まめ

自由気ままに、感情のメモを残してます。

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最近の記事

いい距離感とは。

最近アルバイト先を変えた。 約2年半務めたところだった。 辞めたくて辞めたくて訳ではない。だからなのか、最終日、勤務中、送別品と色紙を貰ったとき、虚無感というか喪失感というか何とも表し難い感情に襲われていた。 ここでの最初の店長さんには接客の基本を一から教えてもらった。人見知りの私にもうるさいくらい話しかけてくれて、うるさかったけれどそのおかげで他の人とも打ち解けることが出来た。店長が異動になったとき、最終日にお店で大号泣した。懐かしい。自分の最終日には泣かなかった。

    • 不意にやってくる、そういう感情

      生まれ変わったら猫になりたい。 気づいたらそこにいて、ふかふか心地よくて、危なっかしくて目が離せなくて、でも手を伸ばすといなくなる。私の中の猫のイメージはこんな感じだ。つかみどころのないというか、儚いというか、なんというか。自由気ままというか。都合良く捉えすぎだろうか。 でも猫のような誰かを、追いかけて、逃げないように、ここにいてくれるように、引き止めたい、そんな自分もいる。 私の好きな人は私のことなんか好きにならない。 半袖から伸びる腕が綺麗で、なぜか時々ちょっとだ

      • 連休最終日、某牛丼チェーン店にて

        無償の愛には限りがある なら有償の愛にも手を伸ばす日が来るのだろうか そもそも有償の愛は存在するのだろうか。 疲れて家に帰る。 温かいご飯が用意されている。 思いやりだ。 思いやりを愛だと捉えるなら 牛丼屋さん、 温かいご飯を早く安く出してくれる これも有償の愛 愛は欲だと捉えるなら キャバクラ、ホスト、ガルバ、パパ活 欲を満たせるこれらのサービスも 有償の愛 偉そうなこと言っといて なんか違う気もしてきた。 愛 と聞くと 自分から誰かへ与えるイメージが連想される

        • 実在しそうでしない、モノがたり

          「のど飴」 階段を上がってすぐ、この場所から電車に乗ると、朝の7時50分発、定刻通り、やはり今日も彼はいた。 どこから乗ってくるのかは分からないが、私が最寄り駅から乗ると、彼は既にいて、だいたい座席横の板にもたれかかってスマホをいじっている。中肉中背。特別かっこいいわけでもかっこ悪い訳でもない。 「人生は頑張るものではなくて、こなすもの。」 誰かがそんなことを言っていたような気がする。私もそう思う。ただ淡々と日々をこなす。その繰り返し。大学に行き、バイトをして、帰ってき