習い事の話

小学生の頃、誰もが一度は親に強請ったことがあるのではなかろうか。
ツイッターで時折お子様の習い事の話を観測する度に、最近よく思い出す小学校の頃の習い事の話をしようと思う。

小学校1年生の秋も過ぎた頃か、初めての学校生活にも慣れて、お友達もできた頃、僕は友達の習い事が羨ましくて仕方がなかった。
小学校低学年女児の人気の習い事といえば、「ピアノ」「塾」「そろばん」「水泳」「バレエ」あたりではなかろうか。僕はピアノと塾に行きたかった。

家の貧困も今となってはわかるが、当時は漠然と「うちはおかねがないらしい」としか思っておらず、とにかく、習い事がしたかった。

小2の夏、母のママ友の息子さんが、近所のとあるスポーツのクラブに所属しているらしく、そこの月謝が1000円とかなり安いという。そこで、白神さんちのるーはちゃんも一緒にどうか、という話になったらしい。
僕はピアノと塾に行きたかった。
折角のお話を断るのもよくないと子供ながらに思い、とりあえず父とともに見学へ。不幸はここから始まったのかもしれない。
父も中学校の頃、部活動がそのスポーツだったらしく、ルール、試合の運び方、などを教えてくれた。気がする。見学にまで連れてきてもらって、折角説明までしてもらって、説明がなるほどさっぱり理解できない上に、やりたくないと言ってしまうと、そのスポーツに多少は愛着もあるだろう父を否定することにはならないか、嫌だと言って気を悪くする人間はいないか。一度やってみればいいんじゃないか、それで興味を持てればよいのではないか。
こうして僕は、願い続けた「習い事をする」ということがかなった。
僕はピアノと塾に行きたかった。

ところで、僕はお世辞にも運動が得意であるとは言えない。多分誰の目にも運動音痴に見えるだろうし、どれだけ世辞の上手い人でも僕には運動が上手だとは言えないだろう。
これは昨今よく言われていることであるが、運動会となると競う要素が高く、運動音痴はどうしても攻撃の対象になりやすい。今となっては「あらたかが運動会で一生懸命になってお可愛らしい」くらいには思うが、幼稚園児や小学生にとって運動会の勝利は絶対なのである。
これ以上話すと長くなるのでまた別の機会にお話しようと思う。

とにかく、6年しか生きていないながらに自分は運動は全く上手くないと思っていたし、それがコンプレックスであった。
なんというか、勉強はやればわかるが運動はやってもできる気がしない。わかってほしい。
3ヶ月位かけて道具を揃え、毎週土日送迎してもらい、やめたかった。もうやめたかった。全く楽しくない場所に送迎してもらうのも申し訳なかったし、とにかくやめたかった。

小3になる春休み、学年も変わるのでやめたいと言ってみた。殴られた。
一応両親のために言っておくが、別に習い事をやめたいから殴られたのではなく、彼らは当時怒る=殴るだった。
まあ、怒られた。んで、殴られた。
如何せん20年経とうかという話なので正確さに欠けるし、主観が多くなってしまうが、「道具も買い揃えたのに」「父だって早めに迎えに行ってる(僕が一人じゃ嫌なので見ていてほしいというから)」「お前が習い事をしたいといったんだろう」「誰かになにかされたのか」とか言われた気がする。
誰かになにかされたのか、ということについては、当時から変人の頭角を現していた僕なので、例えばコーチや監督が大きな声を出せというから声を出したら笑われたし、一挙一動が面白いらしく動けば笑われることもあったが、気の所為ということも否めないし、そもそもそれがなくても僕はやめたかった。
折角買った道具が無駄になってしまうのが業腹だったらしく、やめたいならスタメン(スターティングメンバー、試合で一番初めに出る人間。チームの上位出場者数)になれるくらい頑張ってから、やめろ、と言っていた。

当時の母が29歳とかだったはずなので、4歳しか違わなくなるまで生きた今だからこそ言える。馬鹿かお前は。

楽しめず辞めたい人間が当然頑張れるはずもなく、その日から習い事の時間=時間がすぎるのを待つだけの時間になった。
まあ、小学校卒業すれば同時に卒業なんだから、それまで時間がすぎるのをまとう、と。
僕の一挙一動が面白いらしい子から、「辞めたいと思ったこととかないの?」など訊かれた事があったが、辞めたいと言っても辞められないので、「思ったことないよー」など嘘をついたのを覚えている。
そこから15年くらい経ってアルバイトで生きていた頃、どんな仕事でもめったに「行きたくない」とは言わなかったが、ルーツはここにある。
辞めたいと思っても嫌って言も別に時間が経てば終わるし。

当然スタメンなどに選ばれるはずもなく、大した思い出もないまま僕の習い事生活は幕を閉じた。

習い事は土曜17時から21時、日曜13時から17時。
これが毎日だったら話は変わってたかもしれないが、週に2回虚無を味わって4年暮らした。
ここで学んだのは、どれだけ嫌な時間でもいつかは終わるというものである。
これはバイト時代ものすごくありがたかった。文房具屋時代、苦手な方とシフトに入っても、時間が経つのを待てば勤務時間は終わってくれる。イベントバイト時代、どれだけ嫌な現場に行っても、勤務時間はいつか終わってくれる。これが本当に救いだった。習い事をした唯一の収穫かもしれない。
ただ、ストレスの処理があまり上手くなく蓄積するので、週5回長時間嫌いな人間と過ごすととんでもない苦痛になるということを、イベントバイトで学んでしまったので、果たして小学生ながらにそれを学習するのは良いことだったのかとも思う。

あとこれは成人して自分で稼ぐようになってから思ったことだが、月謝が大いに無駄だったのではないかと思う。
毎月1000円。1年で12000円、4年で48000円。額としては月日に対して大きくないかもしれないが、これだけあれば塾やピアノは難しいかもしれないが、もっと有意義に使えたのではと思わずにはいられない。

学生の身分を卒業して久しく、運動というものに関わらなくなってから身体の衰えをものすごく感じるので、元々マイナスだった身体能力を、小学校の間0でいられたのは習い事でスポーツに触れていたからではないかとも思う。それに、あらゆる競技がマイナス方面に振り切っている中、学生時代唯一人並みにできたスポーツだったので、必ずしも無駄だったとは言い切れないが、辞めたいと思った時点で辞めておけばもっと有意義に時間や金銭を使えたのではと思わずにはいられない。

でも、幼少期辞めたいと思っていた習い事を、大人になってから再開してあの頃やっててよかったという人もいれば、同じく辞めておけばよかったというひともいるので難しいところだよな

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