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人間と関わると、幸と不幸が増幅されていく

友達に縁を切られてから色々考えていて、気づいたことがあるので書き留めておく。


題名の通りだけど、人間と関わると、幸と不幸の最大値が上がる。

私は実際に、精神疾患の影響で人と全く関わらない期間を過ごしたことがあるけど、

その時は爆発的な幸せが無い代わりに心が削られるような出来事も無かった。

でも今は人と関わって、爆発的な幸せを得る代わりに、心が削られることも多くなった。

これが人間関係の真理なのではないか。

例えば、その縁を切られた友達と花火をした日、私は猛烈な幸せを感じてた。

でも、縁を切られた日は猛烈に落ち込んだ。

つまりこういうことで、最初から友達にならなければ傷付かずに済んだ。ただ、その代わりに幸せも無かった。

どちらが良いか?というと難しい話だけど、私は人間として生まれた以上、人間と関わって生きる方が素敵なんじゃないかと思ってる。

生きている実感が得られるのは、人と関わっている時だと思う。


この前、他の友達とこういう話になった。

友達それぞれに求めている役割がある、と。

その友達は、
・崇拝対象・アイドルのような存在
・深い話ができる存在
・浅い話で盛り上がれる存在
・趣味の話ができる存在
・恋愛の話ができる存在

こんな風に分けているみたいだった。

ちなみに私は深い話ができる存在に割り当てられている。だから「飲もー!うぇーい!」みたいな楽しみ方はしないけど、しみじみとした雰囲気で、お互いの痛みを分け合うことはできる。

その話を聞いて思ったけど、私も無意識的に、友達を役割で分けているんだと思う。

少なくとも、感情的な面を共有する友達と、論理的な面を共有する友達は分けてる。

裏を返せば「私の共感能力が高い」ということなのかもしれない。

相手が私に向ける感情や対応と同等の物を、そっくりそのまま、返すことができる。

完璧な自分を演じるのが好きというか、多分そうする以外で人と関わったことが無いから、相手が望む自分になる世渡り術しか知らないだけ。

私はできる限り人と関わって、生きたいと思う。

長く生きる自信が無いから、いろんな人の記憶の中に私を少しずつ置いておくことで、私が生きた証を残したい。

私が居た証拠は、人の記憶の中にあれば十分だと思う。

素直で屈託が無くて、優しくて純粋な、良い子が居たなって

何かの拍子で思い出してもらえたら嬉しいと思って、人と関わってる。

だから他の人とは一線を画す為に、人一倍やさしい人間であろうと思ってる。

無理かもしれないけど、難しいかもしれないけど、でも少しずつ結果はついてきてる。

実直だとか、達観してるだとか、そういう風に評価してもらえるようになった。

このまま、たくさんの人の記憶の中に私を残す為に、生きていこうと思ってる。

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