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尼崎に来て、仕事を始めて半年。日差しは熱いけど風はもう秋仕様で、調子に乗って最寄りよりちょっと遠い駅に自転車で爆走してしまって、じんわり汗かいたのをほんの少し後悔した午後3時。
都会特有の課金制自転車置き場の支払い方が分からずにおじいさんにちょっと怒られたけど多分方言のせいだし、そういうことにしとくんだ。
大都会梅田に1駅でいけることに未だに感動してしまいながらも、半年前より人の流れに沿って目的地にたどり着けるようになった自分にも感動している。

2年前、カワノが世界に入る前のMCで
「人を守るというのは、その人の敵を殺すことでもなければ、その人の嫌いな奴を傷つけたり、 いじめたりすることではない。 ただ優しい言葉をかける事だったりとか、 ただそばに居てくれるだけで人というのは守ってもらえてる。誰かに。 どんなやつも。」
と言っていたのに対して、
「私はカワノに、 CRYAMY に守られてるし、こんな私も誰かを守っていれたらいいな。」
とコメントを残していて、今でもその気持ちは変わらないなとつくづく思う。

曲はいつでも"あの頃"に自分を戻してくれる。それは戻りたくなくても強制的に戻されてしまう。同じ曲を聴いて"あの頃"と同じ気持ちになった時、懐かしいと思う反面、自分はずっとあの頃のままじゃないのか、成長できていないのかもしれないと時々不安になることがある。
その時、「ああ、大人って意外と大人じゃないんだ」と思い描いていた大人像が自分自身の手で崩れ落ちていくことを感じて、またちょっと虚しくなる。

今までは自分の恋愛観に似通った曲やバンドが好きだった。それは恋愛していた自分が好きだったし、きっとそのバンドの恋愛観に寄っていっていたのもあると思う。純粋に誰かを好きで、泣きじゃくるほど好きで、依存するほど好きだったあの頃。
21になろうとしている今、私は生活に寄り添ってくれる曲やバンドが好きになった。単に出会いや恋愛から遠ざかったこともあるかもしれないけれど、人は仕事をして、ご飯を食べて、友達と遊んで、恋愛をして、それらが合わさったことが生活であり、日常であることに気づいたからだと思う。

今日はCRYAMYと時速36kmの対バンの日。
梅田に出て、開場の時間まで雑居ビルの喫茶店へ。隣のカップルの幸せそうな会話と読書をする女性から香る煙草の匂い、ずっと喋っているマスターのおばあちゃん。また素敵な居場所を見つけてしまった、と嬉しくなりながら心地いい雑音に無心で時間を待つ。
ホットケーキとクリームソーダ、いかにもな喫茶店メニューを頼んだ自分に笑いそうになりながらも、全て美味しく頂き、680円という破格の値段に有り難さを感じながら、ドリンク代のために500円玉を手にするべく1230円を払い、会場へと向かう。

整理番号は119番。あまり良くはない。高校生の私ならいつでも1階スタンディングにくい込んで居ただろうけど、私ももう21だ。お酒を嗜みながら見るライブは後列でも構わないと思っていた。
ドリンクはコップかペットボトル。フロアに行くならペットボトルだけど、私の大好きなジンジャーハイがあるのはコップ。フロアへの希望をまだ捨てきれていない自分の子供さを感じながらも、私は大人だ、と言い聞かせジンジャーハイを手にいざ会場内へ。
入ってみるとまだまだ1階は1列目しか埋まっておらず、「え、それは行くしかないやん」と思いながら下手側2列目へ。コップのドリンクを頼んでおきながらも、まだ1階前列が空いてるのに2階、3階へと階段を上る大人にはなりきれていなかったみたいだ。
久しぶりのライブ、嗜むアルコール、いつもより心拍数が上がっているのはどっちのせいなのか。少し暑くなる顔とMr.ChildrenのBGM、もうこの空間だけで満足だった。

ライブの感想を書くのはあまり得意ではなくて、単に全力でその瞬間を噛み締めていて記憶にないことが多い。本当は覚えておきたいのにね。

今日の始まりは時速から。
337拍子と聞こえた瞬間、全身に電気が走るように鳥肌が立った。ああやっぱり私が来たいと思える場所はライブハウスなんだとも思った。
時速は国試前によく聴いていて、1曲1曲過ぎていく度に、その曲を聴いていた時の風景が目に浮かんだ。寒い朝、自転車を漕ぎながら学校に向かっていたこと、朝日が川に反射して眩しかったこと、手がかじかんで上手く鍵がかけれなかったこと、得体もしれない不安を通学時間だけは忘れようと時速を流していたこと。たった半年前の事なのに、すごく昔にも感じたし、脳裏に浮かぶこの風景たちはあまりにも鮮明でまた地元に帰りたくもなってしまった。
心做しか慎之介さんとよく目があった気がして、何か見透かされてそうと勝手に恥ずかしくなったり、それでも優しい眼差しに釘付けになっていた。優しさって案外難しいものじゃないかもね、私もそう思えた。

後半はCRYAMY。
ローディーがいないから自分たちで調整する姿はまだ始まってもいないのに目が離せなかった。セトリは1曲を除いてランダムで、何が来るのだろうととてもドキドキしていた。easilyが来た時は、私のためのセットリストかと思ってキリスト信者ではないけど神様に感謝し忠順を誓った。
新居「GOOD LUCK HUMAN」前のMCは、文字で残すより曲がリリースされた時にでも思い返す方がいいのかな、なんて思ったりもする。大事すぎると容易に私の解釈を語れないし、脚色した言葉にしたくない。ただ、これまでと今のCRYAMYが好きで聴き続けているけれどバンドの在り方や考え方が180度変わっても、それを音楽家として伝えてくれたら私はいつでもCRYAMYと共に生きていきたいと思う。

CRYAMYは私にとって強く生きる為の盾となっている。CRYAMYは他者を傷つけずとも自分を強くさせてくれる。鋭い言葉は誰かを刺す為じゃなくて、自分の痛いところにだけ刺さって傷を治す力が私のバネとなる様なバンドだ。
時速は私の怠惰な生活を許してくれる電車の揺れのよう。寄り添って心地いい揺れの時もあれば、このままでいいのかと迷った時、時に激しく揺れ、目を覚ませとでも言われてる気分になる。

このライブにアンコールはなし。
全てが終わってライブハウスを後にする。心地いい耳鳴りがいつ無くなってしまうのだろう、なくなってくれるだろう、仕事までには消えていないとな、やっぱり私はもういつもの生活へと戻っている。
ライブハウスだけが非日常で、でも得た感情や伝わった想いだけは日常へと受け継がれていく。だからまたライブハウスへ足を運ぶ。そしてまた生活へ戻る。そしてまた。

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