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雨とベンツと国道と私

モダンスイマーズ「雨とベンツと国道と私」観劇。

コロナの影響で心身共に痛んでいた五味栞は、知人の提案でとある自主映画製作を手伝うため、群馬へと誘われる。
そこには、かつて五味が参加していた撮影現場で罵声や怒号を日常的に役者やスタッフに放っていた監督、坂根真一の姿があった。
しかし、坂根は名前を変え、別人のように温厚な振る舞いを見せながら監督をしている。
坂根の影響で心に隣を負った五味はその姿を信じない。
過去と現在が混じり、それぞれの思いが交錯していく。
人は本当に変われるのか。
(一部、恫喝や星力の表現があります)

当日パンフレットより

「罪と許し」をテーマに描かれる物語。
映画制作の場で起きる様々な問題とその人間模様。
自分の正義、正論は、時に他人にとって凶器となり傷つける。
何が正しいのか、どうすれば良いのか、わからない。しかし、それでも生きていく。とにかく前に進まなければ。
たった一度の人生。葛藤を抱え、それでいいのかと問い、自らを鼓舞するような姿に胸が締め付けられた。

ラストがすごく好きだった。
様々な問題に直面し、人物たちの気持ちを重ねていった先のエンディングで大爆発させるような表現。
傷つき、傷つけながら、先も見えず答えのわからない人生をただ走り続ける。誰かに届くと信じてガムシャラに。
それは、観客である私自身の日々の葛藤や苦しみ、後悔、迷いも全て乗せて走り、後押ししてくれるようだった。

凛太朗にまた会えてうれしい…!
お芝居を続けてくれてありがとうの気持ち。なんで続けているのか問われるシーンで、「辞める理由がないから」と。
素敵な理由だと思った。なぜか人はみんな悲劇にしたがるというか、終わらせたがるけど、辞める理由はないから続けるという選択が出来るってすごいと思う。目的はないけど、やってみる。というような。やはり、私には無いものをたくさん持っているこの人物。

ビリーから変わらない真っ直ぐな瞳も嬉しかった。自分の芯となっている部分は、確実にあるけど、尖らず柔らかくて素直で。
大切なもの、守りたいものがあるほど、人は攻撃的になったり尖ったりしそうだけど、凛太朗は、そうならないようにしてるんだよねって思った。

お酒飲まないようにしてたのも、お父さんの話も、ふとした時に不安そうな目の動きも、ビリーを思い出して「凛太朗〜!!」ってなってた。(えぇ、凛太朗です)
「風俗いくか?」のセリフで、この場に凛太朗いなくてよかった…と思った。

打ち上げシーンで、目の前で起きた暴力にいけないことだと声を上げる凛太朗に救われた。あのままみんな黙っていたら、見て見ぬふりをしていたら、と思うだけでも苦しい。

「暴力を振る人は変わらない」
「病気と一緒にするな」
「された方は、一緒なんだよ」

本当にそれで、どんな理由かあっても人を傷つけていい理由になんかならないよね。

信念、やりたいことを守るために許し難いことも許して、無かったことにするってよくあると思う。特に今回の物語のように利害関係にあると。「許す」という行為がまた別の他者を傷つけてしまうのに。
このシーンでも、ハラスメント問題を起こした映画監督が名前を変えて映画を作ってると世間に流すと言うと自分の復讐のために映画を潰すのか、と。難しい。

今回中心となる人物、五味栞。
目の前で問題が起きても、ただ立ってるしかできない。実は傷ついてる。本当は、こう思ってた。みたいな私の一番苦手なタイプの人間です。
当事者にならないようにしてるだけ、分かってるのに直接関係しないようにしてるんだよ。ズルいなって思う。このズルさは、本人はわかってないと思うし、わかることはないんだろうなって思う。
言わないで逃げる守るなら、ずっと黙ってて欲しい。後から「あの時こう思ってた」って自分が優位に立つための武器にしないでよって思ってしまったな。(私、酷いこと言ってるね)

あと、監督に怒られてクビになりかけたのも自分のせいだから。確かに怒られて怖かったかもしれないけど、仕事だぞ、しっかりしろよ。
「言いたいことも言わず、友だちごっこ」と言われてたけど、もはやそのレベルでもないというか。
怒鳴られて怖かったことと、自分が怒られた理由は別だと思ったな。

コロナ禍前の映画撮影班で↑が起きて、その後監督が名前を変えて映画を撮ることに対して、世間が忘れたとしても、許したような雰囲気になったとしても、傷ついた心は戻らなくて自分だけ置いていかれたような気持ちになる。
まだ傷ついてるのに勝手に終わらせないで。加害した方が終わらせてはいけないんだ。って気持ちは、すごくわかる。
自分の心の傷も忘れられるような、無かったようなことにされるような。私の中では何も終わってないのに。


映画撮影中に暴行事件があり、宮本圭が瞼に怪我をする。その事件後日、宮本圭と五味栞が会うシーン。
怪我の跡が残ってしまうことを知ると自分のせいだと五味栞が謝り、以前、自分の脚本を面白いと言ってくれたからと宮本に脚本を見せようとするが拒否される。
「なんで謝るの?」「ごめんと思ってたら脚本見せたりしない」
ほんとにそれで、五味栞は、自分にとって幸せだった時間を取り戻したいだけ、許されたいだけなんだと思ってしまった。
役者を辞めざるを得ない状況になった人に脚本を、この残酷さに気づかない。正直、笑っててほしいなんていうのは、エゴなんだよ。悲しみ、怒り、虚しさに寄り添えてないんだよって思う。
謝罪は、許しても許さなくても謝られた方は傷つくものだと思ってる。謝罪する側の気持ちが楽になるためだよなって。
自分が良いと思っていても、他人からみたらそうでないこともあって、人は生きてるだけで誰かを傷つけてしまうものなんだって改めて思う。


ハラスメント加害者である坂根真一。
暴言暴力、キレる瞬間の目のキマリ方も言ってることもめちゃくちゃで、ただただ怖いんだけど、坂根がこんな風にカッとなるのにも理由があって、それに納得する自分もいた。(どんな理由があっても暴力は、否定しますが。)
このハラスメント、見え方は違えど実際身近にあることで、客席の笑い声が本当に怖かった。あ、これって笑えるんだ、というか。客席の反応を否定してるのではなく、笑えない自分の現状がかなりまずいものなんだろうなという悲観。日々に、人生に、傷つきながら生きてる。痛みが確信を持たせる。

夢、目指すもの、熱量があるほど、馴れ合いというか真剣に向き合えてない、努力が見えないと苛立ちや悲しみが襲ってくる。
必要なことは、伝えなければいけないのに、言いたいことも言わずにいて、良いものから遠ざかっていくことの気持ち悪さ。わかってしまう。(周りへの指導力、指揮を取れないのは完全に監督、責任者として技量不足なんだけどね)

事件によって世間からバッシングを受け、映画を作れなくなった時、近しい人たち、周りの人たちがどう思っているのかわからないし、この先どうしていけばいいのか不安になる気持ちが伝わってきた。
「死にたくないけど、生きたくない。」
なんかこの感覚わかってしまうんだよ。生きるしかなくて、ただ存在してるというか。

映画監督としてリスタートを切るチャンスがくる。また夢を追うことができると思っても、自分を許さない人もいて、反省して償おうとしても、それも許してくれない。「どうしたらいいんだよ」と言うけど、本当に反省してる人は、そんな風に思えないんじゃないかな、とか色々考えた。
理解するのと実感するのは違うから。世間から見て悪いことをしたとわかっていても、悪いと思ってないんだよ。

撮影班を信じていた坂根だけど、その信頼する山口が録音してたのも苦しかった。信頼関係なんてなくて、自分に良い顔してただけと分かった時、苦しすぎる。

この作品のハラスメント描写、業界違えど自分にも置き換えられる部分があって、かなり生々しい描写に胸を抉られるような気分になった。
あと、目の前で起きてる問題に対して黙って立ってた人間が実は傷ついてた、実はこう思ってたと後出しで打ち明けるのも、問題視しながらも自己防衛のために良い顔し続ける人間模様がグロすぎたな。
私は、宮本圭のように、みんなが言えないことも何かを守るためであれば孤軍奮闘となろうが立ち向かってしまうから、その時の孤独、無念、興奮、迷い、傷、色んなことを思い出して心がザワザワした。
声を上げた人が報われないところに自分を重ねてしまって、私は、今浮かぶ記憶や人々を許せないことで、私自身を救えずにいるのだと実感する。
けど、私の正義が他人にとって凶器でもあるから、それもわかってるから苦しくてどうにもできないというか、自分が存在することさえ嫌になることもあって…。
きっとこの記憶の中のことは、この先も許せないだろうし、自分の正義を信じている内は、時々この憎しみと悲しみを思い出しながら生きていくんだろうなあ。

才谷は、亡き夫を映画にする。
夫との過去が描かれるシーンでは、自分の意見を言わない、言う通りになってしまう夫に苛立っていたのだ、と。自分の意思がはっきりしてる人からすると、自分の意見ないの?!って思うよね、わかる気がする。
旦那さんが亡くなる前の最期の会話が、自分と反することだったから驚いたと思うし、あれが最期となったやるせなさがある。
「そんなこと」
人にとっては、そんなことでも、自分はそうじゃない。本当にそうだと思うし、これを旦那さんが才谷に伝えられてよかったと思う。才谷は、傷ついたと思うし、ずっと後悔してると思うけど……。
旦那さんが自分で歩めるようにと願い、映画のラストシーンで国道を走るようにと伝える。この映画を作ることで旦那への思いに気づき、才谷も前に進めたんだと思うな。

エンディングで、凛太朗が国道を走るシーン。どう走ったらいいかと考え始める凛太朗に今まで溜め込んでいた思いを爆発させるように「考えたって(芝居が)生きてねぇんだよ!」「映画で人が走るってすごいこと。その走るシーンに観る人は色々な思いを重ねる。」「色んな思いを乗せて走るんだよ」と、五味栞。

「御託を言わずに、走れーーー!!!!」


五味栞の言葉遣い、態度に胸が痛みながら、ガムシャラに走る凛太朗に自分の思いを馳せて涙した。(前回は、自転車だったね🚲)

この作品には、救われる、解決に導いてもらうというより、胸の痛みを再確認させられ、やるせなさ、もどかしさ、けど少し期待して生きてしまう愚かな私を思い知らされた。(うまく言えない)

観劇後、この言葉を読み返してまた胸がキュッと締め付けられる。

でも、とにかく元気だして、 とにかく進まなきゃと思うよ。
頑張らなくていいんだよ、 もっと楽でいいんだよって、
そこら中の画面がすごい笑顔で言ってくるよ。
私をどこに連れて行きたいのさ世界。
私の闘いは安いのかい。
いや、そんな全部を打ちのめすんだと歩き出しながら、
「人生が二度あれば」なんて歌詞を口ずさんでる私。
私よ。
頼むよ、私よ。
一度だけでしょ人生は。
この雨も、この道も、一度だけでしょ。

照明の質感がすごく好みだった。マット、無機質な感じというか。
チカチカさせるやつ(なんていうんですか)も、コマ送りみたいに見えて面白かった……!

暗転しないというか、真っ暗にならないのも好きです(伝われ)

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