「こころ」(夏目漱石著) 論文

一、 中心となる問い
本文最終文、先生から「私」への言葉「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」は本当はどういう言うつもりで言ったのか。

二、 結論
当初立てた仮説とは裏腹に、本気で文字通りそのままの意味で言った。

三、「問い」を設定した理由
  尊敬し、感謝の対象で自らの誇りだった叔父という存在に欺かれ、それ以来「金が善人を急に悪人に変える」と言い他人を信用できない先生の性格である事が先生の手紙から読み取れる。そのうえで「上」を読み返してみれば、度々先生の家を訪れる「私」に対して「あなたは何でそう度々私のようなものの宅へ遣ってくるのですか」と先生は疑問を持つ所にも、確かに先生の『他人を信用できない』性格が出ていると感じた。このようなことから『先生は他人を信用できない」という点に納得し、読み進めていくと、先生の手紙の最後の文で私に対し「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」という『他人を信用できない』人間の発言には似つかわしくない言葉が置いてあり、そこに違和感を覚えた。

 この違和感を抱えたままもう一度読み返すと、更に疑問が深まった。本文中「私は寂しい人間、しかしあなたも淋しい人間」という先生の発言は、独りでいれずに先生の元へ何度も訪ねてくる「私」の様子を的確に示している。加えて『「淋しい人間」ならば、自分の死後「私」は独りでいれずに、誰かと接するのではないか。生前の自分のような存在ができてもおかしくないのではないか』と先生は予想がつくはずである。しかし先生は、大事な秘密を明かしている。それでいて、「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」と言うのには些か疑問が生じる。つまりは、秘密を明かしてしまいそうな環境、性格にある「私」に対して、秘  密を明かしたうえで全部内緒にしてくれ、と述べるのは不自然だということである。

 更に、先生の手紙には「義務は別として私の過去を書きたい」との記述がある。義務は別なら、尚更何故明かすのか、疑問に思った。

 以上から、「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」という文は文字通りの意味に捉えるのが難しくなり、『ただ意味のない文なのか』『先生は、本当は誰かに秘密を明かされてもよかったのではないか』という仮説が生まれ、この問いを設定するに至った。

四、 解決の方法
 『三、「問い」を設定した理由』で挙げた、違和感を感じた複数の文について、もう一度検証する。CSTAに注意してもう一度見直す。特にS(シチュエーション)については正確に読み取る必要がある。一文だけで判断していたから実は解釈を間違っていた、ということが考えられるからである。大きな流れ、シチュエーションをつかんだうえで一文の意味をとらえる必要がある。このようにして、私が最初に目を付けた複数の文については検証する。また、問いの解決のために必要な文をもっと多く見つける。前述のSについて深く検証する中で、問いの解決の材料となる文を更に見つけることができるはずである。

 また、『三、問いを設定した理由』で着目した人物以外の人物にも注意して読み取ってみる。『三、問いを設定した理由』で着目したのは「私」と先生であるが、先生の妻、Kにも注目してみようと思う。もしかしたらT(トリガー)を発見できるかもしれない。

 更に気を付けたいのは、情景描写である。以前書いた「こころ」上のレポートに、「良くも悪くも、人間の生活や心情が略されることなく生々しく描かれている作品だと思った。言い換えれば、余計な記述が多い、ように感じる。生活の一場面一場面、心の中の言葉一つ一つが余すことなく丁寧に記されているように感じた。なので『必要な情報が埋もれやすいから読みにくい』と捉えることもできれば、『人間らしい〔生きた〕〔生の〕文章であり、面白みがある』と捉えることもできる。」と記されていた。この意見に対してクラスメイトからの意見は「私は後者側(『人間らしい〔生きた〕〔生の〕文章であり、面白みがある』と捉えることもできる)に賛成だ」とあり、「こころ」の特性である情景描写の多さは、ちゃんと正面から受け止めれば「面白い」と読み取れることを確認した。私には「余計な記述」に見えてしまった多めの情景描写にも、それを「面白い」と感じる事ができる人がいるのならば、実はその中にも色々なヒントが含まれているのではないか、ということに気づいたのである。したがってそのヒントを得るためにも、もう一度情景描写に注意して読み直す。一見関係ないように感じる描写も、拾って考察しながら進めていく。

 小さな問い、仮説については『三、「問い」を設定した理由』で触れたので省略する。

五、 本論
本文を読んでいくと、私の仮説を肯定するかのような場面を見つけることができた。「上」の中の、先生と先生の妻が喧嘩している場面である。この喧嘩について先生は「私」に、「妻が私を誤解するのです。それを誤解だと云って聞かせても承知しないのです。ついに腹を立てたのです」と説明している。これは後に先生の手紙で「妻に不満は無いが、妻を見るとKを思い出してしまい、それだけの理由で妻を遠ざけていた」のが喧嘩の原因であることが分かる。Kについて隠したがるが故に、愛する妻との関係さえも悪化させてしまったことを、手紙を通じて「私」に明かしているのである。これでは「私」は先生の妻のことを気遣って、自分が先生の代わりにと、全てを話してしまうかもしれない。このことは「私」に付き合う先生なら予想がつくはずである。それでも手紙を書き秘密を明かしたということは、最後の文「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」は特に意味のない言葉として書き加えただけのものなのか。もしくは、「別に妻に伝えてもいい」というメッセージなのだろうか。『三、「問い」を設定した理由』で綴った論と相まって、私の仮説は更に強まり、そのまま結論になりそうな雰囲気であった。

しかし、ここでもう一つ大事なことに気づいた。今回着目した先生と妻との喧嘩の場面、私の仮説を否定する形でも読み取れるのである。先生と妻は喧嘩した。喧嘩の理由は、「妻に不満は無いが、妻を見るとKを思い出してしまい、それだけの理由で妻を遠ざけていた」である。言い換えれば、それだけの理由で愛する妻と喧嘩しなければならなかったのである。愛する妻と喧嘩するというのは、先生にとっても非常に苦痛だろう。もし仮に前述の「別に妻に伝えてもいい」というメッセージを「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」にわざわざ込めるとするならば、生きて先生の口から直接妻に明かしているはずである。そうして「喧嘩」という苦しい状況を避けることができたはずである。そしてその方が圧倒的に楽である。であるにもかかわらず、先生は妻に自分の口から明かさず、「私」に対して手紙でのみ秘密を明かし、自らの死を選んだ。妻との喧嘩という苦痛からの解放よりも、妻に対して秘密を隠し通すことが優位に立ったのである。これならば、「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」は意味がそのまま通じる。「自ら妻に秘密を明かし、楽になるという選択肢もあったが、やっぱり秘密は秘密のままを希望し、その為に私は死ぬ」「自分が死ぬ位、妻には秘密を明かさないことにこだわったのだから、それは絶対守り通してくれ」という先生の意図が読み取れるのである。そう考えると、私の仮説は否定される。

しかも、私の仮説を否定する箇所が更に見つかった。先生は「私」の先生の過去を知りたがる様子に対して、「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。然しどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはどうも単純すぎるようだ。」と、「私」を疑っても疑り切れないことを示している。加えて、「私は死に前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底から真面目ですか。」と述べているのである。このことから、他人を疑ってしまう性分の先生は、いつも通り「私」のことを疑ってはみたけれども、疑った結果「私」を信用してしまっていることが分かる。「私」の『腹の底』が真面目である事を理解したからこそ、後に手紙でも「凡てを『腹の底』にしまって置いて下さい」と述べているのであろう。先生は、「私」というよりは『「私」の腹の底』を一番信用していたのかもしれない。一番信用のある『腹の底』に秘密の居場所を指定していることから、先生は秘密をそう簡単に公にされることは望んでいないことが分かる。つまり、「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」は、その言葉のまま、強い意味を為していることが言える。ここでも私の仮説は否定されるのである。

また、「私」は先生に対して「私は先生の性質の特色として、こんな執着力を未だ嘗て想像した事さえなかった。私は先生をもっと弱い人だと信じていた。そうしてその弱くて高い処に、私の懐かしみの根を置いていた」と思っている」。これは「私」に対して先生が興奮しながら財産の事を語る場面である。このとき「私」は「私」の耳に入る先生の言葉の意味そのものに驚いている。驚いたうえで、先程の思いがある。この一連の状況は「先生」が「私」に対しても起こりえたのではないだろうか。ここで、前段落で着目した場面をもう一度振り返る。先生は、普段普通の人間に見える「私」に、過去を知りたいと真面目に執着されている。このとき先生は「私」に対し、「私」が先生に対して思ったことと同じことを思っていてもおかしくはない。そして、先生は、「私」が自分自身とよく似ていることに気づいたのではないだろうか。自分自身とよく似ている人物だからこそ、秘密を明かしてはいけないことは理解してもらえると考えたのではないだろうか。そう考えれば、「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」という先生の願いと通じる部分がある。またここでも、私の仮説は否定されるのであった。

以上から、「凡てを腹の中にしまって置いて下さい」には『意味のない文』『別に妻に伝えてもいい』というメッセージは隠されておらず、むしろその言葉のまま『秘密は誰にも明かすな』というメッセージであると考えた方が妥当である。前者の論の根拠として拾うことができる記述よりも後者の方が、量も質も説得力も上回ったからである。

六、 振り返り
まさか仮説が覆るとは思わなかった。仮説の肯定用として拾った記述が仮説を否定してしまうとは予想もしていなかった。

 レポートの交流会でクラスメイトから貰った意見をもとに読み方を変え、同じく交流会でクラスメイトの読み方から学んだ「根拠を太くした方が結論に説得力が増す」ということを意識し、根拠の質だけでなく量にもこだわって、量を確保するためにも一箇所一箇所を深く読み込んだ結果がこうなったのだと思う。以前書いたレポートの一部がそのままこの論文に引用できてしまうとは意外だった。一つの作品の中でやはり繋がりはあるものなんだなあと感じた。また、今回立てた仮説に関しても、交流会で伝わるような説明が難しいことがわかり、クラスメイトから「文章に上手くまとめることができれば、素晴らしいものになると思った」と指摘を受けたから、できるだけ言い回しやら構成やらを「伝わるように」意識して作った。意識したつもりである。

 このことから、今回のこの論文作成において「他者の視点」の重要性に気づくことができた。クラスメイトの力をふんだんに使わせてもらった。論文とは「見てもらう」ものであるから、やはり他者の言葉は大切になってくる。これからも「他者」は大事にしていきたいし、「他者」に対しても何か大きなことをしてあげたい。論文作成がこんな学びを与えてくれるとは予想外だった。予想が外れることのなんと多い論文作成であった。



※高校三年の頃に書いたものを発掘 授業の課題かなにか
「一、中心となる問い」を自ら考えて設定し、二~六の項目について論じるといった形式 だったと思う


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