名無し

自分本位のみっともない文章しか書けませんが、それでも読んでくださる方、ありがとうござい…

名無し

自分本位のみっともない文章しか書けませんが、それでも読んでくださる方、ありがとうございます。不器用ながらも文字を大切にして生きたいです。

記事一覧

よく、“他人は変えられない”という言葉を目にしますが、私は他者は変えられると考えています。
むしろ、出会ってきた人の言葉によって自分が形成されてきたのだなと、自分を振り返ってみて思いました。
他人は変えられないのではなく、変わったとしても、“思うようには”変わらないだけなのかなと

名無し
4年前
2

自分のあり方や考え方は他者には関係ない。
だから決して評価されたり干渉されるようなものではない。自分もしてはいけない。

名無し
4年前
2

自分の見てる世界がそうなだけなのかな…最近は、何でもかんでも性差別だのフェミだの男の辛さだのとは全く関連性のないツイートをもネタにして必ずどこかで性議論が湧いているような。
一つ一つの発言が一瞬で性差別のネタにされてるように感じるTwitter。違いを認められない世界は大変だ。

名無し
4年前

ゴミの吐き溜

死ぬために生まれてきたのならなんで自ら死を選んではいけないの? 死ぬために生まれたわけじゃない?生まれるのに理由なんてない?生まれてきた意味を探すのが人生? 宗…

名無し
4年前
11

自分が積み上げてしまった後悔ばかりの人生、せめて最後は自分の手で処理したい

名無し
4年前
1

新しい時計を買いました

名無し
4年前
4

いじめについての記事を書いているのだが、記事とはあまり関係のないところでふと思ったことがある。
“加害に直接関与していなくとも、被害者を守らなかった外野も同罪だ”と何度か耳にした覚えがある。
明日は我が身の殺伐とした環境を見た事があるのだろうか?自分の周りにはなかったのだろうか?

名無し
4年前
1

note書こうとすると半日潰れる

名無し
4年前
1

彼は別れる時に告げた。

「好きだけじゃやっていけないんだよ、」

無意識に放っていたであろう傷つくような言葉の数々を、自分の中の好きという気持ちがそれを許し、笑って受け流してきた。傷つく度に絆創膏を貼って修復してきた心を、最後は全て否定されて終わったように感じた。

名無し
4年前
3

LINEでの人間関係は増えるけれど深まりづらい

今や、メッセージを送るのに欠かせないアプリ、LINE。 私たちはいつからか、あの長ったらしいメールアドレスをがんばってアドレス帳に打ち込むことなく、友達とやり取りが…

名無し
4年前
5

下書きに書いていたものを進めてきたのだけれど、なんだか自分が書きたかったものと違う文章ができあがる。自分中心の文章が出来上がる。自分の積み上げてきた記憶を言葉で表現できるようになれば、少しは自分が書きたい理想の文章に近づけるのかな。

名無し
4年前
1

あなたの周りが心ない敵だらけでも。

もしも貴方の友達が悪いことをして、世の中や社会的に批判をあびせられるような存在になってしまったら。 貴方は、その人の味方であり続けられますか? それとも、 悪い…

名無し
4年前
10

noteを始めたきっかけ(長い)

元々、人のnoteを見るのが好きだった。 けれども最初は自分が書くのに利用するなんて全く考えなかったし、気になる記事を掻い摘んで見に来ることが多かった。そんな今では…

名無し
4年前
7

毎日悪夢で目を覚ます。朝昼が辛くなってからは夜を迎えるまで横たわることしかできないゴミ人間になりさがってしまった。けれど夜になると“明日は前みたいに好きだったお化粧したいな”とか“あそこに行きたいな”とか思いながら資格の勉強をしている。そしてまた夢にうなされて絶望の朝がやってくる

名無し
4年前
4

自分の道徳観(地雷)、他人のモラル(地雷)、社会のルール(地雷)

何もかも悪いことは法律で禁止されてくれればいいのに。社会的にしてはいけないこと(ルール)、モラルに反すること、マナー、道徳。今回は道徳寄りの話かもしれない。 SNS…

名無し
4年前
6

よく信頼関係とか人間関係をお皿とか花瓶に例える人がいるけれど。割れる、壊す以外に変化することのない無機物として関係性を表現してることになるのだけれど。じゃあどうやって信頼は生まれたの?相手との間に突然お皿が急に生まれたの?今思えばすごく都合のいい解釈だなと感じる。

名無し
4年前
2

よく、“他人は変えられない”という言葉を目にしますが、私は他者は変えられると考えています。 むしろ、出会ってきた人の言葉によって自分が形成されてきたのだなと、自分を振り返ってみて思いました。 他人は変えられないのではなく、変わったとしても、“思うようには”変わらないだけなのかなと

自分のあり方や考え方は他者には関係ない。 だから決して評価されたり干渉されるようなものではない。自分もしてはいけない。

自分の見てる世界がそうなだけなのかな…最近は、何でもかんでも性差別だのフェミだの男の辛さだのとは全く関連性のないツイートをもネタにして必ずどこかで性議論が湧いているような。 一つ一つの発言が一瞬で性差別のネタにされてるように感じるTwitter。違いを認められない世界は大変だ。

ゴミの吐き溜

死ぬために生まれてきたのならなんで自ら死を選んではいけないの? 死ぬために生まれたわけじゃない?生まれるのに理由なんてない?生まれてきた意味を探すのが人生? 宗教なんて人間が作った都合のいいものはどうでもいいよ 自殺した人は自殺する直前に生まれたきた意味に回答を得たんじゃないの? ずっとずっと考えて生きて、 あぁ私は今この死ぬ瞬間の為に生きてきたって。 死にたくないって思っても、そこで自分自身の役割を見出して、悟って。 生命の終点が死だっていうのは、例外なんてな

自分が積み上げてしまった後悔ばかりの人生、せめて最後は自分の手で処理したい

新しい時計を買いました

いじめについての記事を書いているのだが、記事とはあまり関係のないところでふと思ったことがある。 “加害に直接関与していなくとも、被害者を守らなかった外野も同罪だ”と何度か耳にした覚えがある。 明日は我が身の殺伐とした環境を見た事があるのだろうか?自分の周りにはなかったのだろうか?

note書こうとすると半日潰れる

彼は別れる時に告げた。 「好きだけじゃやっていけないんだよ、」 無意識に放っていたであろう傷つくような言葉の数々を、自分の中の好きという気持ちがそれを許し、笑って受け流してきた。傷つく度に絆創膏を貼って修復してきた心を、最後は全て否定されて終わったように感じた。

LINEでの人間関係は増えるけれど深まりづらい

今や、メッセージを送るのに欠かせないアプリ、LINE。 私たちはいつからか、あの長ったらしいメールアドレスをがんばってアドレス帳に打ち込むことなく、友達とやり取りができるようになった。 インターネット社会においては、リア友とも、そしてオンライン上で親睦を深めた友達ともメッセージでのやり取りが気軽にできるのかが当たり前の姿である。 *** 私がLINEを知ったのは高校生の頃だ。けれど、スマートフォンではなくガラケーだった為、利用するなんてことは考えたこともなかった。そん

下書きに書いていたものを進めてきたのだけれど、なんだか自分が書きたかったものと違う文章ができあがる。自分中心の文章が出来上がる。自分の積み上げてきた記憶を言葉で表現できるようになれば、少しは自分が書きたい理想の文章に近づけるのかな。

あなたの周りが心ない敵だらけでも。

もしも貴方の友達が悪いことをして、世の中や社会的に批判をあびせられるような存在になってしまったら。 貴方は、その人の味方であり続けられますか? それとも、 悪いことをしたのだからと、直ぐに関係を絶ちますか? この質問は、自分の信念や、今まで生きてきた環境の中で培われた考え方で答えは変わってくるのだろう。 私はどちらかというと、それが友人であっても、職場の人間であっても、自分の好きな人なら極力前者の立場でありたいと思う。 好きな人、と書いたのは、交流を持ったことのな

noteを始めたきっかけ(長い)

元々、人のnoteを見るのが好きだった。 けれども最初は自分が書くのに利用するなんて全く考えなかったし、気になる記事を掻い摘んで見に来ることが多かった。そんな今ではTwitterを休止して、真っ先にnoteの記事を漁る日々である。 本格的に始めたきっかけは今まで出した記事の中にも何度か登場しているが恋人との別れである。私の人間関係は、非常に幅狭い。故に長くお付き合いをしながらのんびりと良くも悪くも相手を知ってければなんて考えていた。色々あり別れた後、自分がいつの間にか依存

毎日悪夢で目を覚ます。朝昼が辛くなってからは夜を迎えるまで横たわることしかできないゴミ人間になりさがってしまった。けれど夜になると“明日は前みたいに好きだったお化粧したいな”とか“あそこに行きたいな”とか思いながら資格の勉強をしている。そしてまた夢にうなされて絶望の朝がやってくる

自分の道徳観(地雷)、他人のモラル(地雷)、社会のルール(地雷)

何もかも悪いことは法律で禁止されてくれればいいのに。社会的にしてはいけないこと(ルール)、モラルに反すること、マナー、道徳。今回は道徳寄りの話かもしれない。 SNSなんて、未だに取り締まるような法律が少ないから自由の塊だし、だからこそ誰かが作って支持されたようなマナーやモラルで排除されたり、炎上したり、批判される。正義の鉄槌である。もちろん更正の余地など与えられず、嫌い、という感情をたっぷり含めて徹底的に排除される。 自由に見える国なのに、何が見えないもの縛られながら生き

よく信頼関係とか人間関係をお皿とか花瓶に例える人がいるけれど。割れる、壊す以外に変化することのない無機物として関係性を表現してることになるのだけれど。じゃあどうやって信頼は生まれたの?相手との間に突然お皿が急に生まれたの?今思えばすごく都合のいい解釈だなと感じる。