盈月架序章
序章
山の木々らが落ち着きなく震えている。
動物はもちろん、鳥すらもうここからは逃げ失せた。しかし、まだ、仕事は終わっていない。
現に今も、自分の後ろに鬼の幼子が尻もちをついている。
「おい!一鵠、その娘が最後だろう!早く連れて行け!」
入り口が閉じないよう、鍵を守っている烏天狗に叫ぶ。
奴らを近づかせぬため、木々が燃えないようにしながら、広範囲の狐火で山一つを囲うような炎の檻を作り出している。
こんな大それた術を使えるのは、彼が妖狐の中でも最高位の九尾であるからで、しかし、非常に繊細なコントロールと妖力を求められるため、長くは保たないと分かっていた。己の炎なのに、いやに心拍数が上がり、汗がにじむ。
思考が炎に向いている隙に、優秀な鴉は鬼っ娘を入り口に放り込んだらしい。
「滿盃様!女子供は皆逃げおおせました!若者や男衆も半数程ですが保護できました!我々もいきましょう!」
そうか、責務は果たせたらしい。
一息ついて、奴らの数を把握する。
相当大人数で制圧しに来ているのか、じりじりと炎陣が狭く弱くなってきているのがわかる。
これではただ力を消耗するだけだと判断した滿盃は、術を止めて一鵠のもとへ近付く。
「直に四方から山を攻めてくる。それをくれ。鍵は俺が閉める。」
「はぁ?閉める役は自分の筈です。空に逃げられる自分が最適と、貴方が言いました。」
「いぃや、だめだ。上を見ろ。」
そう言われ一鵠が上を見上げると、夕暮れで赤く染まる空に、格子状に小さな式神が張り巡らされていた。
「!」
「あいつら、俺たちを完全に殲滅したいらしいぞ。」
「……ですが、滿盃様は鍵を閉めた後どうするおつもりで?」
「鍵はばらばらにして隠しておく。事が落ち着いた後にどう行動するかは自由にしてもらっていい。俺はできる限りあいつらの相手をする。」
「数が数です。」
「いける。」
ゆっくりと、だが着実に人の気配が増えてくる。もう時間がない。顔を顰めて滿盃を見ていた一鵠だったが、己に選択肢がないと早々に理解し、納得がいかない様子で鍵を手渡す。
「ご武運を。」
ひと言置いて、烏天狗は扉の先に消えてしまった。
即座に鍵を閉め、腰に差していた大太刀で三つに切り分ける。
「特別な鍵だから、ばらばらになってもくっつく……はず。うん。いけるいける。」
狐火で隠し場所まで動かすこともできるが、妖力の痕跡で見つかっては元も子もない。白い狐の姿に変化すると、鍵をくわえて走り出した。
ようやく三つ目の鍵を隠し終わり、奴らの目を掻い潜って、時には何人か切り伏せながら神社にたどり着いた。
「自分の縄張りとはいえ、なかなか骨が折れた……。あとはここに結界を張るだけだ。あ~もう、結界術苦手なんだよなぁ。」
悪態をつきながらも、己の住処でもある小さい神社に、そこそこ強力な結界を張る。
鳥居や本殿を守れる必要最低限の大きさの結界を張り、一息ついて振り返る。
「お久しぶりです。九尾さん」
「お久しぶり。……って言ってみたけど、会ったことあったっけ。」
学徒のような服装の男達が、滿盃を取り囲んだ。先頭に立つリーダーらしき男は、他と違い質の良いコートを羽織っている。どうやら前にどこかで会ったことがあるらしいが、全く身に覚えがなかった。
よくよく見ると、男の顔には大やけどがあり、肩掛けのコートで隠れているが、右の上腕中程から下がないようだ。
「……別に覚えていなくても良いですよ。どうせもう死ぬんですから。上はあなた方のような不可思議な存在はいらないとのことです。申し訳ありませんが、新しい時代のため、犠牲になっていただきます。」
手袋をつけた手が頭上に上がり、男がパンッと手をたたく。
瞬間、囲っていた他の男達が滿盃に襲いかかる。
男達は、それぞれに武器や道具を投げつけてくる。
しかし、対する滿盃も、いつのまにか引き抜いた大太刀を軽々と振り回し、飛んでくる攻撃を紙一重で避けながら男達をなぎ倒した。
斬られるというにはあまりに重い一撃で、攻撃を受けた者達は、傷による痛みよりも、息ができない事のほうが苦しいようだ。
全然手応えがないな。そう言おうとしたとき、もう一度手を叩く音が鳴る。
パンッ――。
「だから、ここは一旦話し合いでも……ッ。……なんだ?」
先ほどと同じように攻撃を躱し、一撃を食らわせた瞬間、切りつけた一人から刀身を辿り、黒いひび割れのような紋様が腕にまで這い上がってくる。手首と肩にある金色の傷跡がその紋様に僅かに滲み、這い上がるスピードが多少落ちるが、それでも完全に止まることはなく、気づいた頃には全身に広がっていた。
全身が痛みと痺れで上手く動かなくなり、それでもなんとか、大太刀を支えに倒れるのを堪える。
(……くそ。囮作戦か!……こいつら自滅覚悟で、自分の体に呪いを付しやがった。)
己の考えの至らなさに苦い顔をしていると、コートの男が滿盃との距離を縮める。
そして、滿盃が体に鞭を打って避けようとするよりも早く、いつの間にか手袋を外した左手で、滿盃の胸心を貫いた。
「ぐ、ぅ……!?っ……。」
久しぶりに感じる強烈な痛みに、思わず声が漏れる。男の手は心の臓まで届いており、がしりとそれを握っている。
痛いどころの話ではない。息すら忘れて、脂汗が滲む顔を男に向ける。
「真っ向勝負では勝てないことは分かっていました。ですので、少々卑怯な……賢い方法を取らさせていただきました。これが我々人間の”知恵”というものです。」
遠回しに、お前らは馬鹿だと言ってくる目の前の男は、半分が焼けただれたその顔を愉悦に歪ませた。
手に仕込んでいた呪符を発動させ、トドメを刺そうとしたその時、左手がかっと熱くなった。
心の臓を貫かれ、弱っている筈の妖と目が合う。
翠の瞳の奥に、金に輝く炎が見えた。
「⁉嘘でしょう貴方……!」
胸元の傷から、瞳と同じ翡翠色の火が爆ぜた。
このままでは己の手ごと燃やされる。そう直感で分かった男は、心臓ごと左手を引き抜いた。
体と引き離されてもなおドクドクと力強く拍動する心臓を片手に、こちらから目を離さない燃ゆる狐から後退る。
恐ろしいかな、この九尾狐は本当に強いらしい。全身にまわった捕縛の呪いと、胸の中心から広がろうとする封印の呪いを、火花が散るほどの猛火で焼き消していく。常識外れの戦い方に見えるが、妖の世界では常識破りな者ほど強いのだ。
今にも襲いかからんとする手負いの獣に、男は撤退するほかなかった。
「はは……。まぁ。どうせ心臓はこちらにあるのです。幾ばくもすれば、九尾狐とてくたばるでしょう……。地獄で楽しんでくださいね。」
そう捨て台詞を吐き、その場を後にする。部下達にも生きてる者は撤退するよう声を掛けたが、返ってきたのは返事ではなく悲鳴だった。
何事かと男が部下達に目を向けると、一人残らず業火に焼かれていた。炎は翡翠から赤に変わっていたが、それでも火力は依然劣っていない。
日が暮れ、あたりが暗くなっている中、踊るような人体発火はやけに美しく見えた。
蜘蛛の巣のように、九尾の狐を中心に、鎖のような火の糸が燃え叫ぶ人間達に繋がっている。
神の御業だ。一瞬、己が見下す愚かな獣に感嘆した。
(こんな……、こんな、世の理に背くような獣(けだもの)、うじゃうじゃと存在してたまるか!)
狐の目はまだこちらを捕らえている。
「炎……鎖……、……と……月」
弱々しく、僅かに聞き取れない声で、何かをぼそりと呟いたかと思えば、爆発したかのように一直線に火柱が向かってくる。
一瞬だった。熱された風に学帽が空へ吹き飛んだ。
しかし、流石は九尾狐討伐隊のリーダーになるほどの人物だ。
瞬時に、懐から持ちうる全ての護符を目前に迫る烈火へと投げつけた。
護符は展開された後、爆発と共に火柱を沈め、うち全てが焦げ崩れた。
「っ……!……さっさとくたばれ化け物が!」
そう罵り、今度こそ男は森の中に走り去って行ってしまった。
火を鎮めた滿盃が周りを見渡すと、もはや言われなければ人だと分からないような、焦げ屑の固まりが複数転がっていた。
それらを何とはなしに見納めた後、重い足を引きずりながら境内まで移動する。
鳥居を過ぎ、結界に入った途端、ぐらり、前方に体が倒れ落ちた。
後ろには、途中に自分が吐いた血が転々と土を赤く濡らしている。
「ごふっ……。」
うつ伏せで顔を横にしたまま血を吐き出す。
このままでは、流石に自分も死ぬことは分かっている。
助けを呼ぼうにも、皆はもう逃げおおせた。
別に死ぬのは怖くない。どうでもいい。
なんでこの世にいるのかも、生きる目的も、分からないままここまできたのだ。
惰性でだらだらと生きてきたのだから、こんなふうに呆気なく一人で死ぬのも、なんだかお似合いのような気がする。
体が冷えてく感覚がむしろ新鮮で、寂しさと仄かな歓喜が混在している。
戦闘の興奮で先ほどは感じていないかった胸部の痛みが強烈に戻ってきた。
痛くて苦しい。
死ぬ心地は悪くないが、せめて最後に月が見たい。
もう夜だから、月は昇っているはず。
滿盃は腕の力を振り絞り、仰向けに転がり、なんとか黒い天井を見上げた。
「……はは。……………………さいあく。」
数刻前は綺麗な夕暮れに染まっていた空は、今ではすっかり厚い雲に覆われており、月どころか星の一つも見えなかった。
自分の血で赤く染まった唇を歪ませ、滿盃はゆっくりと瞼を閉じた。
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