名前の存在
最近感じていることが
それは[名前]の在り方、です
勿論自分という存在を表明するためにあるのも間違っていないです。「○○ ○○です」って挨拶するため、まぁなんでも。一応存在はしている名前
その名前って私の中では第1段階で[呼ばれないと意味が無い]って思ってます。勿論違うという意見もあると思いますが。ニックネームでも良いんです名前から1部を抜粋してそれで呼ぶ、というのも
ただ、最近私自身感じたのが「そういえば名前呼ばれてないな…」って事です。だいたい一緒にいる、というより時間共有が長いのはだいたいの人が*家族だと思うんです。私もそうですから。ただ、その*家族で私の家の場合父親は仕事で話す事がそもそもない母親は話し掛けるなオーラを醸し出し話を掛けても「うん」「そう」「へえ」とかなんです。話しても全然楽しくない。
(*家族という表現をしているのは私には兄弟という存在はいないからです。いる方が見ている事もあるので[両親・親]ではなく[家族]という表現にしています)
それで向こうから話しかけてきた時の私の呼ばれ方を注意しながら聞いてたんですよ、気になったので。そしたら父親は「ハル」でした名前から抜粋した本当に無難に呼びやすいニックネームですよね。母親は「ねぇ」「あんた」極たまに「ハル」だったんです
聞いてて思ったのは「名付け親の貴方が何故名前を呼ばぬか」です。本当に残念とショックと呆れとそりゃもう色々と感じました。その場は気にしてないフリしましたけどね。本人たぶんその事に気付いてませんね
会話の例で毎回起こるのは。父親の前での会話で、母親「ねぇ○○食べる?」私「どっち(父親と私)に聞いてるの?」母親「あんた」私「(ニックネームでも良いから名前で呼べや…)いらなーい」母親「無言」
これ本当にいつもなんです。言い直させるのも面倒になってしまって「名前もしくはハルで呼んでよ!」とか自分で言うのも気持ち悪いし。という循環の末に何も伝えてないです
そういう流れもあってタイトルの様な[名前の存在]とは?と感じをずっと考えていました
何か書類や書面、領収書、診察、確認、等で自分である事を証明する為に記入したり発言したり提示したりするのに自分、というのを表示出来るのは本当に有難い話しなのですが、また別の問題です私の中では
それだけ、その為だけの為に貰った名前じゃないんだから、と。何か書いてて涙腺が危なくなってきてますが…笑
最近は親と一緒にいることや話す事に少し苦痛、苦労を感じます。喧嘩した訳ではありません。私から何か起こしても反応が薄いからです、向こうから話しかけてきたらニコニコしながら返します。顔色を無意識に伺っているんです親に対して。家族相手でおかしな話しですよね。きっと
名前があってとても助かることには変わりありません。とても助かっています。自分を表現するツールでもありますし表明するツールでもありますし「本人ですね」と認識してもらえますから。ですがそれ以前の話で私には名前があるのだから日常的に呼ぶ時は他の人が反応出来るような「あんた」「ねぇ」ではなくちゃんと[名前]で呼んで私を言う人間を呼んでいる呼んでくれている、ということを認識したいです。最低限の…コミュニケーションだと思っています
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