クリヒ@Twitter連携
煙となる
過激っぽくネタに仕上げる。
好きな色を集める?ハッシュタグでマガジン追加のが良いかも?しかし拾い上げられなさそう感ぱない(傲慢)
吐き置く
決まらない恥ずかしい手探り
つぶやきの投稿
毎日好きな時間に世界旅行しているだけの情報をインプット していると思う。vrを待たずしてインターネットの時点でそうだった。バーチャルの本質性に向きあう度に想起される。引け目を連れて。
映画一本に纏まったバンド版あの花「空の青さを知る人よ」良かった。
目的見失ったときの末路。
「懐柔しようとするタイプのクズ」が私の中に居て、コミュニケーションや思考の主導権を取りにくる。そんな自分を嫌うあまりに、コミュニケーションしたくない。
私達はいや僕は私は、荒ぶるあれこれに「鎮まり給え」と祈るだけしかできない。
孤独なマイン精神を崩壊させるには、サプリメントを取り上げればいい。簡単! 不足を誤魔化したり、いざというとき支える存在を置かない。
「なんかいい感じに釣り合って旨味なポイントで生きたい」と欲望はミーにささやくのだけど、直感が理性に「それはバカの海に飛び込むことやからな」と訴えかける。口だけで、ヘタレな私は動けない。
夜は決断力下がって諦めきれない→朝がいいかも (朝)決断材料ないので行動や反応貰わないと無理→今ここ
諦めなくていいと思う
これから起きて眠る間に1つずつ諦めていくと、あと何個諦められるかな 30年後に1000個……60年でも2000個だって、たんねぇな(笑)
noteは甘えを許さない。ハッシュタグ付けずに、SNS拡散せずに「だれか見つけてくれるだろう」やつに“人権”はない。ソーシャルネット発達前の放牧的な風通しの良いインターネットはもうない。 ここにあるよく出来たプラットフォームは、再構築された現実。また、YouTubeの仲間。
マガジン管理も“努力”だこれ。言葉にするの難しい意味で。生ものの一種……noteが生っぽさの強い「書き捨て」ならば、マガジンも「捨て刊行」の様相。投棄された今(当時)を残す空気感み。
“”Twitterはサポートされなくなりました”“
ボロボロ泣いた(感情漏出)。 ずるいよなぁ最終話さすがっす。 どうしようもなく今を生きている本文はないです
PSYCHO-PASS劇場版(?)の2つ目超ちょうえがったぁ