ディグ・モードvol.109「ボラミー ヴィギエ(BORAMY VIGUIER)」
ボラミー ヴィギエ(BORAMY VIGUIER)は、2018年にフランス系カンボジア人デザイナーのボラミー・ヴィギエ(Boramy Viguier)が設立したパリ拠点のメンズウェア ブランド。SF映画やホラー漫画に魅了されて育った彼は、違和感のある素材を融合させることで作品に超現実主義や神秘主義の感覚をもたらし、コストと持続可能性の観点から地元で生産をおこなっている。
SF映画やホラー漫画に魅了されて育つ
ボラミーはフランスの漫画が大好きな母の影響で、幼いころから漫画家のフィリップ・ドゥルイエ(Philippe Druillet)やメビウス(Moebius)、仏SF・ホラー漫画雑誌『メタル・ユルラン(Metal Hurlant)』などに触れ、演劇や大ヒットSF映画、日本のアニメ、そして多額の予算をかけて作られたビデオ ゲームに魅了されて育った。
ファッション業界でのキャリアを目指して、セントラル セント マーチンズに入学したが、すぐに仕事するため長くは留まらず中退。ランバン(LANVIN)に就職し、メンズウェア デザインチームで4年間働いた。そこが彼にとって良い学校となったとボラミーは振り返っている。
ランバンでルカ・オッセンドライバー(Lucas Ossendrijver)と一緒に働きながら、ボラミーは自身の腕を磨きメンズウェアを刺激的で創造的かつ実用的なものにする、あらゆるディテールに焦点を当てた。その後、2018年に自身の名を冠したブランドを設立した。
違和感ある素材でシュルレアリスムが生じる
ボラミーのデザインは複雑なハイブリッド性を特徴としている。たとえばオーガンジーを使用した高品質のナイロン、ワークウェア コットンをミックスしたテクニカルなプリンス オブ ウェールズチェック、花柄のシルクで作られたミリタリー ベストのような違和感のある素材を使った作品だ。
デザイナーは素材の共通点や並べる意味についてはあまり気にせず、自然に惹かれる生地を選んでいる。さまざまな要素が混ざり合うことで、作品にシュルレアリスムと神秘主義の感覚が誕生する。それがデザイナーの気に入っている部分だ。
ブランド設立から約2年後にパンデミックとなり、ショーの計画をすべて無効にし、その代わりに服の作り方を再考することを余儀なくされた。国境が封鎖され、通常の方法で生地を購入できなかった状況で、パリにあるアトリエの床に積まれたセーターの山は、縫い合わされてベストやズボンの袖口、シャツの袖になった。
嫌な記憶や恐怖症に目を向ける
コレクションを制作するにあたり、ボラミーにとってリサーチ自体はそれほど価値がなく、それをどのように扱い、変換し、どこに取り込むかという点に価値がある。リファレンスを別のものに翻訳する独自の方法が重要であり、結局のところ誰もが良いリサーチができると彼は感じている。
「デザイナーはインスピレーションを見つけるために自分の好きなものを研究しなければならない」と言われることが多いが、ボラミーにはその逆こそが真実だ。
「もっと曖昧なもの、すなわち嫌な記憶や恐怖症に目を向けています。オカルトの言葉も好きです。それが操ったり説教するために使われるときではなく、物事が説明されず、非現実的に見えるときの文脈の観点からです」とデザイナーは「Browns」のインタビューで語っている。
彼にとって、ファスビンダー(Fassbinder)やキューブリック(Kubrick)などの才能ある映画監督や、テクノや90年代のレイブなどのテーマからインスピレーションを受けていると言うのは簡単だが、自身のビジョンを見つけて提示することは、はるかに複雑で骨の折れる作業であり、そのおかげでより興味深い結果を得られるとデザイナーは説明している。
自身を取り戻し、もっと地元で仕事をする
ボラミーは生産のほとんどをフランスでおこなっている。その理由は2つあり、1つ目は経済的な観点からだ。海外で製造したほうが安いと考えているデザイナーもいるが、旅費や輸送費などの余分なコストがかかり、さらに製造の品質を頻繁に管理できないと彼は説明する。
2つ目は、より持続可能であるという理由だ。彼は「サステナブル」という言葉が好きではないにも関わらず、倫理的にもより理にかなっているように思ったと説明している。同時に、ファッション ウィークでシーズンごとに多くのブランドがコレクションを発表するために遠征することにも疑問を呈している。
「なぜ彼らは作品を発表するためにパリに通い続けるのでしょうか?デザイナーは地元でコレクションを発表し、結果としてファッションウィークを再活性化することもできます」とボラミーは『Contributor Magazine』で語っている。
彼が自国での生産で気に入っているのは、他の地域の文化、たとえばリヨンやそこに伝わるテキスタイルについて学ぶことができる点だ。「私にとっての教訓は、自分自身を取り戻し、もっと地元で仕事をすることです。それが私が考える未来です」と彼は『i-D』で語っている。
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