実在しそうでしない、モノがたり
「のど飴」
階段を上がってすぐ、この場所から電車に乗ると、朝の7時50分発、定刻通り、やはり今日も彼はいた。
どこから乗ってくるのかは分からないが、私が最寄り駅から乗ると、彼は既にいて、だいたい座席横の板にもたれかかってスマホをいじっている。中肉中背。特別かっこいいわけでもかっこ悪い訳でもない。
「人生は頑張るものではなくて、こなすもの。」
誰かがそんなことを言っていたような気がする。私もそう思う。ただ淡々と日々をこなす。その繰り返し。大学に行き、バイトをして、帰ってきたら親から小言を浴びせられ、受け流して、1日が終わる。だいたいみんなそんなもんだろう。あの彼はいつも同じように、同じ場所でつまらなそうにスマホをいじっている。ずっとどっかで見たことがあるような、ないような、謎の既視感があった。夜、アラームをセットしながらふと彼の姿を思い出した。やはりつまらなそうな顔をしていた。
朝、今日も定刻通り、電車に乗る。やはり彼はいた。ここまではいつも通り。だが、今日は少し違った。少し離れたところで赤ちゃんが泣いている。
赤ちゃんは泣くのが仕事だ。赤ちゃんは悪くない。一緒にいるお母さんも悪くない。だが、泣き声を聞いていて気分がいい訳ではない。仕方ないので、乗り換えの駅に着くのをただ淡々と待つばかりだった。
少しして、中年のスーツのおじさんが明らかにわざとらしい咳払いをし始めた。本当にわざとらしい。あ〜、めんどくさいなあ、、、すると、いつもの彼はスーツのおじさんの所へ歩いていった。そして何かを手渡した。よく見えなかったし、よく聞こえなかったがその後、おじさんは咳払いをやめた。程なくして赤ちゃんも泣き止んだ。
2.3駅ほどすぎてそろそろ次の駅に着きそうな頃、今度はおじさんが歩いてきた。そして「これありがとう。美味しかったよ。世話をかけたね。」と残して降りていった。恐らく飴か何かを渡したのだろう。「いえ、お大事に。」そう返すと、彼はまたつまらなそうにスマホをいじり出した。いつもと同じ顔。だが、これまでの謎の既視感は消えていた。
おじさんは喉の調子が悪くて咳払いをしていた。だが、飴をもらい、回復した。そういうことになった。
彼は私とは違った。似ていなかった。どんな対応が正解だったかは分からないが、私は彼の行動は誰も傷つかない最良の選択だったように思えた。
今のところ私の人生はつまらない。ただ淡々と日々をこなしているだけだからなのだろう。
お昼になり、大学の近くのコンビニに行った。レジ待ち中。だるい。ふと横の棚に目をやると、のど飴が置いてあった。