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活字のこと


こんにちは、広野です。

今日は蒸し暑いですね。11時過ぎに30度を超したので、すぐエアコンを点けました。
熱中症になっちゃうからね。みなさんお気をつけくださいね。

今日はりんりんのせいで6時に起こされたんです。朝っぱらからお笑い番組を見ていて高笑いで起きました。りんりんは夜通し酒を飲みながらお笑い番組を見ていたようです。
「うるさい!!!!」と一蹴したら、ごめん、も言わず、しゅんとしたのに、10分後にまた高笑いが。脳ミソ入ってんのか、お前。

まあ、なーんにも用事ないんでね。
6時に起こされたからって無問題です。もう怒ってないです。

りんりんは7時には就寝しましたが、広野は二度寝できず、そのまま起きました。
久しぶりの早起きです。

朝からうどんを食べました。乾麺だけど、2束分。
久しぶりにお腹へってたからいっぱい食べちゃった。

そうしたら、なんか結構満足して気分が良くなったので、久しぶりに本を読もうかなと。
午前中に本を読むのすごく久しぶり。
すごく、朝って感じがして良かった。

実は広野が本を読むようになったのは、社会人に入ってからです。
学生、特に高校生までは漫画を読むのも苦手なぐらい活字が読めませんでした。
それでも国語の成績は基本的に満点。現代文も漢字も得意だったんです。

「なんで活字が苦手だったのか」を考えてみたんですが、思い起こしてもピンとくる要因がなかった。別に本は嫌いじゃなかったし。けど、やんわりこれではないか、と思ったので少し書きます。

母は、昔から読み聞かせも絵本も買ってくれた。だから絵本が大好きだったんですけど、児童文学にまで至らなかった。
私はド田舎の出身で、小学校の全校生徒が常に120人くらいだった。教室はたくさんあったのに図書室は小さかった。普通教室の半分ぐらいだったし、12畳くらい?のワンルームだった。壁側に2メートルくらいの本棚があり、びっしり本が並んでました。真ん中には4人がけの机が2つくっつけてあって、そこに本貸出簿がバインダーに挟んで投げてあったな。
当時、生徒が本を読まないことが校内でかなり問題視されていたことは覚えてる。

第一、田舎の小学生の遊び方のメインは、ドッジボールか縄跳び。放課後は帰ってポケモンがデフォルト。特に小学校2年生の時に「ポケットモンスター金・銀」が発売され、ポケモンに費やした時間は本当に長かった。
それに自然がすごく豊かだったこともあり、基本的には川や山でアドベンチャーする。
屋外に誘惑が多かった小学時代を過ごした影響もあり、「教室は勉強するところ、なるべく屋外に出たい!」というのが基本精神だった。

小学校の頃に人気だった本は、『解決ゾロリシリーズ』、『ミッケ!シリーズ』、『こまったさん、わかったさんシリーズ』、『マヤイシリーズ』とかだった。挿絵が多い本は、それでも読まれていたっけ。

例外で『ハリーポッターシリーズ』はめちゃくちゃ人気だった。唯一貸出予約があった。まあ、映画が大流行でしたからね。わたしも「炎のゴブレット」を映画館で観て、(長くて一回トイレ行っちゃったけど)めちゃくちゃ興奮した。懐かしいな~。

ド田舎小学生の活字離れはかなり深刻だったので、高学年の時、先生たちが図書対策として、「昼休みに外へ行く前に図書室へ行って、本を1冊借りなければならない」という謎ルールを作った。
朝の読書タイム(毎日15分くらいだった)の為の本を借りようという名目だったけど、20人くらいがワンルームに集まるので、借りたい本は人が群がるから借りられないし、ゆっくり本を選ぶこともできない。めっちゃ無駄な時間だったな。

図書室の開放時間が短かったのも悪かったと思うな。だって、10分の休憩時間に図書室行けないもん。その10分の間に次の授業の支度をしたり、トイレに行ったり、水分補給をしたりしないといけない。ましてや移動教室が多かった小学生は、図書室いけません。

しかも、広野の小学校は2棟建てだったんですけど、図書室は北側の校舎の3階。基本的に北校舎は特別教室や保健室、職員室、校長室とかで、2階には5年生の教室、3階には6年生の教室しかない。南校舎は窓の外がすぐグラウンドだったからついついお外を見ちゃうよね。連絡通路は2階のみ。用事がない限り北校舎に行く機会は少なかった。
今まで、本を読んでこなかった子どもたちが5、6年生になったからって急に図書室に行くようになってりしませんから。
しかも図書室の隣が音楽室だったから広野は音楽室にばかり遊びに行っていた。
普段あまり触れないマリンバやグランドピアノ、ウィンドチャイムを好き勝手にできる!
本より遥かに楽しかった。
活字は興味がないとやっぱり読めない。「なんだろう、気になる」や「読みたい」って言う気持ちがないと読み進めることができない。しかも繰り返し読んで習慣化されないと活字を読み続けることはできない、と大人になって強く感じる。

環境のせいにするのは、ちょっと責任転嫁が過ぎるかなと思うけど、もっと本をたくさん読んでいたらよかったとは思う。

本を読むのってエネルギーと時間が要る。
今、たくさん本を読みたくても眼精疲労や酩酊に負けて読み続けられないこともある。

もっと若い頃に能動的に本を読むことが出来ていたら、速読みすることもできていたかもしれないし、読める本のジャンルも広がったかもしれない。
ちょっと惜しいことをしたな、と思うけど後の祭り。
茶畑で茶の実を磨り潰したり、山を駆け回ったりするのも楽しかったから良しとしよう。

私が活字を能動的に読めるようになったのは大学時代から。
文学部に入ってしまったので荒治療でした。
でも、専門書ってすごく面白い。気の強そうな研究者の突拍子もない話、「なるほど」って思ったり「いや、それはちょっと言いすぎでしょ」って笑ったりした。それが活字を読むキッカケになった。ありがたい。

社会人になってからは、ムーミン読んだり酒の書籍読んだり旅行譚読んだり有名建築の本を読んだりギリシャ神話読んだり吉本ばなな読んだり林真理子読んだり。
正直、買って読まない本も多い。本を買うっていう体験が好きだと思う。
しかも読んだ本は手放したくないものが多いから本棚はパンパン。

最近はメンタルコントロールの精度強化の為に哲学を読んでみている。
まだまだ全然わからないけど、なんとなく自分の体験に当てはめて、読み崩している。
すごくエネルギーが要るのでなかなか進まないけど、読んでいてすごく楽しい。
もっとわかるようになりたいし、自分で哲学を推論できるようになりたい。

哲学関係ないけど、今朝は、はらだ有彩さんの『日本のやばい女の子』を読んだ。
1年くらい前に買ったけど、あんまり読めてなかった。りんりんに苛立ったこともあり、女だって負けてないぞと謎の対抗心が湧き、思い出して読んだ。

はらだ有彩さんの感じている女の子の自由性や自立性がすごくしっかりしていて、自分はいかに他者に無関心に生きているのかを突きつけられた。
はらださんが登場する女の子たちの行動一つ一つに細かく言及し、女の子の心情を掬い上げていて、単純にすごいなと感嘆したし、自分に劣等感を感じた。
もっと人のことを見つめて生きていたら、私はどう変わるのかな。
あと、はらださんは、気の知れた友だちが確実にいて、みんな礼儀がしっかりとしている良い方なんだろうとも思った。
まだ半分も読めてないから、じっくり読もう。自己嫌悪に潰されない程度に。

まだあまり読んでないジャンルの本も多い。私は、小説ってあまり読まないけど、読み始めたらハマるのかなぁ。サスペンスとか好きそう。

本当は、洋書も読めるようになりたいし、漢詩や歌、古典文学も理解できるようになりたい。そのための知識がまだなくて、読み進めるための気力が今はなくて、なかなかスタートを切れないけれど、それでも読んでみたいという好奇心はしっかりある。

活字が読めるようになって良かった。
これからも、活字が嫌いにならないように自分のペースで自分の為に本を読もう。


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