えりか
自分で書いた日記を元に、短編小説を書いています。 繋がっていないようで、繋がっているような、そんな毎日の物語。
いつかやる いつかやるから。 そう思っていたから、20年以上経ったのだろう。 私の実家には、ウォークインクローゼットがある。 子供がかくれんぼするには十分すぎるくらいの大きさで、中には洋服をかけるスペースが十分にある。 その十分すぎるスペースに、約20年分の服が詰まっていた。 ウォークインクローゼットは、その名をかけ離れ、立ち入ることも危うい物置と化していた。 物心ついた頃から、服は雪崩れてくるものだと思っていた。 それくらい、物で溢れかえっていたのは、母のせいだと思
私は、ものを捨てることができなかった。 全てのものには気持ちが込められていて、 命が宿っていると思っていたから。 特に、手紙という人からもらったものを捨てるということができなかった。 手紙に書かれた字を見ると、書き手のその時の気持ちが体にうつってくる、 そんな気がするのだ。 少しずつ片付けられた部屋で、無造作に重ねられた、手紙の山を眺める。 手紙の殆どは小学5年生から中学生くらいに、友達からもらったものだ。 私は、一枚ずつ、手紙を手に取った。 「私の好きな人はKくんだよ
私の生きる意味 2021年12月。 私は仕事を辞めた。 職場が遠い、仕事内容が合わない。 理由は色々あるけれど、多分一番の理由は、 生きる意味が分からなくなったからだ。 「このままではいけない」 自分の心の違和感を口にして、なんとなくすがりついてた仕事をやめると、 素っ裸の私が出てきて、私は何がしたいの?と聞いてくる。 私は何がしたいんだろう。 素っ裸の私は、何も持っていなくて、道に迷っているようだった。 そんな私を前にして、初めて、自分の本当の気持ちを押し殺して生き
お気に入りの服屋さんで、左手には茶色のニット。 右手には紺色のトレーナーを持って、頭を抱える。 「どっちの服を買おうか・・・」 私が服屋さんに行った時のお決まりの光景だ。 かわいい服を目の前に「欲しい」以外の購買理由を探す。 物欲だけでものを買っていたら、 家の収納も、財布も、きっととんでもないことになる。 そうしているうちに数時間が経つ。 この悩んでいる時間が好きなのではないかと、錯覚するほどだ。 この時間は、私が服を買う理由が、純粋な自己表現であり、 無闇にクロ
もらったお年玉で福袋を買う。 それが小学生の頃からのお決まりだった。 仙台には仙台初売りという文化がある。 元旦の郵便受けには、輪ゴムで束ねられた年賀状と、もう一つ、新聞に挟まれた、分厚い初売りのチラシが詰め込まれる。 小学生の頃は、ヘアアイロンや、ウォークマン、文房具や、洋服などが掲載されいる、電気屋さんや、お洋服屋さんや、大型ショッピングモールのカラフルなチラシを穴が開くほど眺めて、全部買えたら幸せなのに、と思っては、もらえるお年玉の額を何度も数えていた。 そんな私
1月の寒さは特別だ。 少しつんとする石油ストーブの香りをかぎながら、電気こたつに足を突っ込む。 近くの神社には多くの人が押し掛けて、神様へのご挨拶をしている。 元旦。 昨日までのそわそわした足取りは消えて、あたたかく、のんびりとした空気が漂っているのは、暖房のおかげだけではないはずだ。 寝ずに新年を迎え入れた私は、毎年お決まりの正月番組のチャンネルを回しては、どうにかして正月気分を味わおうとしていた。 時刻は3:00をまわっている。 折角この時間まで起きていたのだから
あけましておめでとうございます。 2023年がはじまりました。 昨年からずっと心のどこかで書こうと思っていたnote。 折角の節目ですので、今日から始めていきたいと思います。 主に書き記していきたいことは2つ。 1.日々の思考 2.ヒッチハイク旅 昨年、本屋さんで「マイブック」という本を見つけました。 新潮文庫が出版している文庫本ですが、書いてあるのは目次や日付のみ。 1日1ページ、自由に描ける文庫本です。 昨年は、このマイブックに自分の気持ちや思考を書き連ねておりまし