遺書記録1
先ほど『完全自殺マニュアル』をAmazonでポチッた。
本当に死ねるのだと思ったら、読む前からなんだか怖くなってきた。
というのも、おそらく首吊りを選択するのではないかと思うのだが、どこでする、どのロープを使う、など割と具体的に思い浮かべてみたのだ。そうすると、"本当に死ねるのだ"という実感が湧いてきて、今まで感じたことのない恐怖を感じた。
きっとまだ死ぬ準備はできていないのだろう。
ただ、消えたいと思う気持ちは消えないのもまた事実。
誰にも言えない思いをぶつける場所として、高校時代の先輩がnoteを利用していたことを思い出し、ここにつらつらと書き連ねることにした。
どこかに発散したい。けれどもTwitterやらではフォロワーなるものがいる。いや壁打ちの鍵垢があるのだが、それだとどうにも発散した気分にならない。
どうにも人に話したがる、話すことのできるタイプの病み人間がいるようだけれど、私には到底できない。羨ましい半分、妬ましい半分といったところ。とどのつまり私は甘えるのが下手くそなのだ。
そんなことはいい。ブログというのは実に便利だと初めて思った。
死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。けれどもいつか死ぬときのために、少しでも私の生前の考えや思いを遺族等に遺すため、(いや、というのは建前かもしれないけれど、だれかに私のことを知って欲しい。) ここにいろいろ記そうと思う。
あ、今4:44だ。
明日、というかもう今日だけれど、朝早いのに寝ようにも寝つけず、泣いて、ロープを検索して、Amazonで欲しい本リストの中からついに先の本をポチり、そうして今に至る。
私は一体なにをしているのだろうか。
はあ、消えたいなあ。