宇佐神宮は卑弥呼のお墓だった!?
今回は、宇佐神宮が卑弥呼のお墓だと言われている理由を書きます。
その前にまず宇佐神宮って何やねん、卑弥呼って誰やねんというとこからでしょうか。
まずは宇佐神宮について。
宇佐神宮は大分県宇佐にあります!八幡さんの総本宮と言われています。
八幡神社とか〇〇八幡神社とかの親分的な存在です。
日本には神社が11万社あると言われていますが、八幡神社はそのうちの4万600社あります。日本で一番多い神社です。
ちなみに日本の郵便局で23705局です。
郵便局よりも1.5倍以上あるのが八幡神社。
八幡神社界の聖地ですね。
続いて、卑弥呼について。
卑弥呼とは女性の名前です。しかも女王様です。
邪馬台国という国が日本にはかつてありました。そこを治める女王様です。
卑弥呼は争いが絶えなかった当時の国を争いのない国にしました。
卑弥呼は鬼道(きどう)と言い、現代でいう霊を見たり、見えない神様と交信する力を持っていたと言われています。
この、邪馬台国がナゾに包まれていて日本のどこにあったのかわかっていないのです。
その中で有力な場所だと言われているのが、九州、ヤマトです。
その卑弥呼のお墓が宇佐神宮にあるのでは!?という理由は3つあります。
ひとつめ、宇佐神宮の御祭神には卑弥呼が祀られている!?説
宇佐神宮の御祭神は3柱います。八幡大神、比売大神、神功皇后
卑弥呼につながると想定できる神様は比売大神です。
比売大神という神様はいないのです。
比売というのは女性を表しています。
比売=姫ということです。宇佐神宮の由緒書には比売大神は、市杵島姫命、多岐津姫、田霧姫の宗像三女神だと書かれています。
そして、この宇佐の地に降臨したのだと言っているそうです。
確かに数ある諸説ある中でそういった説もあるのは認めます。
しかし、それは諸説ある一説にしかすぎません。宗像三女神は福岡の宗像出身だとほかの伝承では言われてますね。
この3柱いる神様のなかでもメインは比売大神ということは見たらわかります。
八幡さんの総本宮やからメインも八幡大神でしょうと思いますが、一度そのフィルターを外してみましょう。
御祭神の並びを見たら一発でわかると思います。メインどこでしょうかね。真ん中ですよね。では、御祭神見てみましょう。
一之御殿:八幡大神
二之御殿:比売大神
三之御殿:神功皇后
という並びですね
神社の神様尊い順ですね(順位をつけていいものかはさておき)
真ん中が1位、次が右側、3番目が左側なんです
真ん中の圧倒的な豪勢さ、目がくらむほどですね
このルールであてはめるとどうなるでしょうか?
主祭神が二之御殿:比売大神であるということが見えてきたのではないでしょうか。
そうなると比売大神はどこのお嬢さん?どこのマダム?となりますね。
それにふさわしい存在、それが卑弥呼という結論になります。
その理由は二つあります。
①宇佐神宮の存在感でかすぎぃぃぃぃぃ説
宇佐神宮、かつては伊勢神宮と並ぶほどの存在でした。それは、二所宗廟。ここでの廟はお墓という意味より、祖先に対する祭祀を行う場所です。
つまり天皇家にとってめっちゃ大事な神社ってことです。
宗廟が二か所ある。これで二所宗廟です。
現代では伊勢神宮と石清水八幡宮です。
これが中世より前は伊勢神宮と宇佐神宮でした。
単純に言うと伊勢神宮とマブダチ、同等の神社という感じです。
というより、かつては伊勢神宮よりも格上だったのでは?という例もあります。
例1 奈良の大仏さんに張り付ける金箔足りない事件
奈良の大仏ができたきっかけは、はやり病。これを仏教の力でおさめるために大仏を作ろうという理由でした。
国家プロジェクトな大仏さん。
ところが大仏さんに張る金箔が足りなくなってしまいました。
そこで、頼られたのは宇佐神宮です。
占いをします。言われたのは日本のどっかから黄金が出るでしょう…というごぶごぶな言葉でした。
しかし、卑弥呼が眠ると言われる宇佐神宮です。
卑弥呼がもっていた鬼道が発揮されていたのでしょう。
見事、金は発掘され奈良の大仏は完成しました。
例2 ちょ、やばいって!血筋のない坊さんが天皇なってしまう!事件
奈良時代、孝謙天皇という女性の天皇が即位していました。病に倒れましたが、この病を治したのが弓削道鏡というお坊さんでした。
独身で子供もいなかった孝謙天皇は坊さんをとても気に入ったそうです。
そんなタイミングで、次の天皇誰にしようか?という話になり、お気に入りの弓削道鏡が天皇なってしまうのではないか?と朝廷はざわざわします。
そこで宇佐神宮に仲介してもらおう!ということで弓削道鏡側と朝廷側が宇佐神宮へ行き、宇佐神宮から道鏡は天皇になってはだめです!と言われたという事件でした。
まぁピンチな時に宇佐神宮を頼っています。
伊勢神宮のほうがヤマト国からも近いし格上なのに不思議ですよね。
宇佐神宮のトップが八幡大神だったらこんな扱いになるでしょうか?
否でしょう。
そもそも八幡大神=応神天皇というのが現代でまかり通っていますが、記紀の中にはそんな表現はされてはいないです。
これもまた不思議。八幡大神=応神天皇は後付けかなぁと個人的には思います。
そもそも、応神天皇は宇佐と関わりはありません。
九州だと福岡や宮崎くらいですね。
では、なぜこんなに重要視されていたのか。
御祭神が天皇であるほうが理由は得られるでしょうね。
では、少し違う視点から。
卑弥呼説を覗いていきましょう。
②宇佐神宮は古墳の上に立っている
魏志倭人伝には卑弥呼のお墓についての表現があります。
そこには、以下のことが書いてありました。
卑弥呼は亡くなった。お墓は直径140mで、さらにその付近には100人の奴隷が一緒に埋められた。
お墓めちゃくちゃ大きいですよね。これだけ大きかったら卑弥呼のお墓すぐ見つかってるはずやのにナゾですよね。
邪馬台国が近畿地方にあるという説からは、奈良県にある箸墓古墳だと考えられていますが、前方後円墳です。
魏志倭人伝は中国の歴史書で、さらに前方後円墳は中国にはない文化だったので古墳の形に触れられないのは疑問が残ります。
では、直径140mの古墳、一体どこにいってしまったのでしょうか。
それが…宇佐神宮にあるんです。宇佐神宮の古文書 八幡宇佐宮御託宣集には宇佐神宮は宇佐廟、そして神社の古さを裏付ける延喜式神明帳には廟神社と書かれています。
廟。これはお墓の古い呼び名です。
そして、宇佐神宮の本殿が建っている場所は亀山といわれる小高い丘になっているとこにあります。
この大きさ直径が魏志倭人伝に書かれている大きさとほぼ一致しているそうです。
さらに、宇佐神宮の本殿の地下からは非常に大きな石のひつぎが2回も見つかっています。そんな棺はあったことは内緒にされていたんですね。
触らぬ神に祟りなしってやつでしょうかね。亀山が実は古墳だった。
そしてそこにお墓を祀る神社として宇佐神宮が存在している。
サイズも魏志倭人伝に書かれているものと同じくらい。
卑弥呼の信ぴょう性がでてきたのではないでしょうか?
以上3つの理由から宇佐神宮は卑弥呼のお墓ではないか!?と言われています。
①宇佐神宮のメインの御祭神は卑弥呼ではないか
②宇佐神宮、めちゃくちゃ存在感を出してくる
③宇佐神宮は古墳の上に立っている説
最後までよんでいただきありがとうございました。
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