しがない社会人

用途は思考の整理のために。

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最近の記事

独白

最近適応障害になり病院の先生から言われたこと ・今までずっとやりたいことをやっていなかったから生きづらかった。 ・頑張って無理をして生きてきた。 ・自分に厳しすぎる。(優れていなければいけない。真面目でなければいけない。頑張らなきゃいけない。などとルールを科しすぎてる) ・自分を認められていない→肩書きや資格に自己を支えてもらおうとしてた。 ・周りのことしか考えていなかった。(周りのしたいこと=自分のしたいこと) ・やりたくないことをずっと頑張ってきてある程度結果が出せてしま

    • 日記

      この世の中では,絶えず人が死に生まれている。紛争などの規模の大きいものから,日常においてまで。  偶に私は何故生かされているのだろうと考えることがある。犯罪と言えるような大きな罪を犯してはいないが,日々何かしらの良心の呵責に苛まれ,私利私欲のために罪である方を選んでしまうこともある。  何故,私が生き,なんの罪も犯していないような人や,優しい人が傷つけられなければならないのだろうか。誰からみたらその人が善人であるとは限らないが。  この焦燥感や寂寥感は何に帰来するものな

      • 動画が苦手だ

        私は、動画を見るのが苦手だ。 目の持病があり疲れやすいこともあるが、浪人してから動画を長時間見れなくなってしまった。 テレビやYouTubeをずっと見ていることができない。目が疲れてしまうし、1人で見る気になれない。それは現代人としては致命的なことで、友人の話についていけないし、オンライン授業も上手くこなせなかった。 なんだか、動画を見ていると意味のないことのような気がして虚しくなってしまう。でも、その余った時間を上手く活用することもできず自己嫌悪に陥る。 今年は、自

        • 自己肯定感

          私は自己肯定感が低い。だから、なぜ周りの人が何故私を好いてくれるのかわからない。また、女子校で過ごし異性とほぼ関わりがなかったこともあるのかもしれないが、自分が恋愛や欲望の対象にされることが頭では分かっていても実感がない。そして、生きたいという欲があまりなく、死を不安の拠り所としているため何をしていても虚しいし、そこまで悲しむことができない。それをしないと自分が壊れてしまうから仕方ないのだが。 嫌なこと・辛いことがあるとはやくしんじゃえばいいのにと思う。そんなことを思う自分

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        • 環境問題
          1本

        記事

          「雑音」

           この社会には雑音が溢れている。雑音を煩わしく思っているのにどこか安心感を感じる自分がいる。本来孤独であるのに、雑音に身を置いている時だけ自分は1人じゃないと思い込めるからだ。それは麻薬のように身を蝕んでいき、自分が自分であることすらわからなくなる。そして、求めていた静寂がいざやってくると耐えられなくなる。  私の日常の中で唯一静寂に身を置けるのは、実家に戻った時だ。ただ私はその静寂に耐えられなくなり、すぐに雑音に塗れた東京に戻りたくなる。そして、その雑音に苦しめられる。

          きれいなもの

          わたしが普段気づいていないだけで世の中はきれいなもので溢れている。 特にわたしがきれいだと感じるのは,消えてしまうものだ。 春にしか咲かない桜が散る時 雨が上がり草木に雨露が滴って空が反射している時 森の中で舞い落ちた枝葉を踏みしめ歩いている時 滝から落ちた水が光によってきらきらと反射している時 1秒進みその1秒が過去となる時 自分を知らない場所へ行き,自分を定義するものがなくなった時 恋に落ちた時 人の温かさを知った時 世界の全てが美しく,儚く,脆い

          世界と私の境界線

          世界とは,私の思考だ。 しかし,他者によってそこではいつも細波が起きている。 私はきれいなものだけで自分の世界を埋め尽くしたいのに,自他関係なくいろんな欲望で灰色になっている。自分を肯定することができず淀んでいる。 わたしの中では私の価値観が絶対であるのに,それはいともたやすく崩され,わたしは苦しむ。それなのに,その苦しみの解消を他者に求め,否定され苦しむ。多様な価値観があっていいのに,この日本ではかなり固定的な価値観を皆が持つことを強要されている。そうして,その価値観

          世界と私の境界線

          自戒

          高校生の時,私は常に理想を追い求めていて,現実とのギャップに常に苦しんでいた。また,常に物事の本質とは何であるかと考えていた。世の中に絶望し,人間不信で尖っていた。また青臭い夢を持っていた。しかし大学に入り,いつの間にか享楽的で刹那的なその辺にいる人間に変わっていた。今楽しければいいと思ってしまう自分がいる。もちろん否定するつもりはないが,あの頃は(年寄りくさい),苦しくて苦しくてでも生の実感というものがあった。今はふわふわしていて軸がなく,生の実感はなくただ現実逃避をしてい

          恋愛とは

          大学に入学してから一年経ち様々なことを経験した。 サークル活動や恋愛や人間関係においていろいろな楽しみや苦しいことがあった。 最近恋愛とは何であるのかを考えるようになった。 付き合うという関係性は,お互いの自由を奪い合うこと,他者に承認してもら得る関係性なのではないかと私は感じるようになった。 高校生の時男女交際をしたが,ただ好きだから一緒にいるという純粋な感情であった気がする。(お互いの自由を奪ってはいたので一概には言えないが) 大学生となり,表面上のもの(学歴,

          はじめまして

          大学生になって少し時間が経った。 少しという概念が人それぞれ違うのは面白いし不思議だし自分と他人の境界線を感じてしまいなんだか怖い。 欲しいものが有れば大抵のものは手に入れられ、信頼できる人がたくさんいていつも気にかけてくれ、恋人もいる、そして健康な体を持っている。まわりからみたらなんて幸せなのだろう。 なのに、毎日どの瞬間も生きづらさ、息づらさを感じている。早くこの生きにくい世界から消えてしまいたい。刹那的に生きたい。私が私を雁字搦めにしているのでしょうか。 そもそ