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形に残るもの、心に残るもの、記憶に残るもの、この世界に残るもの。

いつか、私もこんなふうに自分の本を出したいなぁ。

子どもの頃、暇さえあれば通っていた近所の本屋さん。エッセイと文庫小説コーナーがお気に入りで、端からザーッとタイトルを見ていき、気になった本を手に取る。
表紙のデザイン、裏表紙に書かれたあらすじ、目次、1ページ目の書き出し。そこで、ビビッとくるものを、少ないお小遣いで買っていた。ボロボロになっても、手元に残しておきたい本は、いつまでも本棚に置いてある。

遠くに出かける時、いつもより小さめのバッグでもすっぽり入る文庫サイズ。電車の中で、喫茶店のランプの下で、海辺のベンチで、石段を登った先にあるレストランで、読み返しすぎて特定のページがパカッと開いてしまう本を開く。

紙の本が好きだ。
お気に入りの本は、まるでお守りのように、いつでもどこでも私を"あの頃の自分"に戻してくれる。
カラフルな付箋と蛍光ペンで浮き出た言葉たちに、初めて出会った時の心の震えを、幾度となく蘇られせてくれる。
そんな読書体験を子どもの頃から行えていた私は、本当に幸せ者だ。

そして、思う。
いつか私も、誰かのお守りになれるような、いつまでも心に残り続けるような本を作りたい。
デジタルにはデジタルの利点があることは承知の上で、やはり紙のように実際に触れるもの、物体として存在するものを残したい。

一生ものの夢…なんだろうなぁ。

* * *

先日、オンラインコミュニティの集まりで知り合った男の子とお話ししていたとき、彼がこんなことを言っていた。

「ブログってすごいですよね。自分が死んだ後も生きた証がずっと残り続けるんですよ?」

生きた証。形に残るもの。この世界に残るもの。
分かる、そうだよね、素敵だよねぇ。
首がもげそうなほど頷いて、みんな、心のどこかで自分が生きていた時間が確かに存在したことを残したいと思ってるのかな…と感じた出来事だった。

そのブログが人気になって、本になって、書店に並ぶ。
彼がそこまで求めていたかどうかは分からなかったけれど、紙に憧れる私は、どうしてもその妄想をせずにはいられなかった。

これは、エゴなのか。
いや、エゴでもいいか。

もし、"本を出したい"という衝動が作者のエゴから生まれた願望だったとしても、その本に救われる読者がきっといるはずだと信じて。

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