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静かにしないで


TAAC「静かにしないで」観劇。20240525

舞台はある兄弟が営むゴーストレストラン。
コロナ禍によって大きく売上を伸ばしたが、
コロナの落ち着きとともに淘汰され、
閉店することが決まった。
最終営業日を終え片付けをしていると、
なぜか配達員がやって来て・・・。
これは、ないかもしれない希望に向かって、
それでも生きていこうとする人間たちの物語である。


とある兄弟の日常を描く物語。
遠いようで、あまりにも近い。自分が密かに抱えるものを可視化されるようで胸が潰れそうになった。人物たちの吐露する思いが苦しくも救いとなっていて、終盤の兄の弟への想いにあたたかい気持ちになった。

トゥレット症の弟、その兄、そこにやってくる配達員の男の三人芝居。表情や言葉からそれぞれの関係性が感じられるのがすごく好きだった。

特に兄と弟。どこかお互いに距離感を保ち、言葉を選びながらも、そこに嘘はなくて兄弟だからこその空気感が心地良い。他人だったらわざわざ言わないことを言ったりとか、身内のノリというか、やりとりの中に家族、兄弟を感じる。

また、弟の特性や心労を幼い頃から近くで見てきたから遠慮したり気を遣う兄の姿が見えたり、そんな兄をわかっている弟が申し訳なさそうな顔をしながらも兄の存在に安心しているようで、兄の言葉に反応する表情に「あぁ、お兄ちゃんが好きなんだね」って思いながら観ていた。この前半シーンがすごくすごく好きです。

永嶋さん演じる律のトゥレット症の表現に驚いた。目つき、瞳の動き方、口元手元の筋の動きも細やかで、併発する汚言症、強迫性障害もリアルだった。無意識に起きてしまうから心身に影響もあって、息苦しさとか不安感も伝わってきて苦しかった。ドアを開閉する動作が強迫性障害で日々のルーティンになってるのかな、多分。


律の吐露する思いが私の心を代弁してくれてるようだった。
「静かにしないで」「生きるのが怖い」
思いがけない症状で自分自身も困惑するし、辛いのに、自分の特性や症状で他人に迷惑かけてるんじゃないかってことが本当に苦しい。思うように生きられないことが辛い。
私は、彼と同じ特性があるわけではないけど、重なる部分があって、ただただ涙する時間でした。


「自分で話させて」絞り出すように声を上げた律を見て胸が締め付けられた。
自分の特性を理解しているし、周りからどう見えてるのかもわかってる。けど、「許してほしい」とは思ってない。
特性があったとしても、仕方ないことではない。仕方のない人間だと思わないで。
庇ってくれるやさしさもわかるけど、自分の言葉で伝えさせてほしい。誰かではなく自分で生きさせてほしい。

兄の優朔が「お前が生まれた時に俺の名前を奪ったんだ」と言う気持ち、わかる。個人としてではなく、肩書きで見られてるようでさみしい。
トゥレット症の症状が出てからの律は、律ではなくトゥレット症の人となったんじゃないかな、とも考えていた。このシーン、優朔の思いが爆発するように律に向かい、双方の気持ちを思うと胸の奥が重くなった。

割れた卵を見た律のセリフ。
「ニワトリになれない卵はいつ生まれたことになるんだろう。産み落とされた時なのか、殻を破った時なのか、それともそもそも生まれることなんてないのか。」
時々というか、ほぼそうなんだけど、生きてるのか死んでるのかわからない時があってその感覚に近い気がした。生きてるんだけど、なんだかな、このまま死んでいくんだろうか、みたいな。

優朔がオムライスを作る時、2つ目を作る時ガスが止まる。「これからって時に」の言葉にレストラン経営のこととか様々なものと重ねているんだろうなって思った。ほんとに、これからって時に思いがけない出来事で足止めされるって悔しい、もどかしい。

オムライスを作りながら、「包むのは、やさしさ」と優朔が話す。私の思うやさしいの感覚と同じでドキッとしました。

劇中で本当に調理するんだけど、玉ねぎみじん切り上手すぎて見てて気持ちよかった!普段からお料理される方なんだろうか…!目に滲みないのすごい!!けど、火元が怖すぎて……!舞台美術がリアルすぎるから、火力強めでお芝居しながら作っててどこかに引火しないかハラハラしました……お米ガビガビフライパンになっちゃったから油ドバドバ入れてんのかな、とかも思ってた。(ごめんなさい)
うす〜い卵のオムライスで、律が食べてるの見たらちょっと切なく、やさしい気持ちになった。昨夜のこと、これから出勤すること、何を思ってるのかなって想像してました。


後半の優朔が律に伝えた思いが、私の生きる糧としてるものと重なって涙が止まらなかった。

「律が生まれた時、みんな喜んだんだよ。」「晴れた日に雨が降っていて…」

「あなたが生まれてきたことが嬉しい。」何かできるから、優れているからではなく、ただ存在を認めてくれる、愛してくれる。
この思いや記憶がどんな時も私を支えてくれてる。何度も何度も私の心をあたためてくれるの。オムライスをあたためて食べた時、美味しかったように、冷めてもまた美味しくなれるよねって。

終盤に律が新しい職場に向かう朝、オムライスを食べて家を出る。一礼して出た後、晴れた空から雨が降る。「頑張れ……!」と心の中で思っていたら、優朔が「フレー!フレー!」と。
兄弟の会話の中で双方の思いを感じていて、自己投影する部分も多かったから、応援したい、守りたいような気持ちになったんだろうな。この作品を観て、人物たちを大切に思う気持ちが芽生え、心があたたかくなった。


兄弟の元に突然やってくる碓井アトム。彼は、世間の声、第三者の声を持つ人物だと思う。つまり誰かにとっての私たち。
他人の家に入ってきて、好き放題言って怪我したことで優位に立ったと思い上がって動画撮影。やってること最悪すぎるけど、これって身近に起きてること。
ウワ〜ってなるけど、それは俯瞰してるからであって、互いの事情を解ろうとせず並行して話すところとか、無責任なこと言うところとかよくあると思うんだよな。SNS上なんて特にそうだと思う。

実際、彼の言葉には共感するものも多くて、私は全然嫌いになんかならなかったな。(アフトで「嫌いにならないで〜」と仰ってましたが)

ミスしたくない。自分のミスじゃなくてもバツがつくのが嫌だって気持ち、すっごいわかる。むしろ自分が悪くないのに評価に響くことって受け入れられない、いやだ。

ただ、窓から見える空の色で、昼間から夕方までチーズタッカルビ作ってくれって言ってるのわかって、もうはよ帰れって思いました。届いたとして、もうこんな遅かったらバツつくわ。(笑)

兄弟とのやり取りの中で、弟がトゥレット症だということに「認知症のおじいちゃんが事故っても仕方ないって言える?」
本当にそれで、どんな事情があっても許されないことってある。だから、律も自分の特性があっても許して欲しいと思ってない。自分を許すことはできない。償いたいと思ってる。
碓井との出会いが、この兄弟が抱えるものに対して後押ししてくれたように思う。

私は、私の存在なんか気にせずにいてくれる人に救われるから、碓井の横柄な態度、陽気?さも、人によっては救いとなってると思うな。


舞台美術が、今作も繊細で美しく、ひとつひとつの物が物語っているようでした。
床の油の跡、床やシンクの質感、キッチン皿海で使ってきた様々な調理道具、お母様の跡。
座る位置によって見える部分が違うから色んなところに座って見てみたかったな。

リアルすぎるからか、ヘドロ処理した道具を調理するシンクと同じところに置くのとかすごい気になった……汚…!

窓から見える戸外、2階に繋がる階段、足音もあって奥行きを感じてよかった。
差し込む光で朝昼夕と時間の流れも感じられて素敵でした。


ラストシーンで、律が家を出た後、晴天に雨が降る。律が生まれた日と同じように、また今日から新しい日々が始まる、生まれるという意味を感じて胸がいっぱいになった。

重い題材だが、観劇後は不思議とやさしく澄んだ気持ちになった。
人は、他人にはわからない、言えない何かを抱え生きている。そういう思いに目を向けてくれるようなやさしさを感じる作品でした。

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