ネットの便利さとは
我々がよく使うインターネット。私たちはそれを「便利なもの」と認識していることが多いが、では一体どのような点において「便利」といえるのだろうか。
それは、「時間というものを無視している」からであろう。「無視」と言うと極端だが、「自由に行き来している」と述べれば良いだろうか。インターネットが普及したことで俗に言う「リアルタイム」での物事のやりとりが減り、逆に「タイムラグ」が当たり前の世界となってしまったのだ。
例えば、会話に着目してみよう。本来会話とは人と人が対面して行われる。一方が問いかけ、すぐにもう一方が答える。いわば「即レスのし合い」。これが会話である。では、インターネットを介した会話はどうなるだろうか。今回はチャットアプリの場合を考える。一方が問いかけるのは変わらない。しかし、それに対する返事は「いつでもできる」のである。言い換えれば、「どんなに遅くすることもできる」のである。対面して行う会話においては不自然な筈の「一分後の返事」でさえもチャットアプリ上では「早い」と見なされる場合が多い。会話さえもリアルタイムでは行われなくなったのだ。
動画サイトに関しても同様のことがいえる。動画サイトでは、「リアルタイムで」その場面を観る必要もなくなった。動画サイトを介せば、「夜景」を「昼間」に楽しむという時間を無視した旅ができる。更には、「東京デイズニーランドの映像を楽しみながら」「手元では勉強をする」などといった二つの時間を同時に過ごすことも可能にしている。また、映像に映るその場所へ実際に行かずにその場所を楽しむ事のできる動画サイトは、本来ならかかる「移動時間」そのものを完全に消去しているのである。本来かかる時間を完全に消してしまっているのだから、これについても「時間というものを無視している」といえる。動画サイト一つとっても、これだけ多くの時間を無視している。その他、買い物や仕事においても、インターネットを介して時間を無視していると言える。
以上のような性質をインターネットは持っている。インターネットの便利さとはやはり、「時間の無視」にあるといえるのではないだろうか。寧ろ時間の無視があってこその「インターネット」であろう。現代に生きる私たちは「時間の無視」即ち「時間の自由な行き来」を普段から気軽に行っている。もしかしたら私たちは既に、タイムマシンを手に入れているのかもしれない。
※高校三年の頃に書いたものを発掘 授業の課題かなにか
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