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今日はよしよし
お疲れ様です、頑張ってるね、無理しないでね、ありがとう。
なんとなく関係性が遠い人にはこういう言葉がかけられるのに、関係が近ければ近いほど、
そして自分にたいしてなんて尚更こういう言葉をかけ忘れてしまう。
それをするのが恥ずかしいことだと思ってしまう。
これは日本人特有かもしれない。
「祈るほど頭を垂れる稲穂かな」
こんな言葉がある。
人に対して謙虚でいなさいという意味だけど、私も含めそれを
「自分の価値を下げなさい」と、勝手に変換してしまっていた気がする。
自分を低く見積もったり、周りにそう振る舞うのと、謙虚でいることは全然違うよ。
じゃあ謙虚でいることって一体どんなことなんだろうか?
私はその一つは客観的にものごとをみることだと思う。
自分のこと、家族のこと、大事な人たちのことを少し俯瞰してみること。
そしてもう一つは尊重することだと思う。
人や生き物にはそれぞれに違いがあって、同じ人物だってその時々で変わったりもする。
その一つ一つをありのままに受け入れることが尊重だと思う。
だから、謙虚でいることは人に対してだけではなく、自分に対してもそうあるべきなんだ。
「祈るほど頭を垂れる稲穂かな」
一生懸命祈っている人は頭が自然と下がってきてその姿にその人の神様への信頼が現れていく、いい言葉だと思う。
でも現代だとちょっと情景が浮かびづらくて勘違いされることも多いよね。
「受けとめるほど互いの水で満ちてゆく」
私はこう訳してみようかな。
今日はいつもより私のお皿の水がたまった気がしているので、よしよしっていいたいと思います。
湖