外に出る、ただそれだけのことができなかった4年前のこと -『門外不出モラトリアム』再配信を観て-
『門外不出モラトリアム』をご存知だろうか。
ノーミーツ(旧:劇団ノーミーツ)が、2020年5月に旗揚げ公演としてZoom上で上演した作品だ。
今回、2020年の上演から実際に4年の月日が経過したということで、再上演が実現したとのこと。
私は、初演や過去の再配信は未鑑賞だったのだが、大学の卒業研究で、コロナ禍と演劇の関係について研究しており、そうなると当然、ノーミーツの存在に触れないわけにもいかず、その頃からずっといつかは必ず観たいと思っていての、今回の再配信だった。
25日の再配信当日は用事があり観られなかったため、アーカイブ配信にて鑑賞した。
アーカイブ配信も、昨日の23:59で終了したということで、このnoteでは、作品への個人的な感想をつらつらと書いていこうと思う。
※以下、一部物語のネタバレを含むので、ご注意ください。
観始めて、まず最初に受けた印象は、「あったかもしれない今の話」だな、ということ。
私も2019年に大学に入学したので、2年生から急にリモートでの授業になり、複雑な気持ちのままPCの前に座って過ごす一日を経験したことがある。
あの頃は、この先がどうなるかなんて全く見えなくて、もしかしたらずっとこのまま友人とも会えないのかもしれないと、不安になったりもした。
この物語の中で、2020年入学組の主人公・メグルたちは、4年間フルリモートの世界線を生きている。
同級生にも教授にも、一度も実際に会わずに、なんとかやれてしまっている世界。
そんな中、卒業前の最終講義も終わって、メグルが密かにあたためていた想いをりょーいちに告白するところから、物語は展開していく。
一見、よくある“タイムリープもの”で、オンライン演劇という、(当時は)前衛的な取り組みで扱うには、あまりにも古典的なモチーフにも思えるのだが、何度か繰り返し観ているうちに(繰り返し観て少しずつ咀嚼できるのは、アーカイブ配信の良さでもありますよね)、この物語のタイトルが『門外不出モラトリアム』である理由が見えてきたので、ここに記録しておきたい。
(素人の戯言なので、見当違いなことを言っていたらすみません、と先に謝っておきます。)
まずここで、モラトリアムの意味を改めて確認しておきたい。
よく、大学生の期間のことを「社会的モラトリアム」などと言うが、モラトリアムには、いくつかの意味がある。
他にも、「不完全」「未達成」のような意味もあるようだ。
メグルは、何度も時間を戻して大学生活をやり直すことで、自分にとって「完全」に目的を「達成」している状態を生み出そうと奮闘する。
だが、状況が良くなったと思ったら、何か別のところに綻びが生じて、また「不完全な今」が立ちはだかる。
なかなかメグルの目的は達成されないまま、物語が進んでいく。
そうして、迎えた7周目のリモート大学生活。
全てを諦め、元の世界線では仲が良かったはずのクラスメイトにも心を開かないまま日々を過ごすメグル。
そのまま時は流れ、卒業前の最終講義の場面へ。
(この世界線では、全ての事態が悪化しているようで、コロナの収束の目処も一切たっていない模様。)
最終講義後、姉から電話で「春休みどうするの?」と聞かれたメグルは、
と答えている。
この時のメグルは、まさに「モラトリアム」状態ではないだろうか。
自分がこれからどうしていくべきなのか、見当もつかず、今日を生きるので精一杯。
その後のナンジョウイオリ(メグルが通う能見大学のOG)との会話でも、
ナンジョウに「私どうしたらいいんですか?」と質問し、「どうしたらいいのかを決めるのは、内ノ森さん、あなただよ。」と返されている。
自分の身の振り方を自分自身で決められない。
メグルのアイデンティティが未確立であることが分かる場面だ。
そんな中、元の世界線では仲が良かったクラスメイト5人が、Zoom上の同じルームに集まり、入学式ぶりに話をする流れになる。
そこで、「もっと仲良くしたかった、後悔している」と告白するりょーいち。
その話の流れで、実はメグル以外のクラスメイト4人が、「5人が仲良くしていた世界線」の夢をよく見ていたことが判明する。
自分が動けば、どんどん事態が悪化する。だからもう、何もしないほうが良い、と諦めていたメグルに、続けてりょーいちはこう言う。
このりょーいちの台詞を聞いた瞬間私は、「ああ、この物語が伝えたかったことってこれだったんだ。」と、腑に落ち、思わず泣いた。
きっと、この瞬間、メグルのアイデンティティは確立され、モラトリアムは終わりを告げたのだと思う。
だから、メグルはもう一度やり直すことを選ぶ。自分の意思で。
そして、8周目の2024年3月。卒業式。
そこには、「内ノ森さん」ではなく、「メグル」の姿があった。
卒業式の後、姉からかかってきた電話には、「もうちょっとこっちで頑張ってみようかなって」と、自分のこれからのことを話すメグル。
この台詞からも、メグルがモラトリアムを終わらせたことが分かる。
そしてその後、“いつも”のように記念写真を撮るためにZoom上に集まったクラスメイト5人は、“いつも”のように軽口を叩き合う。
そして、それぞれが、「またあとで」という言葉と共に画面外にはけていくと、エンドロールが流れ始め、物語は終わりを迎える。
メグルがモラトリアムを脱したことで、
門外不出だった5人は、初めて外に出て実際に顔を合わせることができるようになったのだ。
ここに、この物語のタイトルが『門外不出モラトリアム』である意味がある。
私は、この物語のことを、
稽古も公演も「フルリモート」でやり遂げているとか、目新しいシステムを使っているとか、未曾有の事態の中での、「今できることをやろう」という色んな人の想いが見えるとか、
もちろん、そういう「コロナ禍の演劇」や「新しいエンタメ」という文脈で評価されるべきものであると思う一方で、
その文脈に頼りすぎていない、いつの時代にも普遍的なテーマを描いている作品だとも思った。
つまりこの物語は、1人の女の子がアイデンティティを見つけるために奮闘し、その過程で成長していく話である。
だからこそ、初演から実際に4年が経過した2024年のこの時期に、再配信をすることに意義があったし、
こうして2024年になって初めてこの作品を目の当たりにする私のような人にでも、しっかりと刺さる物語になっているのだと思う。
全てが一時停止したかのような感覚に陥った、2020年のあの日。
突然自分の意思と関係なく与えられた猶予期間を、私は自分の意思を持って過ごせただろうか。
2024年。
あれから4年経った実際の今は、マスクもつけずに外出できる世の中になったけれど、そんな世界での毎日を、私は有意義に過ごせているだろうか。
そんなことを考えさせられる作品だった。
この2024年の世界でも、
どうか、あの5人がどこかで顔を合わせて笑えていますように。