将来教師になろうかなと思ってる話
私のことをよく知ってる人は
この題名見て衝撃でひっくり返るんじゃないかな(笑)
というくらい私自身も驚いている(笑)
ご存じの通り、「教師」は私の将来就きたくない職業ランキングで
2位以下を大幅に突き放す、堂々の第1位。
でもこれにはまっとうな理由がある。
それは、私が今まで出会ってきた先生の多くが、本来は「児童・生徒・学生のための学校」を「先生のための学校」「大人のための学校」と考えていたから。(あくまでも私がそう捉えただけ)
例えば、高校2年生の時に自習室の使い方のことを担任の先生に相談した時。先生に「分かった。でもそれは私が何とかできる問題じゃない。」と返された。先生は、自分より立場が上の人に逆らうことを避けるために、生徒の意見を握りつぶした。
生徒のための学校なのになんで。。
と絶望したのを今でも鮮明に覚えている。
運が悪かったのか、ただただ嫌われていたのか、こんなエピソードが山ほどある。
だから私は「教師にだけは絶対に死んでもならない」と豪語していた。
つい最近まで。
そんな私がなぜ教師、強いては教育に興味を持ったのか。
その理由は二つ。
まず一つに、自分が向いていると思ったから。
教職もとってなければ、塾講をしてたわけでもないやつが何を言ってるんだと思われるかもしれない。
でも、私は人をエンパワーメントすることがとても好きってことにこの大学生活で気付いた。
例えば、サークルで自分の考えとか気持ち、経験を話すのが好きだった。周りに恵まれてた分、みんながいつも真摯に聞いてくれてたっていうのもあるかも。それに加えて、自分の伝えたいことだったから、すごく生き生き話せてた気がするし、自分自身もどう話せば伝わるかなとか考えるのが本当に楽しかった。
しばらく経っても私の話を覚えていてくれていたり、何気なく発した言葉に救われたって言ってくれる子がいた時には、本当に生きがいを感じた。
それに加えて、
新しい人に出会えることに喜びを感じる。
会ったばっかりの人とでも真剣な議論とか会話をするのが好き。
初めて会った人でも気になることはたくさん質問して、その人のことを知るのが好き。
周囲を活気づける力がある。
こういう自分の特徴を見つければ見つけるほど、「教師、向いてるかも」って思うようになった。(単純)
二つ目の理由は、
反面教師になってやろうっていう気持ちが芽生えてきたから。
最初にもあったけど、大げさに言うなれば私は「教師=敵」くらいに思ってた。
この固定概念を変えてくれたのは、なんと留学先のクロアチアで出会った先生。
留学って楽しいこともたくさんあるけど、意外と見えないところでみんな這いつくばってるんだよね。
私も実際その一人。向こうでの英語の授業についていけなさ過ぎて、自分の情けなさに押しつぶれそうになったことが一度だけあった。
授業後、先生に相談しようと思って話し始めたら、涙が止まらなくなった。自分でも何を相談したいのか分からない。でもとにかく誰かに話さないと自分がなくなりそうだった。
そんな中、先生は私の拙い英語で表現される感情ををちゃんと親身になって聞いてくれた。
「私はあなたがここにいてくれていることが嬉しい」
「よく頑張っているのは私が一番分かっているよ」
こんな先生の口から出てくる言葉を聞いて、驚くほど気持ちが軽くなった。先生と別れてから、嬉しさなのか安堵なのか悔しさなのか良く分からない感情に包まれて、トイレでしばらく泣いた。でももう次の瞬間には「私は大丈夫。もっとできる。」と思えるようになってた。そのままカフェに直行して、心ゆくまで必死に英語の勉強をした。
この先生に出会って、私の中での「教師」の概念が一気に変わった。
こんなに親身になって学生をサポートできる
素敵な先生がいることを初めて知った。
このときから、心のどこかで「私もあの先生みたいになりたい」と思い始めた気がする。
私が出会ってきた先生たちのように
学校のため、親のため、先生自身のために働く先生ではなく、
しっかりと生徒や学生のために働く先生に”なら”なりたいと思った。
でも、一つ条件がある。
それは「教師になるとしても一度は社会に出る」ということ。
今の私が教師になったところで、彼らに教えてあげられること・伝えられることなんてたかが知れていると思う。
だから一度社会に出て、今まで以上にもっともっといろんな経験を積んで、魅力的な人間になってたくさんの人をエンパワーメントしようと思う。
P.S.
これが実現するのかは私もわからないけれど、このことを考えていると私はワクワクしているから多分、将来実現させるのだと思う。
母親に伝えたら「どうしたん急に?!あんなに嫌や言うてたやん。だから前から向いてると思うって言うてたのに~」と。親は自分より自分のことをわかっているとも思った。
2020年6月28日の cory