日記

この世の中では,絶えず人が死に生まれている。紛争などの規模の大きいものから,日常においてまで。

 偶に私は何故生かされているのだろうと考えることがある。犯罪と言えるような大きな罪を犯してはいないが,日々何かしらの良心の呵責に苛まれ,私利私欲のために罪である方を選んでしまうこともある。

 何故,私が生き,なんの罪も犯していないような人や,優しい人が傷つけられなければならないのだろうか。誰からみたらその人が善人であるとは限らないが。

 この焦燥感や寂寥感は何に帰来するものなのであろうか。自分自身を欺いているからなのか。

 今日,平野啓一郎の「マチネの終わりに」を読み終えた。読み終えた後言葉にできないような不思議な感情に包まれた。読んでいる中で,私が考えたことを書いてみたが,はっきりとしない。結局思考は言葉に縛られているからなのだろうか。

 常に自立しており,自分の危険を試みずイスラエルの人々を取材し,正しい情報を世界に発信しようとしている洋子がとても眩しく見えた。自分の信念に従い,それを行動に移している洋子と,誰かに依存することでしか生きていけない自分を比べてしまった,私も彼女のようになりたい。

 就職活動開始が差し迫っている中,私が大衆に埋没してしまったようだ。ただただ苦しい。私は,置かれた場所で咲きたくない。私は,誰かが作り出したものを模倣するだけで,何も手にできていない。

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