次元のオタクに戻りたい
私の固定記事を読んでくださった方はご存知かもしれないが、私は元々2次元のオタクだった。
どんなジャンルのどんなオタクだったかはこちらに書いてあるので興味のある方はぜひ。
▼ 2次元のオタクだった
3次元に推しができて、早くも半年以上が過ぎた。
推しがこの世に存在しているからこそ、ファンサが貰えたり推しの声で名前を呼んでもらえたり自分の生活リズムを推しの生活リズムに合わせて長く同じ時間を過ごしたり、記念すべき日を一緒にお祝いしたり、楽しいことも幸せなこともたくさんあった。
でもやっぱり2次元とは違うベクトルのしんどさに日々苦しめられている。
2次元の元推しはどんな私だろうと好きだと言ってくれた。
たとえ私が心も顔も醜いブスでも、気持ち悪い感情を向けても、歪んだ愛情を注いでも、私の全部を包み込んでくれた。
2次元のオタクをやっていた私が持っていた不満なんて「ランダムグッズがムカつく」とか「同担がうざい」とか「運営のやり方が気に食わない」とか「グッズの交換が決まらない」とか「ガチャが渋い」とか「自引きできない」とかせいぜいそんなものだった。
なのに今は、もういっそのこと降りてしまいたいと願うほど毎日追い詰められて自分の心を傷付けながら多少の無理をしてでも推しのそばに居座っている。
2次元と3次元は決して天秤にかけられるような世界ではないし、双方にメリット・デメリットがあることも十分わかっている。
でも、どちらの世界も知っているからこそ、どうしても比べる対象になってしまうのだ。
今の推しはファンをみんな平等に扱ってくれるし、炎上やファン同士のトラブルなんかも一切なく、俗に言う "いい推し" なんだと思う。
なのに私は、そんな "いい推し" を上手に推すことが出来ない。
推しのことが好きすぎて嫌われたくないし気持ち悪いと思われたくないから、いつもいざという時に他のファンより一歩引いてしまう。
初期から推しを支えている古参オタクでもなければ、毎月大金を落とす財力オタクでもない、そして終いには気の利いたことが言える出来たオタクでもない。
終わってる。こんなの終わってる。
私は推しにとって本当に価値のないオタクだ。
そんな私でも、よほどのことがない限り自分の予定より推しの配信を優先してほぼ毎回顔を出しているし、ツイートがあれば全部いいねを押してリプを送って、機会があればお手紙を送ったりコメントを通して日々の活動に関する感想を伝えている。
私にはそれしか好きだという気持ちを伝える方法がわからない。
決してお金が全てではないけれど、愛があるからお金を落とせるわけで、いくら言葉や行動で示そうと思ってもそんなものはたかが知れていると思う。
恋人同士なら行動で愛情を表現することもできるが推しとオタクはそんな関係性ではないから、確実に愛を伝える方法がお金以外に見つからないのだ。
なんて不器用なんだろう。
こんな考えしかできないから、推しが頻繁にくれる
「いつもありがとう。」
「みんなが俺の支えになってるよ。」
なんて素敵な言葉が素直に受け取れない。
いてもいなくてもどっちでも良い存在の私にはそんな言葉重すぎるし、絶対に私は含まれていない、なんて被害妄想に浸る。
嫌われたくないも気持ち悪がられたくないも、結局私は自分が1番可愛くて傷付きたくないだけだ。
そのせいで自ら一歩引いてるくせに推しからのありがとうを受け取る資格がないと喚き、疎外感に苛まれるなんて本当に自分勝手な奴だ。
推しからしたら大迷惑極まりない。
そしてそんなマイナス思考しかできない私には推しのオタクをやっている価値がないと振り出しに戻る。
こんなこと、2次元のオタクをやっていた頃の私にはなかった感情だ。
狭い界隈だったのもあるが「私が1番だ!!」と謎に自分の推し活に自信があったし、推しのオタクをやっている自分には価値がないなんて思ったこともなかった。
むしろ私みたいな限界オタクに推されて幸せでしょなんて頭のおかしなことを考えていた。
なのに今はどうだろうか。
今の推しのオタクをやっている自分の価値を見出せずに、推しとの心の距離を縮められずに、日々被害妄想に浸ってマイナス思考が止まらない特級呪物モンスターが爆誕している。
ああ、数年前は毎日が楽しかった。
2次元のオタクに戻りたい。
そんなことを考えながら、私は今日も推しの配信を聴いている。