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1938年生まれ 建築家 10名

1.大竹康市(1938年 - 1983年) 宮城県仙台市

東北学院中学校・高等学校に進学
1962年 東北大学工学部建築学科卒業
     早稲田大学大学院修士課程修了
1964年 吉阪隆正の建築設計事務所U研究室に入所
1971年 象設計集団設立
     早稲田大学産業技術専修学校講師
1983年 サッカーの試合中に心臓の発作で倒れて急逝

2.奥保多聞(1938年 - )大連市

石本喜久治とは遠縁
1962年 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1964年 早稲田大学大学院修士課程修了
     丹下健三+都市建築設計研究所入所
1968年 日本万国博基幹施設グループ「TEAM BARK」に参加
1970年 丹下健三+都市建築設計研究所退所
     奥保建築設計事務所代表取締役就任
     大阪芸術大学建築学科專任講師
1977年 同校助教授
1984年 同校教授
1992年 同校科長
2008年 退職

3.富田玲子(1938年 - )東京都高田馬場

母は日本初女性大使でデンマーク大使の高橋展子
父は軍医であったが戦死した
戦時中は埼玉県に疎開
阿佐ヶ谷で育つ
ピアノを音楽評論家の藤田晴子に師事。
東京教育大学附属高校
東京大学理科二類に進学
1961年 東京大学工学部建築学科を卒業
     大学院に進学
     東大建築学科初の女子学生
同年 林泰義と結婚
吉武泰水研究室に所属
丹下健三研究室に移籍
丹下健三とともにケヴィン・リンチの著書を翻訳
1963年 修士課程修了
吉阪隆正の建築設計事務所U研究室に所属
1965年 休職
1971年 象設計集団設立に参加
マサチューセッツ工科大学、ペンシルベニア大学、東京大学、早稲田大学等で客員講師

4.水谷硯之(1938年 - )愛知県

1962年 日本大学卒業
     坂倉準三建築設計研究所に入所
     アーキブレーン建築研究所を設立

5.吉田好伸(1938年 - 1976年)

坂倉準三設計事務所で勤務
吉田好伸建築設計事務所主宰

6.吉田研介(1938年 - )東京都

1962年 早稲田大学第一理工学部建築学科卒業
1962年 竹中工務店設計部入社
1965年 多摩美術大学非常勤講師
1966年 早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了
1967年 東海大学工学部建築学科に赴任
1968年 吉田研介建築設計室開設

7.渡部一二(1938年 - )北海道小樽市

愛媛県育ち
1965年 前橋工業短期大学卒業
     日本大学理工学部進学
1967年 同校建築学科卒業
     内井昭蔵建築設計事務所
     東京藝術大学大学院進学
1972年 同大学院修士課程修了
     都市計画コンサルタント創造社勤務
     多摩美術大学専任講師
1992年 同大学教授
     東京農工大学より農学博士授与
     水空間デザイン研究所を設立

8.渡辺豊和(1938年 - )秋田県仙北郡角館町

1961年 福井大学工学部建築学科卒業
     RIA建築総合研究所勤務
1970年 渡辺豊和アトリエ主宰
1977年 「建築美」を創刊
1980年 京都芸術短期大学客員教授
1981年 同短期大学教授
1991年 京都造形芸術大学教授 
2007年 退任

9.渡辺武信(1938年 - )神奈川県横浜市

東京教育大学附属高等学校
東京大学工学部建築学科卒
大学在学中に、天沢退二郎、鈴木志郎康らと『赤門詩人』を創刊
1960年 『暴走』
1961年 『×(バッテン)』を創刊
両誌が合流し1964年『凶区』創刊
1969年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程単位取得満期退学
大学院在籍中よりアトリエ事務所渡辺武信設計室を開設

10.渡辺明(1938年 - )長野県

1960年 日本大学理工学部工業経営学科建築専攻卒業
     竹中工務店勤務
1980年 ハーバード大学に研修留学
     渡辺明設計事務所設立
1985年 日本大学理工学部非常勤講師

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