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Nepalエベレスト街道を歩く jeep

2023.10.6-10.7

深夜0時に起床し、1時に宿をチェックアウトした。
ミニバスの停留地まで歩いて向かったが、深夜のKatmanduは案外賑わっていた。クラブ帰りのミニスカ女子がいた。あと野良犬が沢山いて、すこし怖かった。街ゆくバイクや車は赤と青のネパリカラーで派手に装飾されていて、異国の情緒を感じた。

バイクのフロントにカラフルなタルチョ
ロープだけで本当に落ちんのやろか…

荷物はミニバスの上に積み上げロープで縛られる。人もギュギュッと押し込まれRamechhap空港に向かう。結構飛ばしているのと、田舎になるにつれて道が整備されていないため上下左右に大きく揺られる。多分、読んでくださっている方が想像する3倍は揺れたと思う。笑
最初はびっくりしていたものの、これが案外眠れるもので首を激しく揺らしながらも空港に着くまでよく寝た。笑

行き道は、イヤホンでハンバートハンバートを聴きながら。なぜならNepalに誘われなければ、わたしは10月8日に大阪音楽堂で行われるハンバートハンバートのライブに行く予定だったから。二頭追う者は一頭も得ず。私はNepalを得た。
それでも、ハンバートに後ろ髪を引かれ、異国の地でSpotifyを開く。夜に聴くフォークデュオは、しっぽりとした旅の始まりにぴったりだった。


何度目かに目が覚めるとあたりが白んできていた。ひらけた山の道の中にピンクや黄色などカラフルな建物がちらほら見えはじめた。日本の山の感覚で、数センチ目線をあげたけど、中々てっぺんが見えない。山の大きさにびっくりしていると、隣のMonicaも目を醒ました。少しするとミニバスはRamechhap空港に到着した。

Ramechhap Airport

空港はたくさんの人で溢れていた。飛行機はもう3日程まともに飛んでいなかったらしい。本日のフライトは一昨日、昨日のキャンセル待ちの人が優先になる。

空港で日本人の方とも出会った。京都から男性3人で来ているそう。渡航期間は私たちと1日ずれ程度だった。
ルクラ〜ナムチェ〜EBC(エベレストベースキャンプ)をピストンするとのこと。
当初の予定では昨日のフライトだったそうで、悪天候のため昨日は1便しか飛ばなかったのでツアー会社に依頼して、本日の朝一番のフライトを取り直してもらったとのこと。

フライト待ち
成田で手に入れたmini UNO
Mayuも偶然持ってきていた「凍」

フライト待ちの間は成田空港のガチャポンで手に入れた「mini UNO」などしながら数時間過ごしたが、一向に飛ぶ気配がない(昼前になっても今日一便も飛んでいない)。
痺れを切らしたMonicaが周囲に情報収集を始めた。飛行機が飛ぶのは晴れていても大体朝から14時頃まで。到着先Luklaのテンジン・ヒラリー空港も今日は悪天候だという。この話と、本日の曇り空を見て「今日はちょっと厳しいな…」と感じた。

他のtouristの中では、どうやらjeepに乗り合わせでLuklaの近くまで向かうという話が出ているらしかった。渡航前に調べたが陸路で行くには2、3日程余分に時間がかかるらしかった。それでも、いつ飛ぶかわからない飛行機をここでただじっと待つよりは…と私たちはjeepに乗り込み、Luklaに向かうことにした。

14時ごろRamechhap空港を出発し、1日目はPhaplu空港付近まで向かい宿に泊まった。

出発!

2日目は朝から再びjeepで出発し、昼過ぎにBupsaまで到着した。
jeepはおそらく6人乗りのところを、8人とその人数分の荷物を乗せて走ったのでミニバスよりも更にぎゅうぎゅう詰めだった。途中から何故か人が増えて、最後は荷台に乗ることになった(荷台すら4人…)。

8人乗ってた
ぎゅうぎゅう
ここから更に2人くらい増えた

着いたのはLuklaより結構下で、予定よりトレックの距離は増えてしまったし、jeepの運転手の言っていることは次々変わって無茶苦茶だったし、ひどく揺られて疲れたし。
こんなの日本ではありえない…と思ったけれど、
この泥臭さが今自分がバックパッカーであることの証な気がして、とてもワクワクした。

Monica Okome Mayu
なんか、バックパッカーぽいやん!



この場所Bupsaから、
飛行機やjeepに頼らずに自分たちの足で歩くHimalaya trekkingが始まった。

Bupsa
The beginning of the trek

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