鹿児島睦 まいにち展の感想
数年前にテレビを断捨離してから、朝はラジオ派になった。
テレビと違い視覚を奪われて手が止まることが格段に減り、朝の準備が早くなった…?(起床時間がギリギリになった気がするのは言うまでもない)気がしている。
その朝に聴いているラジオから流れてきた、鹿児島睦さんによるまいにち展。
失礼ながらお名前や作品のことを詳しく存じ上げていなかったため、最初はその情報を聴いてはいたが聴き流してしまっていた。
しかし、1週間のうちの5日はその情報を繰り返し繰り返し聴くことで頭の中にその情報がこびりついてしまっていた。
ことに加えて、バックグラウンドミュージックの14のカノンが耳に残ってしまい、いつしかこの展示に行かなければいけない!という気持ちになって展示に向かった6月の最初の日の話。
「あさごはん」 「ひるごはん」 「ばんごはん」 「さんぽ」 「まよなか」 「おやすみなさい」
今生きている人たちが過ごしている”まいにち”に焦点が当てられた今回の展示。
作品を実際に目にしてみて。
鹿児島さんが手がける生き物たちの表情を見ていると、可愛いらしくいつしかくすっと笑えて癒されて、どことなくほっと安心している自分がその瞬間に居た。
私にとってのまいにち。
おそらくそれはきっと慌ただしくて、イラつくことも多く疲れてしまうことが日常茶飯事。
楽しいことがない訳ではないが、どうしても憂鬱をより濃く感じてしまうのは気質の問題のせいだろう。
しかし、そんなまいにちでもこのような素敵な作品が日常にあると肩の力を少しだけ抜くことができたり、まあいっかと執着を手放すことができるようになるのかもしれないと思えた。
”役に立たないもの、美しいと思わないものを、家に置いてはならない”
イギリスの芸術家・思想家のウイリアム・モリスのこの言葉。
断言しているようにも聴こえて私は一瞬拒絶しそうになった。
しかし今回の展示を見て感じたことを踏まえてよくよく考えてみると。
モリスの言葉は裏を返すとそうすることでまいにちをより楽しく、機嫌良く過ごすことができるということなのではないかという風にも思えた。
より良いまいにちのための、”なにか”が。
一人でも多くの一生懸命な人たちに見つかりますようにと願いを込めて。