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たとえ、うまく喋れなくても ──東京都現代美術館「翻訳できないわたしの言葉」
私から出てくる言葉は、どれも非常にゆっくりである。
会話のラリーにおいて何より早さこそが正義とされる関西に生を受けながら、私は些か、のびやかに育った。
何かに応答するたびに、いま考えていることの全てを言い表すことができているかという緊張が全身を巡っては、どもる。いつだって、その「こぼれ落ちるかもしれない」言葉の断片に執着してしまう。
生まれや育ちの前提を抜きにして私は、私の持つ言葉をなかなかど
パラパラなチャーハンをつくる
パラパラのチャーハンを作りたい。
炊き立てアツアツのお米を使うのではなく、冷やご飯を水洗いしてからざるで水を切って、そこから炒めるとどうやらパラパラになるらしい。いつもその加減がよくわからなくて、これが正解のチャーハンか?と思いながら食べることになり、鍋肌に醤油を回し入れる行程で焦げついたフライパンをがしがしと洗う羽目になる。
パラパラのチャーハンは難しいが、それでも私たちはパラパラのチャーハ
いびつな並列のために
私は、現行の法整備では意中の人と制度的な婚姻関係を結ぶことが叶わない。今後の人生において、事実上の配偶者と遺産を分配することも、病院で相手の死に目に立ち会うことも、養子を迎えることも叶わない。異性婚ならすんなり手に入れられる自由や権利を、私たちはなぜか戦いとらねばならない。愛する人と二人でいるための理由に大層な肩書きは要らないが、性急な用事を目前にして社会的なハシゴを外されるようなことがあっては
もっとみるあわや、皿の塔に卒倒
ショッピングモールに並ぶ衣類の山を見ては吐き気を催すようになった。白物家電が並ぶ家電量販店の情報の多さにも耐えられない。「省スペースを叶える」「春に備えた」「今より少し便利な」雑貨の数々、消費のために踊る謳い文句たち。それがどうしたのだろう。流通の波に乗るべく規格化された「商いのための品」が嫌いになって、もうすぐ一年が経つ。
何かを新調することや新しくものを生み出すこと、例えばスニーカーをひとつ
豊島美術館をチョコレートで作る
はじめに私たちの生活はあらゆる社会基盤、いわばインフラストラクチャーにアクセスすることで成立している。蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押せば電気がつく。amazonで注文した商品は翌日手元に届き、ゴミ置き場に出したごみは定期的に回収され見えなくなる。建築の壁を挟んで、こちらと向こう。ブラックボックスとなったその入力と出力に、私たちは曖昧なままでいる。大元が寸断されることで機能不全に陥る社会システ
もっとみる乳首のプレゼンをした話
昨年あるコンペで賞をいただくことができた。8分間のプレゼンを経て。
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何の気なしに応募したコンペの事務局から電話があったのは、8月も終わろうとしていた頃。クーラーが少し効き始めた部屋で朝ごはんを食べていた時のことだった。
「あなたの応募した(作品名)が一次選考を通過しました。2次審査に向け8分間のプレゼンをご準備ください。」
衝撃だった。通ったということよりも、途方もなくぶ厚すぎる二次審査の
自己肯定感を上げる話
年明けからこんなことを言うのもなんだけど、僕はかなりダメダメな方だ。なんというか、人間生活全般において。
アルバイトは続かないし、人とはうまく喋れない。部屋が散らかっている。機転が利かない。人参とかもできるならあんまり食べたくない。自分のだめなところなんて挙げはじめたらキリがなくて、今だって年末から始めたうどん屋のバイトを辞める口実を考えている。根気がなさすぎる。だって向いてないんだもん